Peggy インド洋DXpedition同行記(3)
(The DXers Magazine #126 1969 August 6) ( アマチュア目次へ戻る)
 ペギーの旅行記事 #5、モーリシャス。

 私たちは、東インド洋にあるモーリシャス島に戻っています。
 ガスがロドリゲス島から戻る日です。私が最初に見たのはスティーブでした。スティーブは無
線機を持ってボーディングハウスに到着し、ガスがすぐ来ると私に言いました。ガスは、20メー
ターで仲間と交信できるチャンスがなかったため、ロドリゲス島へ戻る計画をたてていました。
 これは、スティーブが交信したいバンドのため、ガスはスティーブに譲りました。
 スティーブは長くは居ませんでした、ガスはまもなく着きました、汚れて、そして少し熱があ
りました。

 彼は、戻って、スティーブと彼のコックはデッキで眠らねばならないと言いました。
 コックの50才代の女性エドモンは熱心なクリスチャンです。彼女はデッキで、スティーブは
救命ボートで寝ました。海は、古い船を揺さぶり、きしみました、ガスはいまにも船がさけてし
まうと思いました。
 エドモンは、海が非常に荒れていたので、海水がデッキを洗い流し、彼女とスティーブは座っ
ていられなかったと言いました。彼らは、最悪の船酔いのために、戻ってくる間中横になってい
なければなりませんでした、
 ガスは、下甲板の下のキッチンに居ました、彼は少し船酔いでしたが、コークを飲んでいまし
た。 エドモンはその旅行で大変なショックを受けました、

 ガスは、3日間は熱がありましたが、送信機の前に座ってモーリシャスから、故郷の仲間達と
交信しました。
 彼らがロドリゲス島に着く前は、天候は非常に悪く、波は非常に大きく、無線機の陸揚げは心
配でした。カヌーを下ろし、彼らは岸に向かいました。大きな波が小さなボートを持ち上げ、振
り回し、彼らは島の岩に衝突するのではと思いました。それらの巨大な波との戦いの後、ついに、
ロドリゲス島に上陸しました。

 これはガスが予想しなかった旅だったと、あとで、彼が私に話しました、
 ここで、もっと面白いものを見つけるため、私たちは島の周りの小旅行に行くつもりです。
 私たちはちょうど灯台と「コウモリの洞窟」を訪ねたところです。ここで、私は、大きいこう
もりが洞窟の壁からぶら下がり、そして、数千のツバメが周囲を飛んでいるのを見ました、それ
らすべてのこうもりが逆さにぶら下がっている奇妙な光景と、そのビーズのような目は、私の背
中に寒気が走りました。

 私は、この島で、もっと野生動物をみたいと思いました。私は、シロイワヤギ(ロッキー山脈
の山岳にいる山羊)が、象のように、イノシシがその巨大な牙でそうするようにして。岩の多い
山の崖に生息しているのを見つけました、それは、有史以前の怪物によく似ています。
 何種類もの鹿、いくつかのアメリカクロクマ、それに大きなネズミに似ているマングースがい
ます。しかしながら、蛇は全くいません。

 私は、ここが、いろいろな海の哺乳動物、もっとも大きい種類の鳥と、私が今まで見たなかで、
漁師とバードウオッチングのパラダイスであることを見つけました。

 ここは全部が珊瑚で出来ている環礁のため、沢山のきれいな貝殻があります。
また、致命傷になる七つの棘を持った魚がいます。

 ある金曜日の夕方、私たちが泊まっている小さなボーディングハウスを経営しているフランス
人と、釣りに行くことにしました。彼は裸足で、水面をでたところで、偶然この魚を踏み、棘の
一つが刺さりました。彼の足には鋭い痛みが上下に走り、すぐ足が腫れ赤くなりました。彼の足
は前にすすみませんでした。誰かが、すぐに彼を病院に運びました。
 一週間も彼はひどく痛みました、そして2週間後に私たちがそこを去ったときも彼の右足は使
えないで、腫れていました。もし、あなたがその魚を踏んだら、七つの棘があなたを刺して、そ
れは死に至るかもしれないと言われました。

そこには、人が乗れるくらい大きな亀が居ます。私は、草を噛もうとしているのを見ました、
その無力な生物には歯があるのだろうかと思いました。亀は、その食べ物を噛むのに苦労してい
るように思えました。

 私は、ある真っ青なラグーンを訪れました。
(青い水の入り江)
 そこは、風にそよぐ椰子の木々が作る木陰を通して、水面には白帆のボートが見えるとても素
晴らしい景色でした。

 あなたは「ドードー鳥」のことを知りたいですか?私は、この鳥が一度は生存していたことを
知りました。人々は、この鳥をよく笑っていたものでした。
 1598年、嵐でちりぢりになった、オランダの移住者のいくつかの船団が離れた島に上陸して、
よく、これらの鳥と楽しんでいたものでした。それらの鳥は人を恐れませんでした。
それは白鳥ほどの大きさで、醜い顔に、不器用な足、小さなしっぽに小さな羽の翼の鳥でした。
年の経過とともに、これらの鳥はどんどん捕らえられ、食用にされました。
ほかの動物が連れてこられてから、「ドウドウ鳥」は絶滅しました。1865年頃、それらの鳥の骨
がモーリシャスの湿地帯で発見されました。それらの骨は一緒にあわされて、モーリシャスの博
物館で展示されています。

 ある晩、ガスと私が夕食をとっているとき、トカゲが食堂の壁からガスのスープの中に落ちま
した。それはガスを驚かせましたか?
とんでもない。彼は「哀れなトカゲは、暑いので泳ぎたかった」と言いました!

 二日後に、無線機を梱包して、私たちのポケットには乗船切符があり、私たちは、インド洋の
セイシェル諸島、「忘れられたエデン」への旅のため、漁船、M. V. モーリシャス号に乗り込みま
した。

 島、孤独な女性、女性が男性より多く10人に一人、ここでは、彼女らはブロンドか濃い黒髪
でしょう。それが、男性の3/4をセイシェルへ行きたくなるかもしれない問題を、次の号で始め
るのにつれて、この島の孤独な女性になにが起こるのかを見つけましょう
 あなた方女性、男性を見なさい!

 私たちは、マヘに近いプララン島がエデンの園かもしれないと言う、ゴードン将軍の理論に
ついて何か見つけるつもりです。
 私たちの新しい出版の中で、セイシェル島のマヘでの面白い事実について、すぐ会いましょう。
 ペギーより73。
Post 20-090905 2005.9.6 21-091005
(The DXers Magazine #127 1969 August 20)    ( アマチュア目次へ戻る
ペギーの旅行記事・セイシェル諸島

DXサーのみなさん!
 私たちは、西インド洋のセイシェル諸島に行く船、MVモーリシャス号の上に居ます。この旅
行は、3日4晩かかるでしょう。
 私はデッキに座っています。私たちは少し前後に揺れ始めています。私は船酔いになり始めた
ようです。たった一つ、欲しくないのは食べ物です!

 キャビンへ、休みに行くつもりです。6時間ほどたちました、そして私はまたデッキへ戻りま
す。飛び魚を見る時間です。
 彼らは、海の表面を横切りながら、ハミングバードのようです。

 船が決まった動きで上下動して、それらの波は、大きな山のように見えます。船酔いの足は私
を二日間もキャビンに閉じこめました。なにも食べていなくて、船酔いとは何という悪い気分、
このような気分は他にありません。私は死んだように感じました。

 二日後、私たちはサイクロンベルトの外に出て、静かな海に入りました。このとき、数頭の鯨
と鮫が近くに続いているのを見ました。私たちは小さな島を通り過ぎました。島には住民が居る
ようには見えませんでした。
 美しい白い砂浜。私たちは、数時間デッキで過ごしてから自分たちのキャビンに戻りました。
満月で、船がゆっくり前進し、マヘがもう遠くないことを知っています。

注:JA1DM
ドードー鳥(Do Do):
 モーリシャス島、レユニオン島などにしか居なかった鳥で、これらの島に移住者が住み着いた
ため、1600年代後半に絶滅したと言われています。「不思議の国のアリス」にでてくるユーモラ
スな鳥です。この鳥については沢山のウェッブがあります。
 参考資料 「//www2u.biglobe.ne.jp/~KA-ZU/index.html」に詳細で楽しい説明が有ります。

ゴードン将軍(Charles G. Gordon)の理論:
 ゴードン将軍は1800年代に、中国、インド、スーダンなどで活躍した英国将軍で最後はスーダ
ン軍に殺されたことで英国の英雄と言われ、ロンドンに銅像があり映画にもなっています。
彼がセイシェル(プララン島)はエデンの園と言わしめたとの話があるようで、ペギーがそのことを書いている
ものと思います。将軍はモーリシャスにも派遣されたことがあるので、そのときに現地を見て発
想したのでしょう。インターネットに多くのウェッブがあり、例えば、英語ですが:
 参考資料 「//www.victorianweb.org/history/empire/gordon/bio1.html」 をご覧ください
 URLには、いずれも「http:」を前置してください。

post 21-091005

 私達のセイシェル到着の日です。私はデッキへ出て、船が海岸から半マイルほどの所に碇を降
ろしたのを知りました。帆が下ろされ、リング状の島が環礁を作っていて、水平線から上る美し
い日の出が色の帯を作ります。
 山の上にある大きな銀色のドームが私の注意を引きました。それは米国の衛星追跡ステーショ
ンであると言われました。
 私は、白い砂浜の広がりにココ椰子とシュロの木が連なっているのをよく見ました。それは本
当に美しい島です。数隻の小さなボートが港を離れて私たちの船に来て、客を乗せています。

 私の第1印象は島の美しさです。
 これらの島は、高い丘や、2990フィートもある山で、殆どが花崗岩です。そこには、足場を争
って急勾配を空に上るように、黒い岩の間に生い茂った植物があります。近くにある他の幾つか
の島はサンゴ質ですが、私にとっては、もちろんマヘとプラスリンがもっとも美しく、素晴らし
い風景です。

 次の私の印象は、のんびりした島の生活です。
 何事も急いではなされません。簡単のことでもときには何日もかかります。彼らは幸せな人た
ちです。ここでは殆ど犯罪はありません。

 女性は孤独です。十中八九まで、女性は男性より多いです。彼女らは、黒髪からブロンドまで
いるでしょうが、基本的には、ネグロ、インド、中国、ヨーロッパ、マレイそれに他の多くの国々
の人です。
 彼女らは西洋風のモラルは持っていません。この島では、男性の愛人になることは彼女らにと
って全く普通です。もしあなたが希望すれば、幾つかのタイガービール缶と、洋服のための十分
な布地で、あなたの女性を持つことができます。
 もちろん全ての女性がこのようではありませんが、95%がそうだと言えるでしょう。残りの5%
はより裕福な家庭の人たちです。この島には多くのヨーロッパ人がおり、その殆どは結婚してい
るか愛人が居ます。

 税関で私がガスを待っていたとき、ある人がガスに近づき言いました「料理と恋をするすてき
な女性は好きですか?」ガスは「いいえ、私は妻が居ます。」と言います。
 これが、再びセイシェルに彼が行きたくなった理由かどうかと私は思いました。
 女性の中には、5人以上もの子供を持っていて、父親が誰か判らない人も居ます。モラルの低
い理由は、結婚するための費用がないことからきているのかも知れません。

 そこでの主な食料は魚で、毎日捕まえられます。さらに、米、もちろんパンの木、それはサツ
マイモに似ていますが甘くはありません。彼らは、普通、それをバターで揚げて、砂糖をつけま
す。このパンの木は一年中とれます。沢山のバナナがあり、安価です。
 コプラ、ココナッツ、チョウジ、シナモン、ヴァニラを輸出しています。椰子の木の中身は、
また、野菜として使われ、多くは煮られます。私にとってそれは悪くありませんでした。

 私たちは、ビューバレン海岸へ急いでいました。ここは、ポートビクトリアからは山の反対側
にあり、ガスがアンテナを建てられる場所でした。私たちはタクシーに乗り、運転手は全部がヘ
アピンカーブの高い山を、マニアのように運転しました。私は、生きて無事に到着するだろうか
と思いました!彼にスピードを落とすように言ったら、彼はさらに早くしたでしょう。
 やっと、私たちは浜辺のコテージに着きました。私はシュロとココ椰子の木で囲まれたキャビ
ンを見つめました。ここが私の素晴らしいバカンスであったと知っていたか、あるいは少なくと
もそう思いました。

 ガスは、すぐにアンテナポールを建てるために手伝ってくれる人を探す事を始めました。
同じような古いストーリー。(セイシェルでのストーリー)
 「私は2時に来ます」しかし、誰も現れませんでした。それから、ガスは彼らがやる気がない
ことを知りました。ガスは、すぐにホテルの人の所に行きました、そして同じ古い話がありまし
た。のち程あなたにお話しします。これが2、3日続きました。
 やっと、ガスの物事が進みました。彼はハッピーだったでしょうか?ガスは、故郷の人たちと
交信しました。

 いまや、デスロチェス島への船の予約をするためのおろかな仕事が始まりました。タクシーで
毎日ポートビクトリアへ行ったあとで、やっと、ガスは彼を連れていってくれる人を見つけまし
た。
 私は、その古い漁船を見つめました。その船は魚、現地人、山羊、豚そのほかの匂いがしまし
た。しかし、私は行くとガスに約束しました。
 私は、私自身になにが起きるかを全く知りませんでした。次の週に、私たちは、この老朽船で
デスロチェス島への旅をするつもりで、そして、私たちは、私の生涯でもっともひどい旅をどの
ように我慢したかを知るでしょう。
 これは、女性に起こるべきことではなかったのですが、それは私に起きました。
 それから、私たちはセイシェルに戻って、女性のこと、プララン島がエデンの園の場所に違
いないと言うゴードン将軍の理論とこの場所についてもっと知るでしょう、
post 22-091505, 05.9.16
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