Peggy インド洋DXpedition同行記(2)
(The DXers Magazine #122 1969 June 25) ( アマチュア目次へ戻る)

 これはインド洋にあるDesrochesの島からあなたに書いているW4BPDのXYLペギーです。

 私の前の章では、私たちがまだガンビアのバサーストの小さいホテルにいました。それは夜の
およそ9:30頃でした、、そして、ガスは無線で忙しくなっていた時、突然、階下で大騒ぎの起き
たのを聞きました。
 実際、私は2、3の悲鳴を聞きました、ほとんどは、私たちがそこに居たとき、休暇で来てい
たスウェーデンの人々でした。

 ガスは、どのような騒ぎかを見るために階下に下りることにしました。私は部屋にいると決め
ましたが、悲鳴が大きくなり、人々が階段を上ろうとひしめき合っているのを見ました。私の好
奇心が勝ちました。私は階段を下り始めました、そして、スウェーデン語で話して皆本当に興奮
していました。私は階段の3/4の下り、そして、人々は階段を上ろうと突進していました。
 私は、どうしたのかと尋ねました。何人かは青ざめているように見えました。私は最後の階段
を下りた時、死んだように立ちすくみました。

 ロビーにひどく大きな蛇が居て、人々は椅子の上に立ち、2人の少女はフロントのデスクの上
に立っていました。
 ガスは何でもないかのように見ていました。蛇は階段の近くにいました。このホテルは歩道と
平らです。私はもうそれ以上見ませんでした。私は、突進して階段を登り、ドアに鍵をかけて、
窓を閉じました。ガスが、最終的に、戻って、蛇が殺されたと私に言って、彼は、そのあと蛇の
皮を国へ送るつもりでした。私は本当に蛇を十分見ました。

 数日後に、私たちは英国航空でアクラへ出発しました。ガスは、2等の航空貨物で彼の無線機
を送ることに決めました。ガスが書類に書き込む時に楽しみが起きました。彼がなにを運んでき
たかを彼らに見せるために無線機をあけなければならず、そして、彼はまだ書かねばならないい
くつかの書式のリストを持って、次の飛行機ににそれを乗せるのに贈り物をしなければなりませ
んでした。
 3時間も貨物取扱所や税関を行ったり来たりしたあとで、私たちはやっと無線機が飛行機に積
まれるだろうと言われました。
 私たちはエチオピア航空で行きました。
post18-082505,  2005.8.25

 私たちの次の場所はシエラレオネのフリータウンでした。そこでは、より長い時間待たされま
した。ここは見るようなものはありません。輝くような原色の衣服を着た現地人と少数のヨーロ
ッパ人。やっと私たちはナイロビに行く途中でした。私たちは早朝に着いたのですが、無線機は
まだ着いていないことを知りました。

 私たちは泊まるところの当てのないまま、バスで町に行き、私たちの荷物を下ろして、5Z4ERR、
ロビーに電話しました。数分後に、ロビーは、私たちを数時間の休息のために迎えにきてくれて、
彼の家に行き、食事を用意してくれました。
 ロビーは、沢山のきれいな花と立派なプールを持ったすばらしい邸宅を持っています。ロビー
は貝殻や貴金属のロックをコレクションする趣味も持っています。また、ロビーはいつも笑顔で、
ジョークを言い、あなたのために何でもしてくれるすばらしい人です。
 数時間の休憩ののち、ロビーは私たちをナイロビ野生環境保護地に連れていってくれました、
そこは野生の動物が自然のままに歩き回っています。
 この保護地区は何千エーカーもあります。私たちは、全ての動物のすばらしい写真を撮りまし
た。そして、夜遅くロビーの家に戻りました。ロビーは彼の子供達が数週間の休暇で家にいるの
でなければ、ロビーの家に泊められるのだがと言いました。

 ロビーは、他のアマチュア、5Z4KQ、フレッドとそのすてきな奥さんと二人の子供と暮らしている
家に泊まれるように手配してくれました。私たちは遅くなって到着したのに、暖かい夕食が私たち
を待っていました。なんとすてきな家族!
 フレッドの妻、マージョリーは、関節炎で体が不自由でしたが、彼女は私に何もさせず、また彼
女が不平を言うのは一度も聞きませんでした。マージョリーには本当に感心します。彼女は、小
さなことにいつも不平を言う人たちへのすてきな見本です。
 翌朝、彼女とフレッドは私たちを空港へ連れていってくれました。

 ナイロビにいる間、いろいろの人種の人たちを見ました。気候は快適です。ホテルは非常に安
く、大変にエレガントです。実際、新しいヒルトンが建設中で、街全体にも新しい高層ビルが建
設中です。多くの旅行者がここに来ます。

 ある日、私とガスが街に行ったとき、私たちだけで、田舎へ行こうと決めました。私は化粧室
へ行かなければならなくなりました。途中には、それがなく、ガスはドライバーに車を止めるよ
うに言い、彼は車を止めました。私たちは高い草のあるところに入りました。私は何も見ません
でしたが、突然ライオンの大きなうなり声を聞きました。私は車に突進して、ほとんど話せない
ほど興奮していました。ナイロビで、ライオンがそれほど近くにいるとは思いませんでしたがそ
の日のツアーはこれで終わりました。

 フレッドと子供達は、私たちをリフバレーに連れていってくれました。ナイロビの私たちの友
人にさようならを言うのを我慢して、私たちはそこにいた間、彼らが私たちを見せてくれた彼ら
の親切を決して忘れないでしょう。
 私たちはモーリシャスに向かい、来週はDXers Magazineのためにモーリシャスの人々、生活
やそのほかのことの文章を書くつもりです。
 来週会いましょう。    ペギー。
(The DXers Magazine #125 1969 July 23)

 DXers Magazineの読者の皆さんこんにちは。
 インド洋にあるモーリシャスの島の周りを旅行している、あなた方の女の子「フライデー」で
す。

 ここの領域はおよそ720平方マイルをカバーしています。この島は、長さがわずか38マイル、
幅数マイルです。あなたは、端から端まで車をドライブしてもまだすべてを見ることはできませ
ん。人種が非常に混じり合っています、中国人、インディアン、イスラム教徒、フランス人、そ
して英国人たちです。

 ここは、海面近くで、非常に暑いのですが、日中キュアパイプに着くと、快適で、夜は、毛布
の中でよく眠れるほど涼しく、普通は毎日雨が降ります。
 ここの主な輸出品、それは砂糖です。私たちは少なくとも15のサトウキビ工場を見ました。
それは島全体にあります。ときには、私が見ることが出来る全てがただサトウキビで、それは反
対側にある家を見ることもできないくらい丈が高いものです。むろん、茶畑もあります。また、
多くの果物、バナナや、レモンや、オレンジやアボカドなどがあります。さらに、カサバ、トウ
モロコシ、野菜、インジゴとクローバーがあります。

 ここは、火山島ですが、今は、活動していません。そこには、海辺に沿った砂浜と隆起したリ
ーフ、それらのいくつかは海面からの高さが20メーターほどもあります。
 私たちがモーリシャスに着いたとき、スティーブは日に焼けたにこやかな笑顔で、大きなコー
クを持って私たちと空港で会いました。彼は、赤毛で微笑ましい個性があります。でも、怒らな
いでください。

 スティーブはロドリゲス島への旅行の準備をしました。私たちは数日間待つように言われ、ガ
スは彼のライセンスを貰うために、毎日、ポートルイスへ行ったり来たりしました。まる二日間
も一日中座り続け、数人の高官と夕食をとり、ついに、ガスはロドリゲス島への許可と運用のラ
イセンスを与えられました。

注:JA1DM
 Port Louis ポートルイスはモーリシャス島の首都で島の西岸にある港町です。
 Curepipeキュアパイプは島の中央部の高地にあり、スタジアムや大学があります。
post19-083005 2005.8.31

 ロドリゲス島へ出発する前の日になって、島へ行く船が漁船のため私は乗れないと言われまし
た。スティーブは彼のコックを連れて行くようにし、彼らは土曜日の朝出発しました。
私は、日曜日にインディアンの女性とその夫と一緒に観光に行くことにしました。日曜日の早朝
に家を出てビーチに向かいました。海は波が高く荒れていて、砂はあらゆる方向に飛んでいまし
た。私たちは、そこを離れ美しい植物園を訪ねました。そこには世界中の沢山の花と木々で埋め
尽くされていました。ある池には、私が今までに見た中でもっとも珍しい、浮いている浴槽のよ
うに思われる巨大な睡蓮の葉がありました。

 私たちは2時間から3時間も歩かねばなりませんでした。昼食を取り、ビーチへ戻りました。
打ち寄せる波は荒く、海水は道路に溢れ、風は強くなりました。私たちは6時に戻りました。
 私は、風速が120マイル(時速)もの二つのハリケーンがモーリシャスに向かっていることを
聞きました。私は立ちすくみました。

 ガスは海上で、月曜日の夕方までには目的地に到着できないでしょう。
 私はフランス語を話せません。私が泊まっているゲストハウスの全部の人たちは、学校の先生
をのぞき、フランス語しか話せません。彼らは全員がひと部屋に群がっていました。私は何時間
か自分の部屋に居て、そして戻ってきてコークを飲みました、そしてある男性が嵐が向かっいる
と言いました。

 私は部屋に戻り、ガスと島の人々のために、祈りました。私は、もし非常に強い嵐が来るなら、
誰もその小さな島に残れないのを知っていました。風は吼え、木々はひれ伏し、窓はがたつき、
明かりは消えました、海は吼え、雨は激しくなってきました。
 私は眠れませんでした。4時になって、静かになりました。私は眠りにつき、そして、目が覚
めたとき太陽が明るく輝いていました。

 嵐はモーリシャスから100マイルのところにあり、海の方へ向かったと知らされました。
 ガスとスティーブはどうしたでしょう。

 次の号のDXers Magazineで見つけましょう。
 また会いましょう、ペギーより。

post20-090505 2005.9.6

(アマチュア目次へ戻る)      前のページへ戻る            次のページへ進む