インド洋 DXpedition 同行記・ペギー夫人


1970、1971年頃のペギー(提供 Gus.jr.)

以下のストーリーは、ペギーによって書かれた彼らの旅行の様子です。
彼女は夫、ガスと同じようにすばらしい人です! (John Baxley・Post 16)
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 以下の記事は、JohnおよびGusのご家族に著作権があります。
 
(Copyright (c) 2005 John Baxley and Gus's Family. All right reserved)
 従って、この記事に関連する私の記事も著作権を設定いたします。
 (Copyright (C) 2005 JA1DM, Masa Ebisawa, All right reserved) 

 (The DXers Magazine #120 1969 May 28)
第1部 まえがき

 世界中のアマチュアの皆さんへ。
 私たちが訪ねた場所と出くわした困難なことについてのストーリーを毎週お見せします。そし
て、あなたはDXpeditionに行きたくなります!

 ロマンチックとはかけ離れた場所で、故郷に居るアマチュア仲間のためにニューカントリーで
彼らが経験した喜びを聞きました。おそらく、あなたのXYLは一緒に行きたがるでしょう。(私
と同じように)彼女は、それらの場所を想像して、楽しいだろうと考えるでしょう。彼女の体調
はすばらしく、何が起きても大丈夫だと言います。
 私は、少し忠告を差し上げたいと思います。
 もし、あなたが、胃が丈夫でなく、蛇、トカゲ、ねずみ、ムカデ、すべての昆虫が嫌いなら、
また、もしあなたが船酔い、現地人を気にし、嵐と何百ものそのほかの物事を恐れるなら、あな
たは米国を離れないほうが良いでしょう。このようなたぐいの生活は実際タフな人たちだけのも
のです。あなたが遭遇するだろう、そのほかの困難、税関からあなたのセットを受け取り、時に
はそれに半日もかかります。あなたのセットを運用するためのライセンスをもらうのに少なくと
も2日を費やします。

 それから楽しみが始まります。
 さて、あなたはどこかの島に行きたい。誰かがある人物に会うように言います。あなたは、2,
3時間後に戻ってくるように言われます。あなたが戻り、そして他の人に会うように言われ、そ
れは2日かもっとかかるでしょう。時には、3人か4人かあるいはもっと多くの違う人たちに会
います。最後に、あなたは島に行く許可を入手、しかしそこに行く船便のない問題があり、そこ
で、どこか古い船に乗船場所を探し、頼むために、1週間か2週間あなたは待たされ、そして、
あなたはXYLは一緒に行けないことが判る、そしてあなたは船底の三等船室に行かねばなりま
せん。そこであなたは「まあいいや、島に行かれるなら気にしない」といいます。それから、彼
らはあなたはBIOT(英国インド洋地域管轄)の許可が必要といわれ、また何日か遅れます。

 もし、DXpeditionで予算が厳しいなら、ねずみ、コックローチ、トカゲ、ムカデ、南京虫、
時には蛇とも常に戦う、途中の一番安い場所に滞在しなければならない。もし、漁船で行くなら、
燃料の油と魚の料理の匂いで、これは非常にいやな場合があります。あなたは、最後には頻繁に
ばい菌にやられ発熱と頭痛で終わります。

 あなたは、そのホテルの屋上に行くのに8階もの階段を歩く用意ができていなくてはなりませ
ん。それで、あなたのご主人は故郷のアマチュアと交信するための良い場所を確保できます。
 あなたは、また、確実に食料の問題があります。あなたが、古き良きアメリカを離れたとき、
ホットドッグ、ハムバーグ、ミルクーシェーキ、そして氷水さえ、そのような良いものは手に入
れられません。あなたが、お茶かコーヒーを飲もうとしたとき、私たちはコーラを飲むので、そ
れらは非常に少ないか、あるいは頼むには高すぎます。あなたの可能な一番安い生活方法は、時
にバナナ、オレンジ、手に入るそのほかの果物を食べることです。
 時には、やぎ、羊、ウナギ、あなたが聞きたくないそのほかの何か、なぜなら、あなたは空腹
で、あなたが時々食べ物の中にある小さな黒い塊や泥を見つけ、見るのをやめるのを食べなけれ
ばなりません。あなたは、ただフォークを取って、それをわきへ押しやって食べます。
 あなたはあなたの夫の健康に心配します。

 バンドがどんな国にも開いている限り、彼は寝ずに起きています、そして、時々、マイクを持
ったまま寝てしまいます。そして、時々、目を覚まさせるために彼の顔に冷水をかけなければな
りませんが、しかし、彼は、パイルアップの中にいるのが好きで、すべてのアマチュアが彼をコ
ールしているのを聞くと、それがかなりのスリルを私に与えるとあなたに言うことができます。
したがって、私はプライドを捨てて、静かにして、何時も彼を励まし、私が行くことができる場
所に行き、私が行けないなら、彼が戻るまで私を襲う孤独と戦います。

 私は、メールを受け取るのが好きですが、ここのサービスはひどいものです。私は、ここの米
国衛星追跡局を見つけ、そこにアドレスを持ち、より早く郵便を受け取ることができます。だれ
でも私たちの娘ジョアンに連絡を取りたいなら、彼女に電話をすることができます。私たちは
1.00ドルでQSLsをダイレクトに出すつもりです。これは、カードを郵送する費用をカバーし、
いくらかのコーラを買う費用を残してくれるでしょう。
 来週、私たちが訪問した国についての一連の記事と私たちが遭遇したいくつかについて書き始
めるでしょう。

 さて、あなた方は、ガスが運用する許可を得たすべての島に行くのを賭けて良いです、そして、
ガスはやり尽くすまでそこにとどまるでしょう。彼がそこに居たことをARRLに立証するのに必
要な文書とライセンスを持っています。

来週会いましょう。 ペギーから88
2005.8.16
(The DXers Magazine #121 1969 June 18)( アマチュア目次へ戻る)
 私たちの旅行の始まりは、悪くはありませんでした。
 実際、私は毎日、8階までもの階段を毎日歩いたにもかかわらず、ダカールはかなり魅力的な場
所であることがわかりました。
私たちがホテルに着いて、まずガスが最初にしたことはライセンスを得たことで、彼はすぐにオン
エアーする事ができました。最初の場所から別の場所まで4時間も走った後に、担当官は、彼
がオンエアーできると言って、6W/W4BPDのコールサインをくれました。ここではすべてが順調で
ガスは多くのQSOができてすばらしかった。

 ダカールを去ってから、楽しみは始まろうとしていました。
 私たちはガンビアのバサーストに車で向かいました。それは、暑く、埃にまみれていて、ほぼ中
間地点に私たちは居ましたが、周囲は砂塵でほとんどなにも見えませんでした。私たちはドライ
バーと話そうとしましたが、彼は英語が分かりませんでした。
彼がやっとレストハウスで止まったとき、私はもうほとんど窒息するところでした。
私たちは、そこでコーラと簡単な昼食でリフレッシュし、およそ1時間休憩ののち、再び、出発
しました。

数マイルごとに、何人かの警官がパスポートを見せるようにと私たちを止めました。突然、私た
ちは迂回せよという掲示のところに来ました。私は、それが短い距離だと知っていましたが、舗
装されていないとてもひどい走行でした。
ジャングル地帯を通り、猿は木から木へ飛び、そして、時々、鹿か何か他の小動物が道路を飛ぶ
ように横切りました。前を見たら、大きな木が道路にあったように見えましたが、結局、近づい
てみるとそれは巨大な蛇でした。
 私は、車の窓を閉め、車内の熱で私たちは窒息寸前でした。
ドライバーはクラクションを鳴らし、そして、やっとその怠惰で、巨大な蛇は道路を横切って行
きました。そのときには、私は本当にいらいらしました。
数マイルもすぎてから、私たちは窓を開けました。
距離はわずか20マイルほどにすぎなかったと思いますが、私にとって、100マイルものように
見えました。

 私たちはパスポートを見せなければならない小さな漁村に着きました、彼らと1時間も話し合い
やっと私たちはフェリーでガンビア川をわたりバサーストに行くことができるだろうと彼は言い
ました。
 45分間待ったあと、私たちは翌日まで、小さな手こぎボートのほかには全く船がないことを知
らされました。私はそのボートを見ました、それは、波が高く、風のあるこのような川ではとて
も安全とは思えませんでした。
 そして、私は、港の係員にそれらのボートが今までに転覆したかどうか尋ねました。
「奥様、2週間前の夜、その小さなボートに乗って川を渡った人が皆おぼれたので私はそのよう
な方法はとらないでしょう」と言いました。
 もちろん、ガスは、行っても構わないと思っていましたが、私は世界一すばらしい泳者でなく、
 彼は無線機をなくすかもしれないと言いました。私が無線機について言及したとき、ただ、そう
しました。「いいえ、無線機もあなたも失いたくない」と、ガスは言います。

 私たちは滞在する場所を捜しました。
 小さなゲストハウスを持っているイギリス人がいました。私たちは彼に会いに行きました、そし
て、家具があれば滞在するのを歓迎すると言いましたが、彼はベッドすら持っていませんでした。
 私たちは、床で眠ると彼に言いましたが、彼は、ネズミでいっぱいだと言いました。
 それはガスをがっかりさせましたか? いいえ!
 男は、彼のところから遠くない場所にトレーラハウスを持っている何人かの仲間がいると私たち
に言いました、そして、私たちは滞在できるだろうと言いました。
 このトレーラハウスにいた人たちはガンビアの道路建設のための建設労働者たちでした。彼らは、
ほとんどがイギリスからで、それに少数のアイルランドからの人たちです。私たちは、トレーラ
ーハウスの所に行きました。

 彼らは非常に親切でした、そして、また、自分達で滞在するトレーラを私たちに提供してくれた
だけではなく、その日の夕食と翌朝の食事まで私たちにごちそうしてくれました。
 その中に、アイルランドからの神父が居て、彼はガスと私に、神父のトレーラーを使うように、
そして冷蔵庫の中のものは何でも飲むように言ってくれました。私たちが欲しかったコーラとミ
ルクがありました。
 ガスと私は、ダカールでは果物が非常に安いのがわかり、そして、毎日、私たちはオレンジとバ
ナナを手に入れました。
2005.8.24

 翌朝、私たちは早く起きていて、コックは私たちの朝食の用意ができたことを知らせたとき、
私たちは出発の準備が終わっていました。私たちは朝食をとり、友人たちに別れの言葉を言い、
(彼らは宿泊の料金を受け取ろうとしなかった)彼らはまた会うだろうと言いました。
 新しい場所に着いて、私たちは、安くて、アンテナを設置するのにベストな場所を探すためあ
ちらこちらに行きました。ガスは一つの場所を見つけ、私たちは最上階に行くのに120段もの
階段を上り、そしてそこは無線のために理想的な場所でした。

 私は女の子にエレベーターはあるのかと聞きました。その少女はただ私を見て「それは何です
か?」と聞きました。私は「彼女がからかっているのだろうか?」と思いました。しかし、そう
ではなかったのです。
 その後まもなく、ガスは再び下に降りて、ライセンスをとりに出かけ、幸運にも2,3時間で
貰えました。
 私たちは、一日に三回もその階段を上り下りしました、部分的に歩いて、途中で止まって休憩
しなければならないでしょう。そのときまでに、私の体重は減り始めていました。毎日、私は非
常に大変な仕事をしたと感じました。
 今回まで、この旅行でなにも起こらないと信じているように私は思っていました。私は甘かっ
たでしょうか?

 ホテルのロビーでとぐろを巻く巨大な蛇、、私の靴を食べる大きいネズミ、部屋中を走るトカゲ、
逃亡中のライオン、船外へ落ちて、私の水着に入るダツ、それから、私の周りで起きたもっと多
くのことに関して、私がこれから書く文章で、あなたはそれらのことを知るでしょう、
 また、この木が「知識の果物」と呼ばれるように、私はセイシェルのCoco De Mer Treeに関
する面白い話を書くでしょう、
 また、私はセイシェル島の女性に関するおもしろい事実を書くつもりです。

 さて、この話に興味がない方達はここをとばして下さい、そしてあなたの関心のあるところを
読んでしまったら、これをあなたのXYLにあげて、ここを読ませて下さい。

 ペギーより88's
post18-082505,  2005.8.25
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