W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その35)   アマチュア目次へ戻る

                                                  
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第16章 (3) ビクトリア湖を航行          

 ナイロビTVは、一日中は放送していなかったと思います。ZS(ジョージが来たところ)に居るのは、
5Z4の人達にとっては厳しいと思います。今では、その周辺では厳しいでしょう、なぜなら、レニー、5Z4GT
は、多分来年、英国に去ると思います。そこの皆の人達も去るように見えます。

 ロビーは未だそこに居ます。数週間前に私は5Z4ERRのところからウェイン・グリーン、W2NSD/1
とQSOしました。私は近い内に彼がそこを去るかも知れないと思います。多分いずれ、5Z4がレアーカ
ントリーになる日がくるでしょう。多分いつか、誰かがそこへ行って皆にニューワンをくれるでしょう。

 私がそこにいた時、ジョージが、すべての状況の非常に興味のあるストーリーを話してくれました。ル
ワンダとブルンジに出発する時がすぐ来ました、そしてジョージは列車に乗るため私を連れていってくれ
ました。ところで、ジョージの奥さんは素晴らしい料理人の仲間です。もしあなたが、いつかZS6へ行く
ようなことがあれば、彼らに行って下さい、「ガスが私を寄こしたと。」

ビクトリア湖への旅は僅か数時間でした、そして、私は列車から「グレートリフトバレー(Great Rift
Valley」」を見ました。実際、アフリカのこの部分の、何マイルもの水没した所のリフトバレーを通って、
列車は走りました。このリフトバレーは北ローデシアの近くから、アフリカを全部通って、小アジア、イ
ランを横断し、多分ロシアまでも達します。多分、その一部は、少し前に大きな地震があった、東トルコ
です。それは、列車から簡単に見ることができました。地面は何百フィートも水没していたと私は思いま
す。

 ビクトリア湖のキスム(Kisumu)に着いたら、天候は非常に暑かったです。蒸気船の荷役はおよそ4
時間もかかったと私には思えました。船は満員でした、乗客の殆どは現地人で、いくらかの人達は働いて
いたナイロビから、あるいは、ナクル(Nakuru)、あるいは多分モンバサから彼らの家に戻る人達です。白
いスーツの沢山のヨーロッパ人も、また船に乗っていました。

 蒸気船は、そこへ行くのにおよそ一日半かかるウガンダのカンパラ(Kampala)へ湖を横切って向かいま
した。船は、長い間、陸の近くを通りました、そして沢山のワニが見られました、何頭かのカバさえも、
そして、何十頭かの水牛さえも・それらの「水牛たち」へは決してからかわないように。

 私たちは船の上にいて、そして、それらは離れているので私は嬉しかった;それらは船に「意地悪な表
情」を示しさえしました。ワニは、一寸水面の下に沈み、そして視界から消えました。

 カンパラに到着して皆が岸に上がり、そして、私たちは近くの岸の近くのホテルに連れて行かれました、
そして、無料で一杯飲むように言われました。私たちのうちの何人かは外を歩き、街のまわりを歩きまし
た。私はいくつかの彫刻を買いました、そして、現地の人は品物を作りました。天候は、私にとって、そ
こらを歩くことができないくらい非常に暑く、そこで、私たちはホテルのレストランに戻りました。私は、
船に戻るように言われるまで、そこに3時間か4時間かもっとそこに滞在しました。

 小さな汽笛が数回なって、そして、私たちはビクトリア湖の南の方に行きました。船はタンガニカのム
ワンザ(Mwanza)に停泊しました。ここは、私がルワンダからの9U5JHと会う場所でした。彼はその日
の午後に着くことになっていました。

・荒らいジャングルドライブ   

 私は、ダイアモンドか金鉱を管理している、カハマ(Kahama)かシンヤンガ(Shinyanga)のどちらかから
来たVQ3
(注1)の仲間とドックで会いました。彼は元々ZSからで、そこで、私はこの時彼はタンガニカにはい
ないと確信していました。

 彼の車で、小さな町全体をドライブして、そして、地元のホテルのレストランで美味しい食事をとり、
ジョン、9U5JHがルワンダからずっとドライブしてきた、彼の1959年シボレーで到着するまでの午後遅
くまで話をしました。私たち3名は、1時間か2時間も素晴らしい「アイボールQSO」をしました。VQ3
の奴は、彼のホームQTHへ出発しました。

 給油ステーションのない、そして、全く人が住んでいないエリアの、地図にない道路を横断しルワンダ
へ戻る旅のために、ジョンは幾つかのガロン缶に、ガソリンを満杯に入れ給油しました。私たちは、その
夜、9U5・ルワンダへの道をはるばるドライブしました。

 3本のすべてのスペアータイヤが注意深くチェックされ、2個のスペア水の缶は一杯にされ、何個かの
余分なクオート缶のオイルを購入し、そして、9U5・ルワンダへの道へ出かけました。それら2地点の間
にインターステーツハイウエイがあるとは思わないで下さい。また、それが舗装道路であると思わないで
下さい、さもなければ、あなたは完全に間違うでしょう。

 この自動車旅行は、サファリと呼ぶようなものでした。実際、私は言うでしょう、私たちはサファリの
ためにパックされました。私たちは、「銃」を除くサファリのためのすべての物がありました。あとで、私
は1丁か2丁の銃を持ちたかったと思っています。それは、私の生涯で覚えている別の旅行です。

 途中ずっと、土の道で、ただ一個の道路標識もなく、とても沢山の左右への曲がり角がありました。私
にとっては、それらの全部が正しいと思えました。何回か、私たちはコンパスを頼りに道を選びました。
そうです、私たちは何回か間違った道を通りました。

 ジョンはスワヒリ語を話せるので、私たちは正しい道に戻るのに問題はありませんでした;しかし、も
しあなたがスワヒリ語を話せないなら、このような旅はしないで下さい、さもないとあなたは、あなたの
残りのすべての人生をそこで過ごしてしまうでしょう。私たちは、そのすべての旅の間で、英語をはなせ
る誰とも会わず、危険な状況だったかも知れません。

 現地人の殆どは多少とも好意的でした、しかし、彼らの多くは私に笑顔を見せず、怒ったような表情に
見えました。あなたがムワンザの町の境を離れたら、そして、数時間その道路をでたら、あなたは「アフ
リカの深部」にいると判るでしょう。あなたは臭いをかぎ、見て、聞いて、遠くにドラムの音がするのを
聞く、星でさえもアフリカ風のようです。それらの木々もそれを表します。(その旅はすべて夜の事でした。)
アフリカの映画で、そのような「上が平らな」木々を見たことを覚えていますか?さて、それらがそこに
あります、そして、いたるところにです。

 それらの、すごいドラムのビート音は、他のなによりも私に影響をあたえます。幾つかは、ボン、ボン、
ボン、ディディ、ボンのように聞こえました;他のはバン、バン、スペースをおいて、バン、バン、バン
と聞こえるときに。それらの全部が、違った音で、そして、違った鳴りかたのビートです。

 私は、私自身このように考えました、「それらの物はお互いに何を言っているのだろうか。」それらの幾
つかは、他のドラムのCQに答えているに違いありません。また、それらが止まるとき、それらは73と
言うビートがあるのだろうかと思います。それらのジャングルの音は、時には恐怖、そして、時には穏や
かです。

・沢山の野生動物

 私は前にもアフリカのジャングルの、ケニアのモンバサとナイロビの間で何回も、そして、ナイロビと
タンガニカのダラッサラームの間に2回居たことがあります。しかしその時、私は少なくとも印のある道
路で、およそ25人かそれ以上の人達と一緒にバスの中にいました。他の道路は、毎日、沢山の車が旅行
していた道路だったと言えるでしょう。

 しかし、それはあるワイルドな国のまん中へ私たちをまっすぐに導く、本当に「未開発の国」の道路で
した;ところで、そこはリビングストン博士が補給のためダラッサラームに行った時に旅行した箇所です;
そして、スタンレーがリビングストン博士を捜したときに確実に使われたところです。

 ウェインが、アフリカのこの所にサファリに行こうとしていたと私に話しました。さて、もしそうした
ら、彼が世界一周の旅から戻ったとき、私たちに話すことができる沢山の素晴らしいストーリーがあった
でしょう。私は、その夜私たちが見た幾つかの動物を彼は見たと思います。それは、その夜から翌日の半
日の旅行でした。

 野生動物は日中は眠り夜間に徘徊します。そこで沢山の違った種類の動物が見られます、それらの全部
を思い出すのはとても困難です。ジョン、9U5JHの車には、端に小さなハンドルがあり、その端に、車
のダッシュボードのシガレットライターに差し込めるプラグの付いたコードの付いているシールドビー
ム・ヘッドライトバルブが付いていました。

 私たちが、一組の目を遠くに見たとき、私はライトを点け、それらに合わせ、彼らがジャングルの中へ
見えなくなるまで、ライトを彼らの目に合わせていました。彼らの殆どは、ライトの中にいるのを避けよ
うとはしませんでした。非常に沢山のライオン、大きなヒヒ、カモシカ、シマウマ、犀や象がいました。
しかし、とりわけていたのは、道路のわきの岩の上に座って、それらの道を通ろうとする何にでも飛びか
かる準備のできている、かなり多くの大きくきれいな豹です。それらの前を通り過ぎたときは窓を閉めま
した、なぜなら、私たちは豹が車の中に飛びこんで欲しくなかったので。

 それらのやくざ者は、通常車が通り過ぎるのを見ながらそこにただ座っていました。数回、私たちは窓
を引き上げて、彼らと並行に停車し、彼らの目にライトを保ち、彼らを完全に見る良いチャンスがありま
した。もし、私たちが銃を持っていたら、ペギーは豹の毛皮のコートのための何枚かの豹の毛皮を得たで
しょう。

 彼らの皮に弾痕を残しさえせずに、彼らの目の間をぴしゃっと打つのはとても簡単でしょう。しかし、
私たち全員ができたのは私たちの安全な車から彼らをただ「見る」だけでした。さて、「ライオン」これは
彼らの猟場でした。少なくとも30分ごとにライオンを見ました、そして、通常、私たちは1頭から4頭
を見ました。それは道路のすぐ側です。彼らは、何者も恐れない豹のようでした。

 すべての動物の中でもっとも多いのはハイエナでした。そのほかの沢山の動物が見られました、そして、
ジョンはそれらの名前を知っていました。その幾つかは、アメリカのアライグマやオポッサムに似ていま
した。私のカメラのフラッシュは、いつものように、動作しないで、残念なことにそのため写真は撮れま
せんでした。

 幾つかの大きな蛇さえも、道路をゆっくり横切りました、多分ニシキ蛇。それは本当のアフリカのジャ
ングルでした、そして私はその端に一寸いました、毎回、私たち再び出発できるだろうかと思いながら、
車を止めました、。私が残念なのは、それが急ぎの旅行で、頻繁には道路に止めなかったことでした。

・アフリカの中心でDXing

 ウェインがアフリカのその場所にいる時、私たちがしたよりもより多くの時間を持てると私は願います。
私は、ペギーと私が、ニューハンプシャーのピーターバラ(Peterborough)に彼を訪ねるために行った時、
私が見た、それらの全部の良いカメラで彼が沢山のFBな写真をとるに違いないと確信しています。彼は
およそ4台、多分もっと多くの違ったカメラを持っていました;一つは、テレフォトレンズ、遠くに居て、
犀か、雄の象のために使うと私は思います。

 ムワンザからの夜の旅のあと、そして、次の日の朝の間のドライブ、私たちはルワンダ
(注2)のキテガ
(Kitega)に着きました、そして、9U5JHのホームQTHの町への数マイルのドライブ、それは、ルワンダで
よく見る、そのような沢山の小さな丘の一つの頂上にある教会の区画の中にありました。

 原則として、ヨーロッパ人はそのような丘の頂上に彼らの家を建てます、そして現地人は丘の間の谷間
に彼らの家を建てます。現地人は、彼らの敷地のまわりすべてにとても沢山のバナナの木のある、典型的
な草葺き屋根の家に住みます。

 私はバナナを輸出すると思いながら、ジョンに、どうして全部バナナの木なのかと尋ねました。彼らは
果実からバナナワインを作るとジョンは答えました。バナナワインは非常に強いもので、それのかなりの
量が現地人によって飲まれると言いました。

 私たちは、また、あちこちで、一般に丘の中腹で沢山の紅茶の畑を見ました。そのような小さな丘の頂
上では、気温はそれ程悪くはありませんでした、そして、普通、日中にはゆっくりそよ風が吹きました。
夜は非常に快適でした、そして、夜遅くは少し冷えました。

 ジョンは素晴らしい20mのクワッドを持っていました、多分それは10mと15mも、なぜならクワッ
ドは中央で支持する構造でした。彼の設備は運用デスクから片づけられて、私の無線機が置いてあり、調
整されていました。私は9U5JHでオンエアーしました。バンドは、午前3時まで安定してオープンし、
同時にどこにでも開いていました。

 すべての私の「ガスウオッチャー達」はパイルアップの中にいて、そして私はどこからもFBなシグナ
ルレポートを得て楽しくやりました。彼らにとって私はニューカントリーだったと殆ど全員が言いました、
私はそれを疑います、なぜならそこにいたブルンジの9U5達と一緒にジョンは何年も非常にアクティブで
した。

 もし誰かがレアーなところからオンエアーするなら、自動的に、誰にでも、どこでも、DXになるであろうと
私は固く信じます。彼らは、DXと交信するためだけに参加するでしょう。勿論、これはFBで、私にぴったり
です、なぜなら、パイルが大きければ大きいほど私はそれが好きです。DXpeditionは無線への大きな
興味をかき立てます、そこにDXpeditionがあります、それが理由です。

 ジョンはコーヒーポットを一杯にして、そしてコーヒーの沸かし方を私に話しました。ミルクと砂糖は
手元にありました、そしていつも、私が一寸眠くなったら私はコーヒーポットのところに行きました。

 ジョンには素晴らしい奥さんがいました、そして彼女は素晴らしい料理人でした、そこで、いつも沢山
の美味しい食べ物がありました;あなたが家から離れた時いつも探している種類のもの。

 ジョンは、彼が着いてからそこで起きたことについて、沢山の話をしてくれました。沢山の面白い話が
ありました、ライオンが現地人の小屋に入り込み、何人かの人をつかみ出し、それから、ライオンは「人
食い」のために狩りをしました。そのようなことが、アフリカの深部で起きるのは確かです。私は、たっ
た今、彼らがどこかへんぴな場所でライオンとの問題を持っているのを確信します。
皆さん、今日はこれまで、来月はもっと沢山。

 
注1・VQ3は現在の5Hで、タンザニアが独立する前、英国委任統治領だったときのプリフェックスです。
   ガスはこの章で、ルワンダとブルンジを混同して書いていますが、9U5JHがいたのはブルンジのキテガです。
   なお、ガスがブルンジから運用したコールは9U5ZZです。

083M-030507 2007.3.7
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