W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その11)   アマチュア目次へ戻る
第 6 章 (3) 遂に、アンテナが上がりました
 
 殆どあらゆる所にある、そのような大きな岩のために、最初の穴では決して終わりません。覚えていてく
ださい、彼らは土と岩を取り除くために、大きなナイフと手だけで掘っています。遂に、アンテナが上がり
ました。
 それから、私と米国との間に何があるかを見るために、自分のコンパスを取り出します。北の方、約3マ
イル離れて、私達のいる場所の高度からおよそ6000フィート高い、雪に覆われた大きな山があるのが見え
ます。(私達はおよそ8000フィートの所に居ると思います)南の方は、パロ渓谷があり、その中央にはパロ
川が流れ、川の両岸には水田があります。西の方は、約3マイル離れてほかの大きな山があります。私は、
それがおよそ5000フィート高いと思います。東の方は、僅か約0.5マイルに、およそ6000フィートと推量
するほかの大きな山です。
 あなたがブータンの何処にいるかに係わらず、周囲はすべて山で、そして、それは常にあなたよりはるか
に高いのです。私は、信号がショートパスの山を乗り越えるだろうかと懸念します。東の方向は、絶対に不
可能です。南の方は良さそうで、西の方は非常に良いようには見えません。しかし、ここは、それらの山に
係わらず、私達がAC6から運用しようとしている場所です。

 あなたは、出来るだけ努力をします。あなたは出来るだけアンテナを高く上げ、発電機を240vに設定し、
送信機を最高出力に調整し、そして始めます。TVでのGleasonのように、"それは土曜の夜良く放送されま
した。しかし、今は、TV番組は私の考えからは殆ど少しです。オールドホース(ガス自身のことです)は
日曜日の夜にどうするかと考えます。私はその番組の名前を完全に忘れました、そして、それは私の大好き
な番組でした!

 私は、ショートパスとロングパスの両方にAC6はそれ程悪くない場所であることを発見しました。しか
し、東からの信号はドロの中に沈みました。さて、翌朝の2300GMTは40mをトライします。少数のロシ
アの局以外はそこでは何も聞こえません、そして彼らはあまり強くはありません。あなたはCQを出します
が、何も起きません。それから、およそ0000GMTに、あなたは20mに切り替えます、W/Kの局がおよそ
S2から3の間で聞こえます。あなたは、何回かのCQをトライします、そしてあなたはkWの壁を破るこ
とは出来ません。それから、およそ0045に、あなたは遂にそれらの1局があなたに応答するのを掴まえま
す。それから、楽しみが始まります。 バンドは0300頃に終わります、そしてあなたは朝食をとり、そして
5日間続くお祭りを見にゾンの方へ行きます。

 何が起きるかを説明し、情景を言葉で表すために、ウェイン・グリーンが持っていたような生まれついて
の才能(揺らめく炎・flare)を持っていたらと思いました。私は、幾つかの出来事について説明するために
最善をつくすつもりです。
 
 ゾンの壁の中では、人々は開いている場所の周りに位置しています。そこには、私以外の西洋人はいませ
ん。私は撮りたいと思うすべての写真を撮る許可をラマ僧のトップの人から保証されました。彼らは、、それ
らが行われるすべてのイベントを見るために、非常に良い所で、観衆のまさに中央の場所に、私のために椅
子を容易してくれました。最初の日にはおよそ1万人の観衆がいました。
割合はおよそ次のようで:アメリカ人0.00001%(私)、インディアンおよそ0.00010%、ネパール人およそ
0.00001%、チベット人およそ10%、残りはブータン人。

非常にカラフルな出来事

 あらゆるブータン人とチベット人は彼らの固有の衣装を着ていました、彼らはそれをBookoosと呼び、非
常にきらびやかな、手製のブーツと一緒に衣服の周りに巻き付けるようにします。(また非常にカラフルに)

 全く突然に、屋根の上で二人のラマ僧がおよそ15フィートの長さの、2つの大きなチベットホルンを吹
いている、とても珍しいホルンが鳴るのを聞きました。すべての行事の間、彼らは各行事の始まりの時に導
入者を演じました。(私のカラースライドと8mm映画が良く写っていることを願っています。)私は、サウ
ンド付きの良い16mm撮影機を欲しいと思いました。来年は、興味を持っている誰かが、沢山のフィルムと
一緒に、そのようなものを私に貸してくれるでしょう。(それはTVで大きく受け入れられると私は確信しま
す。)

 沢山の犬がいました、また近づきすぎた人達を整理するため、少数の、“観衆整理員(クラウンコントロー
ラー)”と呼びましょう、がいました、彼らは5日間の間まさに仕事をしました。彼らは自分たちの鞭を使う
のを遠慮しませんでした。それが犬か人かに係わらず、彼らの鞭は打ってかかったでしょう、そして誰でも
後に下がることを知ったでしょう。私は言わなければなりません、彼らはすべてのものをコントロールしま
した。私は良かったと思います、最前列ではなかったので。

 すべてのイベントの間中、活気づけるために、そこに赤い面をかぶった4人ほどのクラウンが居ました、
そして私は、彼らが行ったすべてのことを知らせたいと思いますが、もし私がすべてのことを実際に説明し
たら、ウェイングリーンは逮捕され、そのようなことを知らせたことで訴えられるでしょう。その時、3人
のクラウンの内の一人か二人は、女性のような衣装を着ていました。あなたは、少なくとも、男女が混じり
合った観衆の中でそのようなことが行われるのを決して見ることは無いでしょう。(私は時々、個人的に仲間
には言うでしょうが、この本にはありません。それは私にとってショックでした。)

 最初、皆赤い衣装を着けた、ゾンからのラマ僧の行列がありました。それから、金色の衣装を着たラマの
高僧が居ました、そしてそれから、派手な衣装を着た高位のすべての民間人が。沢山のチベット風のホルン
と鐘がありました。全員が周り、アリーナと呼びましょう、を行進しました。この時にはすべて、彼らクラ
ウンはアリーナの側面で、彼らのショーを演じていました。

 あなたは、また、それがどんなショーであるか、驚くでしょう。周りのこの行進はおよそ30分続きまし
た、それから長いチベットホルンが鳴りました。そして彼らは皆側面の部屋の中を行進しました、それから、
動物の面をかぶったラマ僧が一人ずつ外に出てきました。彼らは様々な色の衣服を着ていました。それらは、
非常にカラフルな衣装でした。マスクは、私に少し恐怖感を与えました。彼らは、控えめに言っても、本当
に大変恐ろしく、気味の悪いものでした。“観衆整理員”は、その間ずっと、意地悪そうに、近づきすぎた誰
でも、犬や人間を強く打ち、とても忙しかったです。
JA1DM注:
Gleason  
インターネットで調べたところ、1961年頃TVのバラエティー番組"The Jackie Gleason Show"をやっ
       ていた人が見つかりました。彼は、俳優で、コメディアン、作曲家などで活躍したと書いてありましたか
       ら多分彼のことでしょう。 
Wayne Green 
ウェイン・グリーン・73 Magazineの創立者W2NSDのことではないかと思います。彼は、出版だけでな
          く、マルチタレントとしても有名人のようで、インターネットで探すといろいろな記事があります。
Bookoos 
ブータンの伝統衣装を言ってると思いますが、いろいろな資料によると、ブータンの衣装は「男
       性がゴー・Gho、女性が「キラ・Kira」と書かれています。このBookoosはよく判りません。

023M051006    2006.5.12
第 6 章(4) ヤクバター茶と仏像

 そして、この一週間の間、これらのマスクをかぶったラマ僧達はいつも、より恐ろしそうに見え、物事の
テンポはその間に次第に速くなりました。私の目撃したことが、20世紀に行われていたとは、私にとってと
ても信じられないことでした。 私は、初日に、年寄りで立派なもっとも高位のラマ僧に、彼とゾンのもっ
とも高位のラマ僧達と一緒に、お茶を飲むために、ゾンの3階に来るように招待されました、初日の午前11
時頃、私はそこに行き素晴らしく古い(あえて言うと、ふるーい)ヤクバター茶を振る舞われました!

 さて、もしあなたが当惑させるものを求めるなら、それはヤクバター茶です!あなたが、飲み終わった後
も、その独特の味は、長い間あなたに残っています。私が、彼らと一緒にそこに滞在していたとき、毎日、
彼らはそれを強要しました、ところで、それは大きな名誉です。私は、すべての昼食のとき、そして、また、
そこでの朝と昼のお茶の時間に飲みました。私は、遂に、ヤクバター茶の飲み方を体得しました。
 幸いに、私は、米国ではお米を食べる地方である南カロライナ地方の出身です。米は、ここでは基本的な
食べ物です。しかし、皆さん、すべてに、赤く辛いペッパーを、私が良く使っていた量のおよそ10倍も多
く使うのを彼らがどんなに好きであるか。私は、ヤクバター茶を飲むのは大丈夫でしたが、彼らが、いつも
それを使うのを好む、ペッパーで一杯のそれらの赤く辛い料理は、決して私は受け入れられませんでした。
このほんの少し、しかし、何も本当には沢山食べないように慎重でした。

 最後の日の前日に、彼らは大きな仏像を運び出しました。それを運ぶのにおよそ20人のラマ僧が必要で
した。これは、すべての人が見られるように、アリーナを何回もぐるぐる回りました。行列には、再び、ラ
マの高僧達全員と、高位の民間人が加わっていました。大きな仏像が日よけの下に安置された後、すべての
ラマ僧と高位の民間人はその正面で3回か4回お辞儀をしました。

 これらのすべてには多くの意味があり、私は仏教を理解したとただ願っているだけです。各行事には、そ
れが何を表しているのかについて説明があります。私に対して僅かな説明がありました、そして、残念なこ
とに、すべてのことについて、あなた方に説明できるほど、十分理解出来てはいませんが、基本的にすべて
素晴らしいことです。いつか、私はもっと良く理解できるでしょう、そして、その主題をもっと知るでしょ
う。
 もし、あなたが興味を持つのであれば、少なくとも今は、私は出来ないので、良い本を見て下さい。最後
の日は、もっとエキサイティングな日でした。その日の終わり頃には、物事は早いテンポになりました。
 あなたがこれまでに見たもっとも恐ろしい、およそ 10人の悪魔が、突然、ゾンから出てきて、皆は口笛
を吹き、叫び始め、(以前それを見ました)ました。
 彼らは、鉄でできたおよそ1/2インチの巾の、端に非常に小さなゴム片が付いた半月形をした道具を手に
持っていました。(彼らは、これで自分たちのドラムを打ちます。)

JA1DM: Daytonから戻り、Jhon W. Baxleyさんの記事の翻訳を始めました。これから、また以前のように5日ごとの
      アップロードを目指しますのでどうぞ宜しく。
024M051506     2006.5.27
第 6 章 (5) 悪魔の頭打ち

 通常は、彼らはこれでドラムを打ちますーそれを“道具”と呼びましょう、しかし今回は,そうではあり
ません。彼ら“悪魔”は群衆の中を走り、人々の頭を飛び越えます。皆は、叫び、口笛を吹き、彼ら悪魔も
そうでした。彼らは、まるで冥界*からまっすぐ来たかのように見えました。彼らの手の一つは、それらの非
常に変わったふうに描かれたドラムの一つを運びました。彼らは、何回かドラムを打ち、それから彼らはこ
の“道具”で人々の頭を打ちました、そして、私はどちらにしても“愛のたたき”とは思いません。

 時々、すべての興奮の中で、彼らは彼ら自身のコントロールを失い、頭を打つのがひどく強く打つように
なったと私は思います。しばらく、一人のピエロ(彼らはジョーカーと呼び、それは確実です)が私を指し
示すまで、彼らは私を苦しめませんでした、それから、私は私のはげ頭に彼らの打撃を貰いました。それら
の幾つかの打撃が私の頭をこすりました。これはおよそ15分間続きました。

 赤ん坊を抱いた現地の人達は、小さな赤ん坊の頭を高くかかげ、そして、赤ん坊も打たれました。勿論、
これらは易しい打ち方でした。私は、皆が少なくとも10回は打たれたと思います。

 それから、全部の“悪魔”はアリーナの中央に集まり、しばらく周りで踊りました。それから、群衆は口
笛を吹き始め、群衆は戻り、悪魔は走り続けました。全部の頭が再び何回も打たれ、それから次第に弱くな
り、アリーナに戻り悪魔は再び行きました。それから、もっと踊りがあり、群衆は口笛を吹き、再び大声を
上げ、群衆にもっと多くの悪魔の“頭の打撃”が戻りました。彼らは、これを3回、違った時にしました。
私は、沢山の人が頭をこするのを見ました、しかし彼らはその強打がとても好きだったに違いありません、
なぜならもっともっとと求め続けましたから。私もシュアしました!

 私は、これが何を意味するのかを、少し英語が出来る一人のゾンのラマ僧に尋ねました。彼は、頭への打
撃はすべての悪霊をあなたから除くものであろうと私に説明しました。人々の中には沢山の悪霊があったに
違いありません、なぜなら、すべて人の悪霊を除くのに、頭の打撃はおよそ1時間もかかりました!

 これは毎年、ブータンでの一つの大きな“一緒にする”ことです、私は再びそれを見なければなりません、
しかし、次回には私は、サウンド付き16mmカメラと沢山のフィルムを持たなければなりません。私は、こ
れを皆さんに見せたいと思います、多分TVでも興味を持つでしょう。再び質問、誰がこの道具と沢山のカ
ラーフィルムを持っていますか?

 私は、沢山の特別なイベントと同じくらいサイドライトを楽しみました。片手で絶えずマニ車を廻してい
た何人かの年取ったラマ僧が群衆の中に居ました。(右手で、時計方向に廻しただけです。これをトライして
ご覧なさい、なぜなら私はそれをトライしてみて、私にとって、そのマニ車を回す自然な方法は反時計回り
で、それは絶対に禁じられています!)
JA1DM注:
     
 *冥界・原文では「Hades」ハーデースと書かれていて、ギリシャ神話の冥界を司る神の名です。ここでは、 
           Gusは冥界の意味で使ったのだと思いますので、ここで冥界としました。
025M052006    2006.5.29
第6章 (6) 素晴らしい出来事とDXing

 彼らのもう一方の手には数珠を持ってそれを常に指でまさぐっていました。
 それから、走り回る犬が居ました、そして犬の大きな争いがしょっちゅうありました。すべての人達が彼
らの食べ物を持っています、そして、日中は決して休みなどはありません、彼らは食べたいときに食べます。
さて、野放しの沢山の犬が走り回っているとき、その時何かおかしなことが起きます。犬が誰かの食べ物に
走ってきて、口一杯の食べ物を銜え、走り、犬には幾つかの石が投げられ、大声で叫ぶなど、などです。
これは確かに何か一緒に集まることです。
 ちょっと考えてみて下さい、完全に5日間、朝の8時から夕方の5時まで、次のものに続く一つのイベン
トが全く休みなしに行われます。ただの一瞬も失われず、決して反復がありません。

 罪人は、大きな仏像の前で、何回か裁かれて、判決を下されました。罪人は、群衆の後に居るマスクをか
ぶったラマ僧の間から逃げ出し、居なくなります。人々は、そのイベントの間、人々は完全にひかれました、
そして、何人かは踏みつぶされました。すべては休日のようなムードで行われ、誰も気は狂いませんでした。

 すべてを考えて、これは私がこれまで過ごした中でもっとも楽しい週末の一つでした。これらの楽しいす
べての部分は、私のハムの活動には全くQRMではありませんでした、それは、02:30GMTに始まり、
11:30GMTに終わりましたから。

 近い内に、私は幾つかの峠を越えてQSYすることが、どの様になるかを見るために、ここから北の方の、
雪に覆われた高い山々へ“探検”に行くつもりです。近日中に、私は確かに4つの運用に注意するつもりで
す。
私の話から離れることが続きますが、しかし、これらのサイドライトは面白い(少なくとも私にとって)の
で、“時にはメインテーマから離れる”のも害ではないと思います。私は、最初のDXpeditionの残りについ
て話すかどうかと思います。これらのサイドライトが続くなら、私は思います?それが仲間とYLと。

 私は、次の号では元に戻るつもりです、約束します!そうだここに最新のブータンのプリフェックスがあ
ります。AC1, AC2, AC5, AC6, AC7, AC8, AC9そしてAC0。プリフェックスを追い求めるあなた、私は忙
しい!
73 Gus, W4BPDその他。
026M052506   2006.5.29
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