| W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その33) アマチュア目次へ戻る |
| 第15章 (3) 飛び魚と海の輝き |
ここサウスカロライナでは、私はそのコークを私の犬にあげたくないしょう。犬はそれを馬鹿にするだ ろうと思います。しかし、ソロモン島ではその一瓶のコークは直接天国から来たような味でした。 彼らが私に何を飲みたいかと聞いたとき、私はコカコーラが欲しいと言って一寸冗談を言いました、 実際、私はそこにコークがあるとは期待していませんでした。私かあるいは他の誰もがコークをたのむと 彼らが予想していたとは、私は思いません。彼らはそれを欲しがる誰かのためにQRXして、それを何年 か持っていました。さて、私は求めて受け取りました。まさかコークがでてくるとは、わからないものだ!! ソロモン島で、私たちはマネージャのフランス人の奥さんの指導で用意された、とても上品な食事をだ されました。勿論、彼らは沢山のいろいろなワインを持っていました・フランス人はそうしませんか? その晩おそく、私たちは船に戻りました、そして、数時間 /MMを運用しました。翌日の朝早く、私た ちはコプラを積みました、そして昼頃に、私たちは碇を上げVQ9マヘに行きつつありました。 さて、帰りの旅は、全部追い風ですべて本当に夢のような旅でした。いつも私は、ボートが飛び魚の小 さな群に近づいたとき、飛び魚が飛び立つのをワッチしながらデッキチェアーに横たわっていました。飛 び魚たちはヤマウズラの小さな群のように飛び立ち、勿論船から離れて、100フィートかもっと飛びまし た。すぐ、他の群が同じように飛び立ちました。それら、インド洋の飛び魚たちは、実際、海面から20 フィートも高く、まるで鳥のようにそよ風にのって飛びます。それは、美しい眺めで、それらは日光に光 り輝く明るい銀色の魚です。 夜、もしエンジンが動いていたら、よく私が見るのが好きだった別の光景は、推進器の周りの“花火で した。もし、私たちがエンジンを使っていなければ、帆だけで動いていたら、まさしく、船の後ろ側を通 り過ぎた海面は光かがやいていました。それは海中にある藻の種類であると、彼らは私に言いました。こ れが海中に沈んでいるとき、そして、私は良くはわからない何かで炎のように見えます;しかし、そこで は毎晩でした。 夜、南を見ると水平線に南十字星を見ることができました。それは南極の近くのブーベ島でのように、 あるいは、私がスコットランドとアイスランドの間にあるフェロー諸島にいた時の北極星のような、殆ど 天頂ではありませんでした。 船のデッキはでは、いつも、素晴らしい涼しいそよ風が吹いていました、そして帰りの旅は、私が経験 した、どこででも、どの船でもの旅のおよそもっとも素晴らしい旅の一つでした。この旅では、私たちは モンスーンベルトの外にいました、そして、これがこの旅を本当にスムースなものにしました。この古い 船は、あなたを毎晩揺らせて眠らせる揺りかごのようでした。スムースに、やれやれ。 それは、あなたがどこか遠くの島に行くことを考えるとき、あなたがいつも夢見る旅行の種類でした いつか、私はそこへペギーを連れてそのような旅行をしたいと思います。彼女がそれを好きになるだろう と私は確信しています。 ・マヘ島のホテルセイシェル マヘに戻ってきて、チャゴス島への私の旅を支払い;再び、私は小さなホテル“ホテルセイシェル”に 行きました、そこは部屋と食事が全部付いて一週間22ドルの値段でした。 私がそこにいた時、ホテルにはDC電源の他には電気はありませんでした、それは全く私のためには何 の助けにもなりませんでした。そこで、私の小さなパタパタをつなぎ、そして、更にもう少し、1ガロン 80セントほどでガソリン(ここではぺとロールと言います)を買いました。 私は、そこのホテルは、今はポートビクトリアから24時間ACの電気があることを知っています。そ この各ホテルの部屋は草葺きのヒュッテを持っているホテルで、そのすべてが海岸に沿って並んでいます。 彼らは、いつも、私に一番端の部屋をくれるので、私が運用している時にパタパタは誰も起こしたりしな いでしょう。 ところで、そこでの食べ物、沢山のパンの木、パイナップル、オレンジ、ココナツの果肉、レモネード、 そしてあらゆる方法で料理された魚はとてもFBでした。更に、かなりしばしば、海亀の肉、沢山の自家 製のケーキ、そして、一週間に一回か二回、アイスクリームさえもだされました。これが全部で一週間22 ドルでした;悪くないでしょう? 再び、チャンスがあれば、いつも、私はドックエリアへ向かいました。私は3個の40メーターのAM フォーンセットと40メーターにあわせたBC受信機をマヘへ送っておきました。彼らは一台をマヘのオ ーナーの家に、一台をマヘの彼の息子の家に、そして残りの1台をアルダブラ島に設置することを希望し ました。ご承知のとおり、アルダブラは外の世界との無線の回線を全く持っていません。彼らが持ってい るすべては、通常はBBCを聞くため、そして外の世界で起きたニュースを知るためのトランジスターラ ジオです・あたかも彼らが関心を持つか気にすることを、普通彼らは関心はありませんが。 近く、別の船がコスモレドとアサンプション島へ寄ってアルダブラ島へ向け出帆する予定でした。彼ら は、アルダブラ島の代わりにアサンプション島へユニットを設置することを決めました、なぜなら、近く、 彼らはアサンプション島でグアノを採掘する計画でした。このため、彼らは2日後に出発する準備ができ ていると私に言いました。 あなたが、70フィートの長い竹のポールを建てる新しい方法を見たいなら、セイシェルの仲間に仕事を させて下さい。これが、私のために彼らが建ててくれた方法です。彼らは、彼らのナイフで素晴らしい穴 を掘りました、そこでは、柱の穴を掘る掘削道具はありませんでした。彼らは、2本の大枝のる樫の木に 似た木の丁度真下に穴を掘りました。 一人の仲間がロープを持って木に登り、それから、彼らは竹の細い方の端にロープを巻き付けて、竹の 細い方の端を、彼らが掘ったこの穴の縁に置きました。それから、10人の仲間が、皆で竹の太い方の端を 掘った穴の方へ押し始めました。木の上の仲間がロープをゆるませ、ポールの太い方の端を非常にゆっく り穴の方へ押しました。 私は、この仕事をするにはもっと良い方法があると彼らに説明しようとしましたが、誰も英語を話しま せんでした。簡単な仕事をするには、いろいろな方法があるのだと言うことを私は学びました;それらの 殆どは、私たちが米国でいつもしているような方法と違います。 ・アルダブラへ出帆 勿論、彼らは、遅かれ早かれ、終わらせました。しかし、それによって、あなたは髪の毛を引き抜きた くなります。(そして、あなたは知っているように、私は沢山引き抜く必要はないのでしょう!) アルダブラに向かっていた船は、ほとんどは非常に多くの海亀の荷を積んで戻る予定でした。アサンプ ション島での停泊は、何かの病気の治療のためマヘに居たマネージャを連れ帰ること、また、そこに40 メーターのAM装置を設置することでした。 その船はVQ9HB、ハーヴェイの船の約3倍大きい・かなり大きい船でした。キャプテンは、100%純 血のセイシェルのキャプテンでした。非常にたくましく、そしてモンスーンのまっただ中でも彼のクルー が聞くことができるような素晴らしく大きな声でした。 私は、彼が釘をかみ砕き錆を吐き出すことができると思います。彼は船のボスで、彼が命じたとき彼ら はすぐ応じました。私にとって、彼は父と同じくらいに親切だったので、私は何も不満はありませんでした。 彼は船の上で使うための何か特別な食べ物を持って来ていました、そして、この場合、私は彼の船という 言葉を使いません。 船は、ポートビクトリアで非常に成功した人の一人のティモロジーさんに所属していました、そして、 彼はかなり裕福だと私は思います。彼の店は、他の島への旅行のための品々をいつも仕入れに行く店でし た。彼の店には、これまであなたが必要だった殆どすべてのものがありました。コークさえありました! (シンガポールからの)私が最終的にVQ9へ出発する前に、私はティモロジーさんとかなり親しくなりまし た。彼があなたをよく知れば、彼はFBな人です。 船に行き、大きな舵輪のそばの船尾楼甲板の上に私の /MMの装置を置いて、私はすべてのものを船に 積みました。今回は、私はパタパタを乗組員の宿泊場所の屋根の上にマウントしました、なぜなら,その 時は東南の季節風がピークの時でした、そして、私たちはその猛威の中に向かっていたのを知っていまし た。 私は、パタパタを海水から防ぎたかったのです。そこの上でさえも、その嵐の中に入ったときに遭遇し た巨大な波によって、それは海水にびっしり濡れました。それらの波は、アルダブラエリアの周りの殺人 者でした、そして、アルダブラは北マダガスカルによって部分的に遮蔽されていました。 皆さん、本当に、それらの波はマダガスカルの東にあるトレモリン島の周囲では普通でした、なぜなら、 モンスーンの風の完全な突風から遮蔽する大きな島がありませんから。あとの私のストーリーの中で、も っとトレモリンについて書かれるでしょう。私たちはVQ9を出発し、いくらかのコプラ、乾燥した魚、 郵便の配達、そして必要ないくらかの供給物を積む短い2日間の停泊のために、VQ9C(コスモレドグルー プ)へ向かいました。 それから、私たちはハーヴェイがサイクロンベルトと言っている方向のアサンプション島へ行く途中で した。私たちは、猛烈な風、雨、そして、波がどれほど高かったか私はわかりません、しかし、私にとっ て、それはまるで船に降りかかってくる山のように見えました。 |
| 079M021507 2007.2.18 |
| 第15章 (4) 誰も船酔いにならなかった |
私たちは、いつも揺られていてサイドボードを上げていてもベッドの上での戦争でした。船酔い?笑わ せないで下さい:船に乗っている仲間達はその言葉がどのような意味を持っているか知りません。私につ いては、胃の中の蝶(船酔い)をコントロールする方法をずっと前に発見していました。私は、私自身に 船酔いにはならないと言い、私自身がそれを信じて問題は解決しました。そのため、たとえ毎日、毎分ず っと船が揺れても船酔いにはなりません。年のほかの時に時々それが止まるようには、揺れは決して止ま りませんでした。 私は、私のリグを船尾楼甲板に設置しました;そして言わせて下さい、私たちは海面からおよそ40フ ィートの高さにいたと思います。私たちは、船のあらゆる揺れ、横揺れや前後の揺れ、にあいました、そ して、その高さでは揺れはおよそ5倍にも増幅されました。私の運用場所にある、船に取り付けられた椅 子に腰掛けて、私はすぐ、船の揺れをとりこむことを学びました。それは船の一部になりました。それが 前後に揺れたとき、私はそれにそって前後に揺れました。 私が /MMで運用している間、私はアルダブラスイングにあっていると誰かに無線で言いました、そし て、本当に私はそのすべての言葉を意味しました。それは、ずっと穏やかで素晴らしかったチャゴス諸島 からの戻りの旅とまさに正反対でした。そうです、確かにそれは違っていました。 ご承知のように、世界のその地域の船は基本的に帆船です。さて、私たちの船もその中の一つでした、 そしてクルーは帆を前後に動かすのにいつも非常に多忙でした。彼らは、いつも、船全体にわたり沢山の 動きをしました。クルーは、高波と戦い、帆の位置を変えながら、船じゅうを絶え間なく敏捷に動きまわ っていました。 ついに、およそ6日後に私たちはアサンプション島を見つけました。私たちは、島の風下で岸からおよ そ半マイルのところに停泊しました。島は私たちを外洋から非常に良く遮蔽しました。 私は、最初の上陸ボートにすべてを積んで岸に行きました。彼らが、小さな家を建てるための材木、ド ア、窓、そのほかを降ろしている間、私はちょっと運用しました。また、私は大きな12Vの電池2個と風 力発電式充電器を設置しました。40メーターのAMフォーンARC-5無線機は24Vで運用しました。 私は、風力発電機を運用状態にして、島のマネージャーに、最初の日に一個の電池を、もう一個の電池 はその翌日に充電しなければならないと説明しました。(風力発電機は12V専用でした。)彼は、私の説明 をわかったと言いました、しかし、私は彼が言ったことにまだ疑問を持っています。 そのAMフォーン無線機の変調は低く、私は全く満足していませんでした;しかし、島での私たちの時 間は非常に制限されていて、翌日には島を離れなければなりませんでした。へんぴな所に設備を持ってい く人へのヒント;あなたは、無線機のテストにテストを重ね、そして、USAを去る前にそれがまさしく適 正に動作することを確信しなければなりません。近くに、ラジオ材料屋のない、遠く離れた島ではいくら 慎重であっても慎重すぎることはありません。 ・第2回目のアルダブラで あなたは、たとえ一本のボルトかナットでさえもそのような島では見つけることはできません。あなた が必要とするものは何でも全部持参しなければなりません、あるいは、あなたができる最良のことをすべ て何もなしでします。皆さん、準備しましょう。時には、2本の線をキャンドルを使って半田付けします。 私は、何回もしました、そしてそれはできました。 私たちは、アルダブラ島へ向けてアサンプション島を出発しました;それらの二つの島の距離は50マ イルかそこらです。私がアサンプション島に居た間に、もし誰かが私と交信してもあなたはニューワンは 得ません、なぜなら、それらは同じ島嶼のグループであるためそこはアルダブラと同じにカウントされま す。 私たちがアサンプション島を出発するやいなや外洋は未だ荒れていました、そして、私たちがアルダブ ラの島陰の後ろに投錨するまで航行はかなり荒れていました。私たちは皆上陸し、通常の郵便が配達され ました。 私のアンテナが上がりました。私は、また、懐かしいアルダブラから2回目の運用をしました。パイル アップは前回ほど大きくはありませんでしたが、それでも未だパイルはありました。私にとって、非常に 静かで、基本的には誰もいないバンド全体を聞くことはいつも興味があります。皆が、黙っていて、そし て、どこかのスポットに行くことであなたは時間を失ったと思います。それから、最初のCQを呼びます、 そして多分一局が応答します。あなたは彼とレポートを交換しスタンバイします。そのあと、多分2局か 3局があなたをコールします、そしてあなたはその内の1局に応答します。それから、およそ3回目の QSOで多分25局があなたを呼んできます。それから、パイルアップのピラミッドになります。それが大 きくなるよりも早く交信しないと、あなたは埋もれてしまいます。あなたは、ダウン5、あるいはアップ 5などを言い続けながら、あなたはコントロールを続け始めます;その時でさえ、“下手な人”は、あなた の周波数の上で呼び続けるでしょう。 私は、私の周波数でコールする沢山の局を聞きました、毎日毎日、そして、多分毎週毎週でさえ。彼ら は、決してログに記録されません、なぜなら私の周波数では決して誰とも交信しないことを、私は基本と しています。私は、しばしば、ダウン5や、アップ5を私が言ったのを、それらの“下手な人”がどう考 えたかと思います。彼らの頭は完全に曇っていたに違いありません。 DXingへのニューカマーの人達へ、パイルアップの両側を経験した友人からヒントを得なさい;DX局 を聞きなさい、そして、彼がそうするように言ったことをしなさい。誰かを聞きなさい、彼が交信し、そ の局の周波数を観察し、そして、その局の運用のスタイルとスピードを観察しなさい。あなたが聞いたこ とを真似するようにしなさい。現在の局のあと、DX局が誰と交信するかを観察しなさい、彼の周波数を 聞きなさい、そしてDX局がどの方向に同調していくかを考えるようにしなさい。ほかのオペレータを出 し抜いて下さい。多分、W5VAがしているようにしなさい;信号強度を研究しなさい、そして、あなたが その大きなスキップ(原語はLoud skip・注)を持っているのを知ったときコールしなさい。 来月会いましょう。Gus |
| 注・Loud
skip・この意味は判りませんが、ルートが開いたことでしょうか。 |
| 080M022007 2007.2.22 |
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