W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その27)   アマチュア目次へ戻る
第12章 (7) ハーヴェイはマヘでガスを歓迎    
 
 長い埠頭にある入国管理事務所に私たちを下ろすため乗客用ランチが停まったとき、いつものように長
年の良き友人ハーヴェイが、私を待ってそこに居ました。自宅に居る全てのDXサーが私の信号を待って
バンドをスキャンしているのを私は知っているので、それぞれの瞬間にその前の時よりも更に少々エキサ
イトしました。

 私が非常に沢山の友人を持っているのを知ることは、私にとって常に感激でした、先頃、W6ISQ(私は
このドットが好きです)がQSTに書いたように、彼らを“ガスウォッチャー”と呼びましょう。この事
実は、私が海外に居るとき決して私の心から消えません。私は、可能なかぎりできるだけバンドに現れる
ように努力します、私は彼らを落胆させたくないので。

 私がW4BPDの自分の局でどこかのレアーDX局が現れるのを、何時間も待っていたことを覚えていま
す。勿論、何回も失望しました、なぜならそれらのDXペディション局の幾つかはバンドに現れる時が来
ても当てにはならなかったので。

 私は、特に、スキップのピークが始まり、そして、終わったその前とあとの両方のピークだった時に、
オンエアーするだろうと当てにされるようになるような私の評価を強く望みました。

 DXサーのみなさん、私がDXペディションのとき、あなたが私と交信するのを望んでいる以上に、私は
あなたと交信することを本当にとても望んでいます。私はどの局よりも沢山のお金がかかっています。

 そのようなレアーなスポットに私が派遣されたことに沢山のお金が費やされたのを私は知っています、
そして、誰もが彼らのお金が無駄に使われていないと感じて欲しいと思います。

 VQ9では、いつものように税関と入国については、全く問題ありませんでした。今回は、彼らは私のこ
とについて少しばかりよくチェックしました: どこに、どのくらい滞在しようとしているのか、そして、
この旅行の目的について尋ねます。殆どの質問に対する私の普通の答えは、私は“ツーリスト”で無線は
私の趣味ですという平凡な申告でした。少なくともそれがVQ9での私の答えでした。

 そこでは、ツーリストは歓迎されます。そうです、ツーリストで溢れていない、そしてツーリストへ料
金を高くして、ツーリストへの罠をしかけない、世界で残された少ない場所です。

 セイシェルでの女性と男性の割合は、およそ9対1だと誰かが私に言いました。これは、非常に高い
SWRで、これはここでの人生を非常に面白くします。私は、この割合は全く正しいとは思いませんが、
その割合はかなり高いです。

 ポートビクトリアの町の時計は毎時間2回鳴ります。

・二つの埠頭と亀のいる池

 人々のカラーは真っ黒から100%白色まであります。優勢なカラーはありません。そこに住んでいる誰
も他の人々とは非常に平和に暮らしています。非常に深刻な人生をすごしている人はいないように思えま
す、そして、一生懸命に働くような人も誰もいないように思えました。彼らは、気楽にしています、そし
て、何をするにも誰も急がないように思えました。

 毎朝、10時頃はお茶の時間で、そして勿論午後の4時頃にまたお茶の時間があります。これが、皆がし
ていることです。およそ12時に(昼の)全ての店が閉まり、そして3時頃に開きます。

 マヘの主な町はポートビクトリアです。ここが、島の唯一の港町で、そして全ての船が来る場所です。
ここには二つの埠頭があり、一つは長い埠頭、長さがおよそ1000フィートで、大きな船が錨泊する深い
水道に向かって延びています。

 この埠頭に沿って、幾つかの船舶修理店、入国管理事務所、そして、アルダブラ島から連れてこられ生
きた亀が入れられている亀の池を、見つけるでしょう。彼らは、亀が売られるまでそこで飼っています。

 それから、短い埠頭、それは長い埠頭に平行しています:それは、およそ500フィート延びて、私は、
それが長い埠頭からおよそ500フィート離れていると私は思います。ここが、ハーヴェイの船を留めてい
るところで、そして他の小さな船も留まっています。

 ハーヴェイと私は短い埠頭の終端の方へ歩きました。私が到着した時からおよそ2年前、カンサス市の
仲間達と私が島から出発した時と同じ場所に留められている彼の船を見ました。

 私たちをVQ7へ連れていってくれる、小さな船のオーナーに紹介されました:Jakeと言う名前で、船
は、Lua Luaと言い、それは、1/16インチの鉄板で造られ、長さ約36フィート、幅約8フィートの良い
船でした。

 この船とオーナーの背景について良い話があります。Jakeと彼の家族は長年にわたり北ローデシア、コ
ンゴのカタンガ州の国境のすぐ隣に住んでいました、Jakeは自動車とトラックの車体を作る仕事でした。
彼はオーストリア出身で、長い間アフリカに居ました。

 コンゴ問題が、最終的にコンゴの国境にまで及び、コンゴ人によって、彼らの小さな町のすぐ側の家々が焼かれ、沢山の人
達が殺されもしました。

065M121006  2006.12.14
第12章(8)ジェイクは素晴らしいボートを作りました   

 明らかに、彼らは国境がどこで終わったのか知らなかったのか、きっと彼らはそれを気にしなかったの
でしょう。とにかく、ジェイクとその家族は彼らのアフリカでの日数を定めました、そして彼らは出てい
きました。

 彼は、多分ポピュラーメカニックスか、何かそのような雑誌でボートの説明を読みました、彼はトラッ
クのボディーを作るために、沢山の鉄板を持っていて、完全に装備された金属の店を持っていました、そ
して、どの大洋からもとても遠いそこ北ローデシアで、ボートを作るための意志も持っていました、

 使用法の説明書と一緒に、中古の六分儀も注文もしました、彼は、その人生で以前に一度も海にでたこ
とはなかったのです。六ヶ月間の厳しい作業の後ボートは完成しました。彼は、ボートの中の全ての場所
を何か役に立つ目的に使いました。実際に、それぞれの内部の壁は、いろいろな物を入れるための小さな
金属のキャビネットで覆われていました。ジーゼルオイルタンクが船中に造られ、そして淡水タンクも造
ってありました。それぞれの物はそれぞれの場所にありました。

 ボートは、トレーラで、北ローデシアの北西からインド洋まで、すべて陸上を牽引され、水面に置かれ、
そして、ジェイク自身でボートをずっとセイシェルまで航行させました。彼の家族(妻と娘)は遠洋定期
船でモンバサからセイシェルまで行きました。多分、彼女らはジェイクと彼の中古の六分儀による航海を
信頼しなかったのでしょう、あるいは、きっと彼らはボートを信頼しなかったのでしょう、あるいは多分
その何れも信頼しなかったのでしょう。

 さて、ジェイクは無事にここVQ9で彼のボートの中に居ました。ボートは、基本的には帆走船で、主
にドックに入るための小さなディーゼルエンジンを積んでいました。帆走のマストは、私の見積もりでは、
高さ60フィート程度で、またその特別に高いマストに釣り合うために非常に深いキールでした。

 私には、ボートは良さそうに思えました、そしてW0AIW-Lee Bergrenとカンサス市の仲間達がそこに
居なくて、私と一緒にそれを見ないのが残念でした。彼らはこの小さな船に惚れ込むと確信しています。
全てが整然として、全てが新たに塗装されそしてエンジンも良さそうでした。それは、私が以前VQ9や
その周辺で見た他の船とはちっとも似ていませんでした。

 その中でも、もっとも素晴らしかったのは私がそこに着いたときにはジェイクは出発の準備が出来てい
たことでした。

・ ホテルセイシェルは素晴らしい

 とにかく、私たちは”Temolgees”の店により、私たちが必要になる全ての物資を買いました:ガソリン
50ガロンのドラム、沢山のBully Beef、(私はハーヴェイが好きな食べ物だと思います)、ソーダクラッカ
ーの缶、沢山のお茶、砂糖、クリーム缶、そして沢山のそのほかのもの。ハーヴェイは何が必要か知って
いました、そして、彼は食料、燃料、その他の適量を選ぶ素晴らしい仕事をしました。これら全てにおよ
そ3日間かかりました。

 この間に、私はホテルセイシェルにチェックインし少し運用しました。バンドは、VQ9からのいつもの
ように非常にFBでした。私は仲間に、アルダブラはまもなく運用されるだろうと言いました。米国本土
の仲間達は、彼らがおよそ1週間かそこらのうちに休むことを、彼らが働いている所の人に言う理由を既
に考えていたと思います!

 ホテルセイシェルはVQ9でのもっとも良いホテルの一つです。それは、海岸にあるわらぶき屋根のヒ
ュッテの長い列でできています。それぞれのわらぶき屋根のヒュッテがホテルの部屋です。その中程に、
大きなわらぶき屋根のヒュッテがあり、それは食堂、読書室、そして何か会合がある時の皆の集合ルーム
です。

 私は一晩中発電機を動かしたいと私が彼らに説明したあとで、私の発電機で誰も起こさせたくないので、
彼らは私に一番端のヒュッテをくれました。私が持ってきたこの発電機は、十分な消音が出来ない非常に
小さいマフラ付きで非常にうるさいものでした。

 私の部屋の前のビーチでの出来事は非常に面白いものでした、特に日没後は。満月の夜には、そこのビ
ーチで実際一晩中、ビーチのそこかしこで、そして、ビーチにぎっしりの椰子の木の下で、沢山の悪ふざ
けで彼らは楽しんでいました。

 ビーチはそのような満月の夜は非常ににぎやかな場所でした。島のまわりでは、リクリエーションは殆
どないので、彼らは日没後特に満月の夜にすることを見つけました。さて、沢山の男と女が一緒に集まる
ときどうなるか判るでしょう;彼らは何かすることを見つけます。もし、そこに付添人が居たら、私はそ
れらを決して見たり聞いたりしなかったでしょう。

 そうだ、私がそこに滞在したとき、ホテルの料金は一週間でわずか22ドルでした、そしてそれは食事
付きの部屋代でした。食事は非常に素晴らしく、dれも、何についても今まで不平を言いませんでした。
もしあなたが素晴らしいバケーションに行こうと思うなら、セイシェルに行くことを強く勧めます。

 私は、来月、あなた方にもっと沢山お話しができます。 73 Gus

066M121506   2006.12.18
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