| W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その17) アマチュア目次へ戻る |
| 第9章 (1) 錨を上げて 前の頁へ |
| 第8章の最後では、ガスはW0AIWとW0UQVと一緒にマヘ島にいて、そこは、彼ら全員が、VQ9HB、 Harvey Brainと共にアガレガ島かアルダブラ島のどちらかに行く目的での場所でした。船はHarvey からチャーターされることになっていました。 計画では、私たちがモンバサから到着次第すぐ出発する準備ができている筈でした。しかし、いろい ろな要因から、船は、我々の到着次第出発からは長い道のりでした。我々が、一日かそこらで出発する 状態で船を手にするのは殆ど不可能に見えることを知ったとき、我々の何人かは、すぐにモンバサに戻 りたいようでした。W0の仲間は決まった日までに家に戻るかなり厳しい日程でした。私自身の場合は、 決まった日程はなく、問題は、お金に関することでした。多くの話といろいろな制約での多くの話の後、 私たちはその船を決めました。 海の状態を「多少」とも言いましょう。Harveyは「Temolgeeの店」に行って、私たちに必要な品物 を買いました。私たちは、私たちの無線機を船に積み込みました。送信機は小さなテーブルにくくりつ けられました、そして、発電機はデッキの前に固定されました。 年長者のDoc、W0UQVは深海用の釣り具を持っていました。Harveyは黒猫を、ガスには、W0UQV がそれを見て毎回笑った、だぶだぶの半ズボンがありました。それらのだぶだぶの半ズボンは全くどう しようもなかったのです。それらは、非常に大きすぎましたが、私はかっこよくはきました。私は、皆 が持っているような「半ズボン」も持っていました。 料理用ストーブ(料理用ストーブは、少々軽蔑されて使われる単語)は、ガソリンの入った2個の50 ガロンの、固定されたドラム缶のすぐそばの、デッキの中央に置かれていました。Macam (コック)は米 が入った大きな袋を持っていました。HarveyはPoopデッキの上に風力発電機を持っていました。 私たちは、殆ど出発する準備ができていました。 私たちは、Harveyがいつも船を止めている、―彼らは「short dock」と呼んでいるードックに、朝早 く集合しました。私たちは船に飛び乗りました、Harveyは乗組員を急がせ、(全部で4名)すべてのロ ープ、錨などが引き上げられました。古いクライスラーのエンジンが回され、私たちは約6ノットの通 常のスピードで出航しました。Harveyは、ショートドックと海峡の深い水路の間の、ブイの迷宮、そ の他の障害物の間を、非常に上手に船を操縦しました。 Mikeは彼の深海用釣り竿とリールを取り出し、スピナーを付けて、船の後に約150か200フィート 繰り出しました。Macamはオープンデッキで料理に忙しくなりました。さて、料理用ストーブについ てお話ししましょう。デッキの上に作られているのは、3か4インチの厚さの砂で覆われた、デッキの ほぼ中央でした。沢山の砂で囲われた中央に、その上には、ポットと鍋を置くための、4個の金属の棒 のようなものがありました。使われた燃料は木片で、それはポットと鍋の下で燃えていました。これは、 あなた方が呼ぶ本当の「オープンエアー」のストーブでした。 |
| put putt: 発電機の回る音からこのように呼ばれた |
| 039M073006 2006.8.1 |
| ・油まみれ、魚のフライ 勿論、風はいつもどこかの方向から吹いていました。今、遠くないところにある50ガロンのペトロ ール(米国ではガソリンと呼ぶ)は面白い話です。それは、私にとっては心配ではないと仲間に言いま した。私は、それは保険会社を心配させるだけで、それは私と保険の人達の両方が心配する必要は無い と言いました。私は、この推理の線が非常に上手くいったとは思いませんが。 Harveyの黒猫は、デッキを忙しそうに行ったり来たりしていました、私は思います、飛び魚がデッ キに飛び込むのを探しながらだと。Harveyは船員達が帆を下げたり、変えたりなどするのを監督する ので多忙でした、全部が、あちこちで使われるフランス語と沢山の言葉の混ざった、彼らがセイシェル で使う変な言語で。ところで、Harveyはフランス語を流ちょうに話します、しかし、それには私でも 認めることができる英語のアクセントがあります。 私たちはアガレガ島へ向かい、当時、アガレガは“ニューワン”でしょう。ビクトリア港はその背景 に消え、海は非常に良いムードでした:時計のリズムのような小さな良いうねりで。船は、一方から反 対へ揺れ、それから船首が下がり、それから後部が下がりました。私は、これをマヘ・ツイストあるい はセイシェルの揺れと呼びました。それは、少なくとも私にとっては、何か本当に(心を)和らげるも のでした。 これまで、海上に居たことがなく、船酔いの袋を欲しくなるような、そのような感覚を十分持ってい なかった、私はくつろいでそれを楽しみました。この全部の時間、およそ最初の3時間かそこら、私た ちは、陸地からはあまり遠くない、開いた海峡に居たので外洋の白波から遮られていました。 年長のW0MAFは彼のトロール竿を監視していて、まもなく、彼は大きな魚を釣り上げて言いました、 “わかるでしょう、私はこの旅行を楽しもうとしていると。”そうです、その時彼が言ったのはその言葉 でした!私たちがマヘ島のはずれまで来たとき、私は、彼方の深い海にきれいな白波と大きな波がある のを見ることができました。私たちが島に遮られなくなって、本当の大洋に入った時、状況がとても面 白そうになってきたのを、私は知ることができました。そうです、状況は一寸後に面白くなりました、 それらが確実だったと言います 。 このすべての時間、Macamは彼の米と魚の調理で多忙でした。知っているように、そこでは、魚を 揚げるとき、頭を付けたまま、それを脂っこい油のようなもので揚げます、それは決して、魚が茶色に なりません。実際、同じ魚、完全に調理されたとき、最初にフライパンに入れられたときと同じ色です。 それの唯一の違いは、魚の身は良く調理されていて、それでも、私は繰り返します、それは非常に脂っ こい! Booは多少とも、彼の目をストーブの上の、そこここに飛び散るハネとフライパンの中の魚と、近く にあるそれらのドラム缶のガソリンに注目していたのに、私は気づきました、 さて、小さなふねで大洋にいどもうとする私たち4名の陸上の人がここに居ます。私は、船の長さは約 40フィート、巾は12フィートだったと、私は一人で考えたと言います。 |
| 第9章 (2) 悪い臭いの状況 |
| それは、基本的に小さな船で、ドッキングの時、あるいは全く風のない時には、普通、小さなジーゼ ルが使われます。それは、基本的に、静かな海に相応しい船です、そしてHarveyは良い船のキャプテ ンです。Harveyは、どの様に彼の船を操縦するか知っています。彼は、船がどうなるか、それがどう ならないかを知っています。彼は、船の乗組員の扱い方も非常に良く知っています。Harveyは、私が 思うには、独身です。彼は、ほぼ私と同じ背丈で、彼はセイシェルに居るときは、母親とポートビクト リアに住んでいます。 彼の船は、木造船で、非常に頑丈で、耐えられます。しかし、船の上では家のような便利さはありま せん。あなたは、揺れ動くハンモックで眠り、このような船が持っている、通常の臭いがあります。 臭いは、一寸魚臭く、一寸ジーゼル油の臭い、一寸ケロシン(彼らはこれをパラフィンと言います!) そして一寸ガソリンも。それから、その他の臭いの混ざった人間の臭いがあり、そして、勿論、その他 のものと一緒に、小さな黒猫の臭いさえもあります。そこで、控えめに言うために、臭いの悪い状況で あると言うのが、安全であると私は推測します! しかし、これはDXpeditionです。このDXpeditionの語は、物事が正しく進んでいないとき、そし て状況が一寸良くないときに、いつも私に最初に浮かびます。オーそうだ、DXpeditionは、いつも最 初に浮かびます。私は、いつも、自分の家にいる仲間達のことを考えます、私たちをワッチし、彼らの 送信機を準備し:彼らの前や後のドアをロックし、そこで、彼らは、FCCに邪魔されないで、素晴らし いウンkW機を安全に動かします。 そうです、それが、いつも私が最初に考えることです。昔の人が言います、何事が起きようと、ショ ーは始まらなければならない。そこら中の幾つかの臭いは、必然的な結果であるというのが、少なくと も私の意見です。私たちは、新たなカントリー?アガレガ島へ向かっていました、そして、より早くそ こに到着すれば、私にとってより素晴らしいです。 私は、3A2サンマリノとCampion de' Italy でレースのサンプルを経験しました、そしてそれをもっ と経験したいと思いました。勿論、私たちは、我々が行く途中であると仲間に告げるために、船から、 幾らかの /MMを運用しました。この時、私たちはマヘ島の一番端に着いて、いいよ大洋に向かいま した、そしてその白波と、美しい大きな、広い波に向かいました。そうだ、私たちは到着しようとして いました。ハ、ハ、ハ。皆さんアーメン。 皆さん、私はこの小さな章を1965年8月に書いています、このアガレガへの旅は、(少なくとも私が そこへ行こうと計画した)5年前の1960年(注)8月でした、そこで、あちこちの一寸したハイライトの 幾つかは忘れられたでしょう、私のどんなメモもここ4X4には持ってきていないので。 私は、今キブツと呼ばれる場所で、4X4VBを運用しています。ここは、4X4の協同農場と呼ばれる ものの一つです。ここの、これらの農場は大家族のような形で運営されています。ここは、小さな方で、 僅か約2,000エーカーで、成年の作業者約260人が居ます。およそ半分が男性で、半分が女性です。全 員が、大きな食堂で食事をします。各家には、大体4家族が居ます。家々は、故国のモーテルのように 長いようふうに建てられています、そして各家族が使うのに3部屋を持っています。 ・キブツおよびラクダに乗る しかし、彼らが米国で計画するなら、私は疑問があります。キブツの人達は、いつでも彼らが去りた い時に去れます。誰も、留まるように強制できません。それは100%ボランティアです。ここに住んで いる人達の殆どは、そして、彼らの子供の多くは、ここで彼らの生涯を過ごします。彼らは、家には屋 根があり、着るための衣服、沢山の美味しい食べ物、医療、そして、働くのに年を取りすぎたらリタイ アーできる安全さがあります。それは、そのようなキブツでの非常に素晴らしい生活です。多くの若い 人達、米国からでさえ、ここに来た多くの若い人々は、夏の間、部屋があり数ヶ月仕事をします。支出 なしの休暇のようなもので、しかし、渡航費はありませんが賃金が支払われます。ここに来て、逃げ出 すのはあなた次第です。あなたが到着したら、彼らはあなたの面倒を見てくれます。それは、まったく 悪い取引ではありません。殆どの人が、一日僅か、およそ6時間働いています。そこには、プールとス ポーツ施設があります。私は、あなたに言います、それはOKのようなものです! 私は聞きました、あるいはどこかで読みました、どこか他の国の集団農場の生活は、あまり楽しくな く、そして、あなたが欲してもそこを去ることができません。ここでは違います。いいえ、いいえ。も しあなたが、生涯の安全を考えているなら、ここはその場所です。私は、彼らが長い長い間、多分50 年かそれ以上、これらを運営してきたことを理解します。従って、彼らは働いています。キブツのため に沢山。 皆さん質問させて下さい、あなた方の誰かがこれまでラクダに乗ったことはありますか?これは、ラ クダの背中に乗り、誰かが写真を撮るのを意味しているのではありません。そうです、一日中と夜中の 半分ほどを乗ったかと言うことを意味しています?私たち、Dick YA4Aと私、私たちがアフガニスタン に行ったときに乗りました。私たちは、ラクダに乗りました、なぜなら、それが、私たちが運用する場 所に行くたった一つの方法でした。 私にとって、それは楽しいものではありませんでした。私たちは、背中にも乗りました。私は、なぜ、 彼らがそれらを“砂漠の船”と呼ぶか判りました、なぜなら、ラクダが、その砂をあるいて横断する間 中、それが前後に揺れるので、船酔いのようなものになるので。午後になり、そして、それはいつも午 後に、およそ午後4時頃、それらの砂嵐がやってきて、その後2時間か3時間砂が飛びます。その時、 あなたあなたが聞いたことのある遊牧民の一つで、あなたのラクダの鼻面を見るのも難しいです。私は、 それらのラクダがそのような砂嵐のあいだ中、本能で多少とも歩くと思います、彼らを誘導する自然に 持っているレーダーによって。あなたは、本当に、ラクダの上に座っている、二人の酋長のように見え る服装の、私とDickとを見るべきです。無線機器と発電機は他の4頭のラクダに縛り付けられました。 これはDXpeditionの困難な方法です。このような種類のDXpeditionに関する限り、Dickと私には それがあったと思います。しかし、あなたがレアーな場所から運用することをトライしているのを知っ ています。今回は、ただ、レアーなプリフェックスからの運用でこれはゲームの一つです。Dickはあな たにとって素晴らしい友人で:なぜなら、彼は素晴らしいオペレーターで、アフガニスタン語を上手に 話し、そこにいるすべての人達と非常に良く気が合うので。 |
| 注:原文は1959年になっているが、これは1960年のためJohnさんと相談して訂正しました。 Nomads: 遊牧民 come hell, or high water:「何が起きようと」の意味で使われるそうで、地獄が来ても、高潮が来てもの意味からのようです。 |
| 040M-080506 2006.8.3 |
| お断り・来週、再来週は、私の都合で(ハムフェアー他)このページの更新ができませんので ご了承下さい。 8月末になって更新したいと思います。 |
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