W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その15)   アマチュア目次へ戻る
            第 8 章 (3) カイロでの滞在は最高              前の頁へ

 ある晩、誰かが私の部屋のドアをノックしました、開けると、私がこれまで会った人の中でもっとも
かわいいお嬢さんの一人が立っていました。彼女は14才くらいで、典型的なエジプト人の顔で本当に
美しい姿でした。私は“お入り”と言いました。(ハイ、そう言わない人はいないでしょう!!!)
 彼女は、アテフの妹だと自己紹介しました。私は聞きました“あなたベールは?”彼女は“私は現代
のエジプト人で、そのような古いファッションのベールは決してかぶるつもりはありません”と答えま
した。(私が、3年後にカイロに戻ったとき、女性のベール姿がはるかに少なかったのに気づきました。)

 この若い女性は、大変きれいな英語を話しました、そして私たちは長時間会話しました。彼女は、ア
メリカのいろいろなことについて知りたがり、私は可能な限り話しました。今日まで、私がカイロにい
るときに、彼女の妹が私を訪ねたことをアテフは知らないと思います。彼女は数日後に、アメリカにつ
いて知るために、またやってきました。

 カイロにいる間に、私はAbraham Charmy SU1IC?に会いました。彼は素晴らしい友人でしたが、
もう決して彼はオンエアーはしません。彼は、当局から彼の免許証を持ってくるように通知されたよう
に思います。それは、全く何の説明もなしに即座に取り消されました。彼らは、また、彼の家に行き、
送信機と電源の間のすべてのケーブルを切りました、そして、封印ワックスで封印し、そこに公式シー
ルを貼りました。私は、彼にどうしてかと聞きました?彼は、このようにされた理由は判らないと言い
ました。

 私は、ある種の独裁国ではあなたに何も説明しないだろうと想像します。そして、それが行われます!
本当に自由な国にいるあなた方は、あなた方がどんなに幸せであるかを知りません。多くの国で、彼ら
は何事も誰に対しても説明する必要はありません。もし、あなたがあまりに多くの不満を言ったら、あ
なたは刑務所で終わりさえするでしょう。あなたはただ黙って、彼らが取り分けるものを取ります。皆
さん、私たちアメリカ人がどのくらい幸せか、そして、多くの人達がそれを知りません。私たちは、す
べてを当然のことと思って、他の世界ではどの様であるかをめったに考えません、。

 勿論、ピラミッドの近くにいる間に、私はラクダの背中に座り、写真を撮りました。これこそが“ガ
ス旦那”だと私は言いたい。後ほど、ペギーと私がピラミッドを訪ねたりラクダに乗ったりしたときの
ことを皆さんにすべてお話しするつもりです。カイロで、私の小さな“ペントハウス”に14日間滞在
した後、ナイロビへ出発する時が来ました。アテフは私が出発しなければならないことをとても落胆し
ました。彼は、私の旅行の帰りに、ここに戻り数ヶ月は滞在するように招待しました。私は、エジプト
での滞在がもっとも楽しかったと正直に言えます。私は、本当にそこに“住んでいました“。沢山の美
味しい食べ物、車での旅、個室、そして全部無料!これ以上何を望めますか?私はそこを去るのは
本当に残念でした。私は、東洋の王様のように暮らしました、そして、いつも楽しみました。

 ナイロビへ行く途中、飛行機が止まった最初の場所はスーダンのハルツームでした。私は、そこに3,
4日滞在し、写真を撮りたいと思いました。飛行機は夜の午後10時頃着陸しました、そして皆さん、
ドアを開けたら、熱風が殆ど私を焦がすほどでした。ひどい暑さ!

・ハルツームでのシャワー

 あなたは私のことを知っていますね:私の旅行の方法は、いつも、どんな予約も決してしないことを。
この一回だけは、私は前もって空調の効いた部屋のホテルを予約するべきでした。なぜなら、私はハル
ツーム全部を探してもそのような部屋を取れませんでした。何も見つけられなかったので、2つの大き
なゆっくり廻る天井ファンが付いている、普通のホテルの部屋で諦めました。私は夕食後にシャワーを
浴びました、日記を一寸書いてもシャワー、新聞を読んでもシャワー!全く何も身に着けないで、ベッ
ドのシーツに横たわり、2つの天井ファンを最速にして、睡眠をとろうと努力しました。犬のように、
汗が私の体から流れました。私はそこに横になり、汗が流れ、気温が100度まで下がった午前2:30頃
に、私は眠りに落ちました。

 私は翌日の午前7時に目が覚めましたが、既に暑くなっていました。朝食の後、カメラを持って、写
真を撮りに散歩をしようと決めました。私が見たただ一つの珍しいことは現地人の黒人でした。彼らは、
私がこれまでに見た中で絶対にもっとも黒い人達だったと言えます。ハルツームでは、私は何か写真を
撮るようなものを見ることはできませんでした。私のフィルムを使うような、良く見えたものは全く何
もありませんでした。私の予定は、そこに3,4日滞在することでした、しかし、バカ暑い天候、そし
て見たり訪ねるような興味のあるものが何もないので、ハルツームは私の場所ではないと考えました。

 すぐに、私はエチオピアのアディスアベバへ出発しました。ハルツームとアディスアベバの間で、今
までに私が見た中でもっとも荒れた国を見ました。沢山の大きな山と湖がありました。この飛行の途中、
一つの場所で、三つの湖を見ました。一つは青、一つは緑、残りは黄色でした。

 私は、飛行機からカラー写真を撮りました、そしていつものように、それはとても良くはありません
でした。飛行機からの写真は、普通、それは何か素晴らしい、あるいは最良とはならないで、ただみす
ぼらしいだけであるため、それを撮るほどのものではないことが判りました。あとで、私は沢山の写真
を撮りました、まさに私の目の前の、エベレストとヒマラヤ、それは非常に印象的に見えました。しか
し、写真では、それは他の山と同じように見えました。

 アディスアベバは実際に新しく、非常に美しく、そして大きいところでした。私はアディスアベバで
一晩過ごしました、近くを散歩し、宮殿と通りで何枚か写真を撮りました。そこは、およそ1マイルを
越えるような高度であったので、そこの気候は大変素晴らしかったです。

 遠く、ケニヤのナイロビ、私は“ライオンの国”と呼びます、へ行きました。最初の夜、ダウンタウ
ンのホテルに泊まりました。私は5Z4GTに電話をしました、そして、彼は私を訪ね、彼の家に連れて
いってくれ、そこで、素晴らしい彼のXYL Lilleteと彼の娘Gertieに会いました。
私たちは、素晴らしいアイボールQSOをしました。
035M071006   2006.7.16
第8章 (4) ナイロビでの楽しい滞在

 私たちは、LenyとLilleteが何年も何年も過ごしたChagosでの生活について話しました。それから、
私たちはLenyが生まれて育ったMauritiusの生活について話しました。私はVQ4GTで沢山のQSO
もしました。George、VQ4GTとRobbie、VQ4ERRが私たちを訪ねてきて、非常に素晴らしい時を過
ごしました。私は、Robbieがおよそ30年間もケニヤに居て、ナイロビで成長したので、そこでのやり
方を熟知していることを知りました。

 Lenyと過ごしたある晩、(私はもっと過ごしたかった)私は、Gertieの部屋で寝ていて、彼女が居間
の寝椅子で寝ていたのを知りました。私は彼らに負担を負わせたくないと決めました。George、VQ4AQ
と話した後、W0の仲間がカンサス市から現れるのを待っている間の数日間、彼の家に滞在するように
招待してくれました。私は、Georgeが本当に実際的な友人であることを知りました、そして、友人の
ために何でもしました。彼の素晴らしいXYLも同様でした。私は、彼らの家で非常に歓迎してくれた
と感じました。Georgeは私をナイロビ中と、ナイロビ市のすぐ外にあるGame Preserveへさえも連れ
ていってくれました。そこには、歩き回っている沢山のライオン、象、犀、シマウマ、カモシカがいま
した。それらは、私たちを見に車までやってきさえしました。勿論、それらが車に近づいたときには窓
は閉まっていました。すべてを考えて、Georgeの家での滞在はもっとも楽しかったと言うことができ
ます。

 数日後に、カンサス市からの仲間が到着しました。Lee、W0UQVはダウンタウンのホテルに滞在し
ました。彼らは、1トン近い無線機、発電機、アンテナ、予備部品などDXpeditionの用意をして本当
にやってきました。私が到着する20日ほど前に、I1ABがミラノから航空便で私に送ったと思われる私
の無線機はまだ届いていませんでした。Leeと仲間達が沢山の装置を持って来たのは私にとってラッキ
ーでした。ナイロビで数日を過ごした後、すべてをチェックし、少し観光をし、モンバサへの出発の時
がきました。

 私たちは、すべての無線装置を持って、鉄道の駅に行きました。それは、ものすごく沢山のものでし
た。私たちはモンバサへのチケットを買ってから、私たちの列車のコンパートメントに入れるために全
部の無線装置が運ばれました。改札口の職員がこれらの全部のものを見て、“一寸待って”と言いました。
彼は、上司を呼び、これについて議論し、少なくとも“無料”では、私たちはその大量のものを持ち込
めないと彼らは決めました。私たちは議論に加わりました、そして、何も結論は得られませんでした。
この時、Robson、Robbie、VQ4ERRは立ち上がり、切符切りに次のように聞きました“駅長はどこに
いますか?”駅長室はすぐ近くで、Robbieはそこに行き、数分後に戻りました。彼は言いました、“荷
物を列車に積みなさい”、そして、すぐにそうされました。

 Robbieは、成果を得るために、何を言うか、それを誰に言うかを知っていました!LeeとMikeが一
つのコンパートメントを、Macと私がもう一つのを一緒に使いました。これらのコンパートメントは箱
で溢れるばかりの状態で、そして、チケット職員が“無料”でこの荷物を持ち込むのはひどく多すぎる
と言ったのを私は理解することができました。私たちはコンパートメントの中では殆ど動けませんでし
た。ナイロビからモンバサへのただ一つの列車は夜行列車です。それは一泊旅行です。ナイロビを午後
7時に出て、モンバサに午前7時に着き、その旅行をするなら、コンパートメントで、いつも寝ていな
ければなりません。

・モンバサでのショッピング

 私たちは、ナイロビの人達に別れを告げ、モンバサへ行きました。モンバサに着いて、私たちはホテ
ルにチェックインしました。気候は非常に暑かったです:およそ5000フィートの高度のナイロビより
ずっと暑い。モンバサはまさに海岸のけはいがして、気温については高度によるプラス分を全部失いま
した。あなたがモンバサに居るときに眠りたいなら、空調の効いたホテルの部屋にしないと苦しみます。

 モンバサは、大きな倉庫とドック群のある、典型的な港湾都市です。そこには世界中の至る所からの
人達が、アデン、サウディアラビア、マスカットとペルシャ湾の港からのアラブ風の船がいます。また、
勿論、南アフリカとオーストラリアからの大きな船、そしていつも沢山の米国の船が荷物を積み卸しし
ています。地面で、何でも売っている沢山のインド風の店のバザールがあります。彫刻、竹製品、象牙
の彫刻、フックにかけられた肉―ハエに覆われた、干し魚、鮮魚そしてひどい臭いをあなたは見つける
ことができます。

 翌日、私たちはセイシェルへの船に乗ることになっていました。昼食後、私たちは皆自分の部屋に入
り、空調の良く聞いた部屋で仮眠しました。仮眠の後、Mickは散歩すると決めました。彼は1時間ほ
どで戻り、私は彼に、外の回りを見て面白いものを見たか聞きました。現地人が売っている、それらの
可愛い木の彫刻について彼が見たすべてを私に話しました。それは私には面白そうで、私自身で見るた
めに出かけました。

 どこでも、彼らが何かを売りつけようと私に寄るので、私はゆっくり歩かされました。彼らが私に自分の
商品を見せ始めたある場所で、ただそれで、私がその値段を交渉し始めました。彼らは、何かを私に
30シリングだと言いました。それで、私は3シリングをあげると言いました。それで、彼らは“20シリング
でどうか”と言います。それで、私は5シリングが私の最高の値段だと言います。それから、彼は原価の
15シリング以下では売れないといいます。私の最高の値段は7シリングと言います。彼らは、損してしま
うだろうと言い、私は12シリングで買えるだろうと。私は、ノー、ノー、ここに10シリングがあると
言います。私は、そのように言っている間、そのお金を手の中に持ち、彼らがためらっていると、私は
立ち去り始めます。彼らは、25フィートほど立ち去らせてから言うでしょう、“OKあなたに売ります”、
それから彼らは商品を新聞紙の一部で包み、それを私に手渡します。
036M071506   2006.7.17
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