The Times and Democrat紙に掲載された記事 (その3)                 アマチュア目次へ戻る
The Times & Democrat, 1990年7月15日(日曜版)インタビュー T & D スタッフJoyce W. Milkie

(インタビュー記事・その2の続きです)

 (注:このインタビューの後まもなく、1990年8月21日、ブラウニング氏は 82才で逝去され、
この記事が彼の消息を伝える最後のものとなりました。)

*すばらしい思い出

 
しかし、彼には、これらすべての旅行でいくつかのすばらしい思い出を持っています。
 そして、旅行では、自分の国を忘れてはいませんでした。「妻と私はこの国のすべての州を訪ねました!」
「すべて全部です!」 彼は言いました。
 ブラウニング夫人は、本当に、彼らはそれを始めて、やり遂げましたと言いましたが、カリフォルニアに
着いたとき、彼女の家族の不幸のために彼女は家に帰らなければなりませんでした、しかし、ガスは旅行
を続けて、計画したようにその旅行を終わりました。「彼はすべての州に行きました!」と彼女は言いました。
そして、彼らは、彼らの旅行の日は終わったと決めました。
 「私の妻は確固とした態度を取りました!」と、彼は言いました。「私たちは何年も旅行しました、そして、
彼女は言いました、‘これを私たちの最後の旅行にしようと言って、私たちはそうしました。」
 その時までに、彼らの4人の子供は大きくなり、自立しました、そして、一人で家族の面倒を見なければ
ならなかった彼の妻にとり、それがいつも容易だったというわけではないと言いました。「しかし、私は少な
くとも2年ごとに、時にはもっとしばしば帰って来ました。」「私が米国に近かったなら、その時には1週間や
10日間は帰って来たでしょうが。」

 いろいろな国々での信仰、およびブータンでの時、そこでは何も殺さない人々について学びましたとブラ
ウニングは言いました。「彼らはどんな状況の時でも何も殺しませんでした。」「ブヨと虫でさえ」と彼は言い
ました。彼らは腕や脚でただそれらを追い払います。「私たちは、ピシャリと音を立てて、それらを殺すで
しょうが、彼らはそれを考えないでしょう。」
 食物はいつもおいしいわけではありませんでした。「キャベツのような味の野菜でした。」ガスは頭を横に
ふりながら、「しかし、彼らは鶏肉を料理する方法を全く知りませんでした!」「また、彼らは痩せた鶏肉を食
べました。」と彼は言いました。

*荒れた海で

 彼は船で旅行しました。例えば、ときに彼は乗客の半分が船酔いになっているとき、頭の着いたままの
魚をどのように料理をしたかを話しました。この特別な旅行で、アメリカ人の、ハービー、この船の船長は
三脚と焼き網を持ち出し、木製の甲板のすぐ上で魚を焼きました。また、ガソリンが直ぐそばにありまし
た。彼はその頭の着いたままの魚を料理しました、あなたがそれらの脂の多い魚を食べるとき、あなたは
それらの目を見ながら。
 男性の一人、カンサスシティーから来た脳外科医が何匹かの魚を買いましたが、彼はその一つを見て
手すりの向こうに投げました。誰かが私に聞きました、彼は何をしたのかと、そして私は、彼は魚を調べて
いたのだと思ったと言いましたとブラウニングは言いました。「私、私は全く船酔いになったことは有りませ
ん。」

 「ある晩、私たちは投錨しなければならず、そこで島の後ろで停泊し、寝ました。私は寝ている場所に
蛸を見つけて目が覚めました。」
 「私は、ある時、マダガスカルの誰かと話しました、それは、その時未だポルトガルの所有でした、彼ら
が私に来るように招待しました、そこで私は行きました。」
 彼は、「大洋のまん中で」禁煙する事について賭けた話をしました、そして、彼は賭けに負けたと言いま
した。

 彼は、水から突き出している岩の大きな塊の周囲をサメが廻っていることについて話しました。「それは
ハムラジオにとってもっとも素晴らしい場所の一つでした、混信がなく、サメ以外には何もない」と彼は言い
ました。 彼らが、孤立したリーフに無線機の場所を設置した時のその間、彼らはそれをセットアップしよう
として、そして、彼の椅子を後ろにずらしていて、サメのいる水中にいることに気づきいたと彼は言いました。
「それはおよそ朝の2時か3時頃でした、そして、それを捨てました!そして、私は出来るだけ早くそこから
でました。私たちは、その椅子を決して取り戻しませんでした。」

*動き続けました

 ブラウニングは、彼が旅行したルートをいろいろな色で記した地球儀を持っています。彼の仕事場の2つ
の壁にはマダガスカルの風景の絵が掛けてあります。彼は、それらを彼のバッグの中に巻いて家に持って
きたと言いました。
 旅行は次第に費用がかかるようになりましたが、しかしブラウニングは、「仲間が私にドルを寄付してくれ
る限り、私たちは世界中を旅行するのを続けました。」と言いました。
 ブータンへの旅行の内の一回では、ブラウニングは、チベットへの寄り道旅行をしたと言いました。
 「有る早い朝、夜明けの頃、誰かが私を見ていると感じました。私はよく見ました、そして私をじっと見つめ
ているのは白い雪豹でした。私は、何か武器を手に持つまで、少しずつ動きました、しかしその時までに、
豹は私への関心をなくしました。豹が私を食べても美味しくないと計算したと私は推測します。とにかく、豹
は大股で去りました」と言いました。

 幾つかのカラースライドの箱は、世界の沢山の国々の中に居た彼を示していて、ブラウニングの宝物の
一部です。しかし、ブラウニングの想い出が彼の宝物です。彼は思い出して笑うと言いました。あるいは、
時々彼は悲しくなります。そして、彼はまた旅行をしたがっています。
 「しかし、ペグがノーと言います。」彼は笑いながら言いました。
 「私が動き回る日々は終わったと思います。」
Post 43-123005  2005.12.31
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