The Times and Democrat紙 |
この記事は、W4BPD,
ガス・ブラウニングの地元オレンジバーグで発行されている新聞「The
Times and Democrat」に掲載された彼のインタビュー記事や報道をまとめたものです。 なお、この記事は、今から45年も前に書かれたものなど、非常に古い記事もあり、当時と現在では時代背景 が大きく違っています。また、一般読者向けの内容になっていますので、今、私たちが読むと少々違和感を 持つ部分が有ることをご理解下さい。 なお、記事中の出発日などについて一部には、必ずしも正確ではないように思われる部分も有りますが、そのまま 記載しています。 同新聞はウェッブも作っていますので、興味のある方は次のURLでご覧下さい。 http://www.thetandd.com/ この記事は、ガスの友人(また、私の友人)John W. Baxleyが彼のホームページに掲載したものを翻訳しました。 |
The Times and Democrat紙に掲載された記事 (その1) アマチュア目次へ戻る |
「ガスはアマチュア無線家達のために世界一周に出かけます」 ガスは1960年10月に最初のインド洋DXpeditionを実行しました。この時に続く第2回DXpeditionのため、 米国を出発したのが1962年3月28日でした。従って、このインタビューは彼が第2回インド洋DXpeditionに 出発する約一月前のことで、同新聞の契約記者「Dean B. Livingston氏」が彼にインタービューしたものです。 The Times and Democrat, 1962年2月25日、日曜版 |
*彼の特別な島 ガス・ブラウニングは世界地図のインド洋にあるセイシェル島を地図で指さします。 ガスはセイシェルが世界のパラダイスだと考えます。 彼は昨夏そこを訪ね、今年再び訪問する事を計画しています。 彼のスケジュールによると、セイシェルが彼の世界一周の最初の目的地でしょう。 オレンジバーグの無線狂は電波の状態を調査します。 「ハム」として良く知られている、アマチュア無線家の世界では、ガス・ブラウニングと言う名前は遠い場所 とかすかな信号に関連しています。アマチュアの送信と受信のために電波を発信するために何処へでも、いつで も出かけるハムオペレーターとして、ガスは世界中で知られています。オレンジバーグの成功したビジネスマン であるガスは、昨年ヨーロッパとアフリカの100以上もの国と島を回り、3万回以上もの交信で先鞭をつけ、国 内での最有力なアマチュア無線家の一人と考えられています。 来月、彼は無線の状態を調査するために世界一周旅行に出発し、そして地球上のすべての地点で、アマチュア 無線家とおよそ7万5千もの交信をします。この調査は1年かかるでしょう。 この期間は太陽黒点が最小になるときで、無線状態には理想的であるため、次の12ヶ月の間、単独での無線 探検を行う必要があるとブラウニング氏は言いました。彼は、太陽黒点がこのような次の研究を許すには1974 年になるだろうと付け加えました。 オレンジバークのアマチュア無線家はアラバマにある非営利科学的ラジオ団体のスポンサーシップの協力を得 るでしょう。彼は世界中のアマチュア無線家の代表となるでしょう。過去32年間、ブラウニング氏は情熱的ラ ジオ狂でした。オレンジバーグからおよそ7マイル離れたところの彼の家の後ろにある送信機と受信機は我が国 で最も良いものの1つであると考えられています。その殆どは自作です。 「1年間の有給休暇のように、そして私がもっとも好きなアマチュア無線家との交信をすることと、世界を見 るチャンスのために」51才のブラウニング氏は世界への調査を行います。費用は主に国中のアマチュア無線家か らの寄付で、アラバマの団体が、ブラウニング氏の旅行の費用と、それにまた彼のサービスも負担するでしょう。 ブラウニング氏流の旅行は、普通の世界旅行に比べれば費用は少ないでしょう。ファーストクラスの旅行は彼 の好みではありません。彼は気楽に、そして訪問する国の習慣に従うのが好きです。 この調査の間、ブラウニング氏は多分、世界中のアマチュア無線家の中ではもっとも多くの受信者を持つでし ょう。彼のメッセージは、未知のハムのあちらこちらの数百のポイントを、鉄のカーテンの後ろでさえ、世界中 の国に追加、記録すると予想されます。 スーツケースに入れた175Wの送信機と受信機だけで、ブラウニング氏は全部一人で行くでしょう。彼はど んな外国語も話せませんが、彼は決して心配しません。「私は身振りと手振り、それにポケット版辞書の助けを借 りれば、人々とコミュニケートする方法はいつでもあります。」と彼は言いました。 殆どの旅行者を悩ませる旅行の旅程表も何も心配しません。「世界中のアマチュア無線家は、お互いに相互に理 解して、彼らの友人達に備えています」と付け加えました。彼は言いました、昨年の旅行で、私は半年出かけま した、そしてホテルの費用は僅か83ドルしか使いませんでした。「実際に、私がオレンジバーグに戻ったとき、 多くの一般旅行者の買い物と、そして284ドル以上も私は残しました。」 今年の調査は、無線活動の非常に少ない、インド洋の離れた島々、アフリカのジャングル、赤い中国の影のヒ マラヤの山岳地帯、インドの飢饉地帯、ペルシャ湾とアラビア半島の小さな王国、中東の古代遺跡、野生のオー ストラリア、太平洋の島々、そして白人達がめったに訪れない多くの場所をブラウニング氏は目指すでしょう。 この旅行のハイライトは、西洋の文明を好まない、紅海にある小さな国、ミステリアスなイエーメンへの訪問 でしょう。これまでのところ、ブラウニング氏はイエーメンのビザは取れていませんが、希望を持っています。 ネパールでは、彼の部屋の窓からエベレスト山を直接見ることができるホテルに泊まる予定です。 彼は、鉄のカーテンの後ろのどの国にも行かないでしょう。「私は、今年はどのようなトラブルも起こしません」、 明らかに、彼は共産主義でコントロールされた国々で遭遇した困難について言及しながら言いました。 *共産主義ならむしろ死んだ方がよい 1961年7月から12月まで、異なった100カ国の、世界のほかの地域と3万回もの交信をして、ブラウニング 氏はアマチュア無線家のための非公式な国際大使になりました。旅行は米国のアマチュア無線家の個人的な寄付 でまかなわれました。ブラウニング氏は、どのような送信も出来ませんでしたが、鉄のカーテンの後ろ側でも多 くの時間を過ごしました。 彼は全ての共産主義国家のアマチュアから素晴らしい歓迎を受けたと言いました。鉄のカーテンの後ろ側の 人々は友好的でしたと言いましたが、しかし共産主義国家に住まわせられるなら死んだ方がましだと言うときに は言葉を加減しませんでした。 彼は、東ドイツで、西側に逃げたいと強い希望を持っているカップルと過ごしたことについて話しました。彼 らは11才の娘の親だと言いました。ガスが娘は何処に居るのかと聞きましたら、彼らは娘は政府で働いている と返事しました。続けて、彼は東ドイツのカップルに聞きました、もし彼らが逃亡するなら娘を含めるのかと。「娘 は100%共産主義者で私たちは彼女を信じることが出来ないので、私たちは娘を残すでしょう。」と言ったとブラ ウニングは伝えました。 彼が訪問した他のどの国々よりも、東ドイツは多くの不満と不安が見えたと彼は説明し、「東ドイツの人々は、 時刻を聞くことさえしたがらないほど警察をひどく怖がっていたと。」彼は、東ドイツではすべての第三者が警察 官に見えたと言いました。 彼は続けて、「東ドイツの有る都市で、その国の最大のアマチュア機器プラントの監督者の家の客でした。彼は 自分の家に冷蔵庫、ラジオ、テレビ、そのほかの現代の便利な機器を持っていませんでした。」 しかし、彼はすべての東ドイツの悪いことばかりを見てはいませんでした、「ある日、私はブランデンブルグ門、 東と西ベルリンの境界にある、に立っていました、そして西側のものすごい交通渋滞を見ました、そして東側は およそ7ブロックにかけて、僅か数台の車しか見えませんでした。」私は、西ベルリンの人に、「少なくとも東ベ ルリンでは駐車問題はないと、論評しました。」「彼らは全く車を持っていません。」と彼は返事しました。 チェッコスロバキアでは、国のアマチュアクラブの一つがオレンジバーグの人に終身会員の資格を与えました。 彼は、ルーマニアとユーゴスラビアでも同じような待遇を受けたと言いました。 *ジャングルの旅行 彼のどの旅行も、中央アフリカの980マイルのバス旅行ほどには彼を感動させませんでした。旅行は、ダート 道路で3日間かかりました。それは僅か6.66ドルでした。 「誰でも、いつでも、どこの場所でも、どのような理由でも、バスの運転手に停めてもらいました。」とブラウニ ングは話しました。 その途中、彼は見ました、野生動物が道路に、そしてしばしば、道を塞ぎ、そのためバスが通れなかったこと を彼は思い出しました。「あるとき、何千もの猿が道を横切るのに25分もかかりました。」見えたすべての場所 に猿がいて、私は全世界にこんなに多くの猿が居るとは思いませんでした。 道路脇での普通の光景は、ライオンと虎が死んだシマウマの残りを食べていることでした。 *パラダイス 「私が考えて、世界で一番美しい場所は」よく旅行をしたアマチュア無線家は言いました「セイシェル群島で す。」ブラウニングはこのインド洋の島嶼に非常に魅せられたので、彼は今年の最初の目的地としてここを予約し ました。彼が訪問したすべての場所で、セイシェルがもっとも経済的で友好的であると評価しました。私は、も っとも素晴らしいゲストハウスの一つにに泊まりました、王様のように食べ、そして2週間の私の請求は僅かに 30ドルでしたと彼は言いました。年に500ドルもかからず人は隠退生活が出来ると聞きました。 ブラウニングは、セイシェルからプラット島へ、南へ約200マイルの小さな島、チャーター船で航海しました。 ところで、彼は同じ船をチャーターして、今年も同じ航海を計画しています。 *世界旅行 1961年の旅行の経験から、ブラウニングは世界一周旅行のすべての準備が出来ました。ビザは入手しました、 無線の調査の概要はでき、世界中のアマチュア無線家にはガス・ブラウニングを聞くように連絡されました。 彼が訪れる場所のリストです。 セイシェル諸島、アルダブラ諸島。 ケニヤ、タンガニカ、マダガスカル、モリシャス。 フランス領コンゴ、ガボン、中央アフリカ共和国、チャド、ナイジェリア、アッパーボルタ、 ダホメー、セネガル、マリ、モリタニア、レバノン。 シリア、ヨルダン、クエート。 マスカット、アデン保護領。 イエーメン(ビザが下りれば)、イラン、アフガニスタン。 ネパール、シッキム王国、ブータン王国、パキスタン、チモール島、ビルマ、タイ、インド。 クリスマス島、ココス島、 オーストラリア、ノーフォーク。 ロードハウ島、サモア、フィジー。 カリフォルニア、オレンジバーグ。 *一人だけの旅行者 ブラウニングの唯一の仲間は彼の短波ラジオ、彼の旅行の手配は「成り行き主義」のようなベースです。 先に記述した場所は彼が運用するであろうところの基本的なポイントです。 多分、彼の行く旅程には100あるいはそれ以上のポイントが追加されるでしょう。 アマチュア無線家は、ちょうど、切手収集家が珍しい切手を探すように、前回QSOできなかったポイントの 交信を期待します。アマチュア無線家のために、世界中を旅行するチャンスを大いに感謝し、彼が「これまで、 人々が夢にも見られなかった場所で」交信を記録するだろうとしていると確信して彼は言います。 |
以下の記事は、1964年オレンジバーグ・ロータリークラブの会合でガス・ブラウニング氏が講演した内容を T & D紙が伝えたものです。 The Times & Democrat, 1964年(注) |
*2年間のツアーの後で戻ります。 ガス・ブラウニング(オレンジバーク放送局の元所有者)は、無線装置のテストのために世界の離れた場所から 2年間のツアーで訪ねたマダガスカル島を指さしているのを上の写真で示します。(注:ここでは写真はありませ ん)写真にある地図の上の線はブラウニングが通ったルートを示しています。 彼は、夫人、息子と一緒に8月20日に世界へのもう一つの旅行に出発します。 *無線装置のテスト ブラウニングは2年間の世界旅行について説明します。 遠く離れたところへの2年間の旅行の部分的な説明は、最近短期間戻ったガス・ブラウニング、元放送局の所 有者が再び出発する前に、オレンジバーグロータリークラブの会員へ火曜日に行われました。世界中の無線テス トの間、その費用はバーミンガム、アラバマにあるエレクトロニクス製造会社によってすべて支払われた旅行を ブラウニングは楽しみました。ブラウニングは、そのすべての費用を調べて、およそ34,000ドルになったと言 いました。 ブラウニングは1962年3月10日にそのツアーを開始してから、チベット、そのほかのヒマラヤの国々、アフ リカ、マダガスカル、カルカッタ、ボンベイ、そのほかの場所に行きました。彼は、1964年3月10日にバーミ ンガムに戻りました。 ブラウニングは、8月20日から夫人と息子と一緒にツアーを続けるでしょう。 彼の話の多くは、1000ワットの短波送信機と受信機が詰まった、3個のスーツケースを持って、一つの国から 他の国に移動する際の、税関での彼の苦労した経験についてでした。また、小さな船でインド洋を漂流し、アフ リカのジャングルツアー、そのほか、アフリカ、ケープタウンの南の南極洋の氷水域などについて話しました。 いろいろな気象条件のもとで、いろいろなところから、世界中の他のハムと201,000回以上もの交信をした事 実が、無線のテストの観点から、この彼の旅行は成功したことが示されました。平均的な「ハム」は、10年間で 21,000回以下でしょうと彼は言いました。 ガス・ブラウニングはロータリークラブ会合のプログラム議長W. C. Wannamaker. Jr.により紹介され、司会 はW. A. Livingstonでした。 (注) T & D紙の発表日時、およびロータリークラブでの講演日は不明ですが、1964年4月から8月までの間と推定されます。 |
Post 39-121005, 40-121505 2005.12.19 |
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