コルドバでのペギーの生活 |
DX Magazine #148 アマチュア目次へ戻る |
かなりひんぱんに、アマチュアの人たちは、ガスと私がどのようにして出会い、そしてガスはどのような無線機 を使っていたのかと尋ねます。 1930年ガスはフィラデルフィアのフィルコラジオ社で働いていました。私たちはブラインドデートで会いました。 魅力的な彼のパーソナリティーが私のための人だと直ぐ判りました。 彼は「世間話」もできました。しかし、私は、ガスが仲間達としていることに、あるいは無線のことついて話し ていることに気づきました。私は、彼は話すことを、そして私は聞くことになれま した。私たちはメリーランドに行って結婚しました。私は未だ16才でした。 私たちは、アパートメントまでずっとドライブしました。(彼のアパートの中に入ったのはこれが初めてでした) 私は、寝室に入って凝視しました、そこら中にワイヤーがぶら下がってまるで私を見つめている、奇怪なところで した。私がショックを受けたかと思うだろうかと、私はガスに聞きました。 ガスは笑って言いました「いいえ」。 ガスは、ハニー20分間待ってくれませんかと言いました。これが私たちの結婚の最初の夜でした!私は、どうぞ、 そして私はきれいになるでしょうと言いました。10分後に、私は、エレガントな白のガウンを着てでてきて、ガス にキスするため、より低くかがみました、その時、裸の電線が揺れて、火傷のあとを残して私を横切りました。 私は、金切り声をあげました。 これが、ハムラジオへの「偉大な仲間」への私の始まりでした。涙をながして、ガスはどうしてこれが起きたか を説明しました。それは、MOPA回路と2本の852がむき出しで、彼の無線機はまな板だったからだと思います。 受信機も自作で、プラグインコイルのあるまな板からできていました。電源さえまな板で、そして、高圧が至る所 にむき出しであるものでした。 私は、毎日この怪物を見て、そして恐怖が私の背中を上から下まで走るでしょう。私は、ガスにそれを恐れてい るのを知られないようにしようと決心しました。それでも、この送信機は1939年までどんどん大きくなり続けま した。W4BPDは、非常に良く注視する人でしたが、まだ殆どは彼が自分で作るまな板でした。その当時は、この ようなものでした。 この号の表紙のこの写真を見て下さい。(写真をクリックすると拡大画像になります)来週は、ガスが現在 注:JA1DM |
DX Magazine #149 アマチュア目次へ戻る |
ペギーとガス ガスと一緒の最初の数年間は、私にとって毎日が、いいえ実際には毎晩が新しい経験でした。VKやZLのどれ かを呼ぶのに無線をするために起きるので、ガスの目覚まし時計がなるのを無視することを私は直ぐに覚えました。 ガスは“彼が求めた” 確か、マーシャル群島のJ9CAのコールサインの局を探し出すために、何年間もの長い 時間を費やしたのを私は良く覚えています。そうです、ガスはほかの“J”は第2次大戦前までに全部ゲットしま したがJ9CAからのどのような信号も決して聞いたことはありませんでした。それは彼がトライしなかったからで あるとは私は言えません。 それらの古い2本の852は、殆どの時間きれいな桜色に輝いて、それらは押されるだろうと思いながら、ガスは もう少しそれを押しただろうと私は思いました。私を驚かせたのは、ガスが沢山の掘り出し物を買い、彼の友人が 沢山のセットの部品をくれたと言ったことでした。 これが新しい部品を手に入れる、彼の方法だったことを、あとで私は少しづつ判りました。時には、新しいドレ スを手に入れずに、そしてときには食費を切りつめて、終わりました。 ある時、2個のクリップの線が、電気のメーターから私たちの部屋へかけられていたのを、洗濯のお手伝いさあ んが発見したとき、ガスは彼女から本当に怒られました。電気のメーターが非常に早く廻るので、もしクリップの リードでそれを遅くしなければ、ベアリングが熱くなるに違いないと彼が心配したとガスは彼女に言いました。誰 かが、これは、ガスが公益事業に払わなければならない電気代を、同じように非常に少なくすると彼女に話すまで、 数ヶ月の間、彼女はこのことを信じました。 |
私は、当時(そして、無論今でも更に)本当に沢山の我慢をしました。ある夜、私は子供の一人の新しいセータ ーを編むためQRL(忙しい)でした。ガスはいつものように無線をしていました。ガスのことにはあまり注意をし ないで、自分の仕事に気を配りながら、私はロッキングチェアーに座っていました。 ガスは「まな板」の一つを取り出し、床の真ん中に置いてその上で何かを半田付けしながら、そこから来ている ワイヤーがなにか花火のように見えました。私の膝の向こうに半田鏝のコードが通っていて、半田鏝の柄につなが っていたワイヤーが明らかにゆるみ、ワイヤーが半田鏝から外れたとき、火はワイヤーから飛び始めました。それ は私のむき出しの膝の方に振り、そこに小さな見事な火傷の溝を作り、私に悪魔のようなショックを与えました。 私は飛び上がり、ガスがワイヤーを最終的にACプラグから引き抜くまでテーブルの上に止まっていました。 そしてガスは何をしたと思いますか?彼が言ったすべては、“ダーリンごめんなさい、半田鏝のACコードは修理 する必要があると思います。”それから、彼はワイヤにテープを巻き始め、それをACソケットに挿し、(前に挿し ていた同じところ)そして、私は椅子を部屋の反対側に動かしました。そのダメセットからの花火が“私を掴まえ る”ことがないように。 ガスが手に入れることが出来たあらゆるはした金は、彼がいつも作っていたそれらのセットにつぎ込まれたとい うのが私の意見です。 彼は、今日まで、いまだに、“究極の”リグを作るつもりだと言います。私は、今日まで生きていて、そして過ぎ 去ります。しかし、ガスがそれほど長生きするかどうか、私は少し疑い始めています。ガスを満足させるようなそ んな“リグ”があるとは私は思いません。本当に、私は何もないと確信しています。もしあるなら、ガスはそれを 構築し、そして次に、それを“超・究極”と呼びたかったでしょう。 沢山のDXとコンタクトしたあとで、ガスはそれらのDX QSOについて私に話そうとしたでしょう。物事や情 景がそれらDXハム達にどのようだったか、彼がどのように考えたかを私に話そうとさえするでしょう。これらの 全部を私に話したとき、(彼は燃え上がっていたと思いました)そして、彼が更にDXと交信したら、より深いこ の“輝き“が得られるでしょう。 ある朝彼は言いました、朝の5時からDXと交信していて、“いつかその時、私は”DX局“になるつもりだ、そ して、私はそのようなレアースポットのどこかに行くつもりだと。”そして、私は“オー、そうですね、私は月かど こかそのようなところへ飛ぶつもりです”と言うでしょう。私は、ずっと前、(これは1930年から1935年かもっ と)、ガスは曖昧なDXpeditionの計画を立て始めていたと思います。その頃、かつて、誰かがDXpeditionのこと を考えていたとは私は信じていませんが。しかし、ガスはその考えを持っていたと私は思います。 どうして私が南部の反逆者と結婚したのかは、(私はニューヨークのバッファローから来ています)、そのような ゆっくりした南部のスローな話しぶりのためだったかも知れません!あるいは、ハムを夫に持ち、彼が毎晩家に居 ることを考えたのかも知れません?しかし、私は後悔していません。彼はかわっていますか?私は賭け、今でもそ うです。 しかし、年とともに、ガスと私はより親密になり、お互いの欠点を殆どは忘れて愛しています。そして、私たち の13人の小さな孫達がそのようなギャップを埋めます! 私がほかのDXサーと結婚したでしょうか?私は知っています。 私が賭けた、彼の名前はガスでした。十分でしょう! あなた方、もっと何か必要ですか? Peggy 注:JA1DM ペギーのストーリーはこれで終わりました。 |
Post 37/38-113005/120505 2005.12.2/6 |
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