アメリカ駐在中の私は、あの愛着のあるジャンク、秋葉原、自宅の820ライン、20mのタワーなど無線に関するすべてのものを日本に置いてきました。 メインのページにありますように、は毎週サーフィンにいってスポーツに熱中しながらも、もう一人の自分が何かを求めていたのです。
実は私は小さいころからのラジオ小僧でした。小学校からの無線歴ですから、かれこれ20年以上この趣味を楽しんでいます。この6年間特に止めようと思っていたわけではなかったのですが、転勤や結婚、などの人生の転機もあり、今までに無い長い休憩をとってしまいました。私の場合、禁断症状はこんな形で現れました。
きっかけというのは恐ろしいもので、この後はスーパー速い動きでキットを組み上げ2日後にはケースに入れ、更に次の週にワイフが買い物に行ったすきに、子どもをつれたまま針金の竹パイプと同軸を買い、その日のうちに7MHzのDPを上げ。レシプロ免許(日米相互運用協定による運用許可証)も申請しておきました。
- 1年目
何か作りたくなってきて、スピーカーの台の木工細工をはじめる。
- 2年目
電気に関するものが作りたくなりパソコンを組み立てる
- 3年目
CWがやりたくなって、コンテストシミュレーションソフトを書く
- 4年目
AM系のノイズが聞きたくなってカーラジオをワッチするようになる
- 5年目
工作がしたくなり、99セントの半田ごてと意味もなく汎用NPNトランジスターを30個購入
- 6年目
シリコンバレーのジャンク屋(HSC)のカタログで2石のQRPリグ(PIXIE2というキット)を購入免許がきたのは11/10/97でこれで晴れて復活です。夜中におきてはワッチ(受信)して、特性向上のために半田ごてを握る。うーん、しあわせだなー。