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2011年12月29日-2012年1月3日の、5泊6日で、冬の道東を回りました。
行きは新潟-小樽、帰りは苫小牧-新潟のフェリーで往復しています。

冬の北海道は、二十年前に車で二度行っています。
一度目は、行きが舞鶴-小樽、帰りは何故か飛行機でした。
二度目は行きが仙台-苫小牧、帰りが苫小牧-名古屋でした。
行き帰りで便が違うのは、正月は便が少なく希望の日程で予約を取るのが難しいからです。
一度目の「帰り飛行機」というのは、旅行代理店がチケットを間違えて発行して、帰りは船がなくて、車だけフェリーで送ってもらったというものでした。
(初日)中央道-長野道-信越道-新潟港-小樽



中央道-長野道-信越道-新潟港

会社が終わる(仕事納め)と、大阪駅から高速バスで名古屋へ行き、深夜自宅のフィットに荷を積めて、高速道路で新潟港へ向かいました。

0:30日進発、新潟港10:30発に間に合わせるため、徹夜で帰省ルートを走りました。
中央道-長野道

長野市までは、帰省ルートです。若い頃はスキーでこうした移動は当たり前でしたが、50歳を目前とした今では、未明のキツい運転でした。
駒ヶ根SAで、さっそくウインドウウォッシャー液が凍りました。
さすがに眠くなってきたので、車中で仮眠をとりました。寒いので30分で目が覚めました。
ひたすら真っ暗な中を北上し、長野道の姨捨サービスエリアあたりで、夜明けを迎えました。
-信越道-新潟港

帰省ルートを実家の更埴ICで降りずに、信越道に乗り継ぎ、新潟港へ向かいました。
フェリーターミナルは、信濃川河口です。
場所が判らず(佐渡へ渡るほうへ行ってしまった)電話番号を調べてもらいナビで、なんとかたどり着きました。
早めに着いたつもりが、出航一時間前と、丁度良い時間になっていました。
大阪から日進市までは168km、日進市-新潟港までは487kmでした。
日進市までの高速バスで寝たとはいえ、500km近くを徹夜で走ったのは、初めてではなかったでしょうか?昼間に青森-新潟の700kmを走ったときよりも遠く感じました。
最初の難関「北海道行きのフェリーに乗る」ところまで、無事たどり着きました。

(2日目)新潟港-小樽港



「ライラック」


新造の太平洋フェリーのような豪華さはありませんが、全長は同じフェリーですので立派なものです。
共用スペースが広く、売店、レストラン、サウナ、ゲームセンター、ランドリー、映画館、OAデスクなどあり、新潟-小樽の距離では全部利用しきれません。
食事だけは、太平洋より簡素だな-とおもいましたが、その理由を知ったのは、後ほどすぐでした。

以下は、スマートフォンでもみることができます。

行きの新潟の乗船手続きで、帰りの苫小牧東港の乗船券まで発行してくれました。
風呂、食事

徹夜明けですので、とりあえず風呂

日中は、ビールを飲んで寝てました。さすがに徹夜明けなので、ラウンジのソファで熟睡しました。通りがかりの人は、怖かったかも。
乗船手続きのときにもらった割引券で、夕食のビュッフェと、お土産を買いました。
割引券は、二日有効なため、帰路では期限が切れてしまいます。
その晩は、高波警報が、奥尻沖で出ていて、目の回る船酔いをし、トイレに3時間こもりました。
4時に小樽着

フェリーから降りたら、すぐ札樽道(さっそんと読む)に乗りました。
小樽は、-7度、道央道の北広島のほうが、-19度と冷え込んでました。

未明の、まっくらな小樽ですが、船酔いから開放され、無事到着できた安堵感に浸りました。
さぁこれから、一気に道東道で根室へ。


船酔いの経験は過去にもありましたが、今回のものは、高波警報が出ていただけはあって、目が回るキツイものでした。乗り物酔い(船の売店でも売っている)の薬を、次は持っていこう、、
まだ暗い小樽を、慎重に、ゆっくりと東へ出発しました。
ウインドウウォッシャー液は、凍ったままです。
無事二日後に小樽へ戻れるのでしょうか??

まとめ:

小樽-根室(12/30)へ

根室-網走(12/31)へ

網走-小樽(1/1)へ

小樽-苫小牧(1/2)へ

苫小牧-長野(1/3)へ



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平成24年1月6日 de jp3exe ex je2egz, no limit.