カーネギーホール ・ Carnegie Hall                   世界の芸術ページに戻る
  世界の頂点にたつホール
     私のような昭和一桁世代にとって「カーネギーホール」というと1947年製作の映画をま
ず思い出します。そのあらすじは、カーネギーホールの掃除婦が息子を一流ピアニストに
するため頑張っていたのに、息子はクラシックには見向きもしないと言う話だったと思い
ます。音楽はルビンシュタインが弾く英雄ポロネーズなど美しいピアノの音色に聞き惚れ
てしまった筈ですが、ほとんど記憶の底に沈んでしまいました。しかし、それ以来クラシック
音楽の頂点がカーネギーホールだと信じてきました。もっとも、今はクラシックに限らず、
音楽の多くのジャンルの演奏会が行われていて、すべての音楽のトップと言えるのでしょ
うか、また日本人の演奏家も沢山の方がこの舞台にたったそうです。
また、映画、カーネギーホールのほかに、ベニーグッドマン物語など幾つかの映画に
ホールが登場します。
   
    57番通りからカーネギーホールの建物を見たところ
  オルガ・ボロディナ(Olga Borodina)を聞く
     その憧れのカーネギーホールを訪れるチャンスが突然巡ってきました。2004年5月中旬
に米国のデイトンで開かれるアマチュア無線の大会、デイトンハムベンションに参加するこ
とになったのです。そこで、その前にニューヨークに行き、メトロポリタン美術館とカーネ
ギーホールに行く予定を立てました。この予定が決まったのが3月中旬、それからインター
ネットでカーネギホールの演奏会の日程と私の予定を突き合わせて演目を探しました。
 幸運にも、5月9日の夜、キーロフオペラのスター、メゾソプラノのオルガ・ボロディナ
のリサイタルがありました。彼女は、キーロフオペラの指揮者ゲルギエフに見いだされて、
今やメトロポリタンオペラ、ミラノスカラ座などにも出演しているスターです。ピアノ伴奏は、
彼女のリサイタルのレギュラー伴奏者、ディミトリー・エフィモフ(Dmitri Yefimov)の組み合
わせです。急に決まった私の日程で、こんな素晴らしいリサイタルをカーネギーホールで
聴くことができるとはまさにラッキー。
      
    5月のプログラムと当日のプログラム
     当日は開演の20分ほど前にカーネギホールに入りましたが、流石に優雅な紳士淑女が
ロビーに溢れていました。観客は若い人から年配者までバラエティーに富んでいました。
演目は、ヘンデルの「オンブラ・マイ・フ」、ムソルグスキー「死の歌と踊り」など全8曲で
した。
 ボロディナの歌を初めて聴きましたが、さすがに素晴らしく美しい声に豊かな声量と
劇的な表現にうっとりと聞き惚れてしまいました。ピアノ伴奏のエフィモフも、ボロディナと
ぴったり息が合って彼女を盛り上げました。
     ホールの音響も最高で、私の席はSecond Tier (3階席)のやや左側でしたが、美しい
声を素晴らしい音で聞くことができました。オンブラ・マイ・フはTV CMのキャサリンバトル
の歌で有名になりましたが、カーネギーホールで生音で聞くオンブラ・マイ・フには体の
芯から感動してしまいました。ボロディナの、抑揚のきいた劇的な歌唱には何とも言えな
い心を打つものがあり、念願のカーネギーホールで聞いたボロディナのリサイタルは忘
れられない想い出になりました。
 死の歌と踊りの第4曲「トレパーク」が終わったあと、観客の鳴りやまない拍手にボロ
ディナのアンコール2曲が終わったのが9時45分を廻っていたと思います。わたしは、
この感動が覚めやらぬまま、夜のニューヨーク57番通りを6番街の方に歩き、途中で
食事をしてからホテルに戻りました。
 このような感動を覚えたときにふと思うことは、ほんの何日か前迄日本に居たのに、
今日は地球の反対側に来て、カーネギーホールでロシアの人のリサイタルを聞いている
僅か50年前には考えられなかったことが、今ではごく当たり前のことで不思議とも思わ
ない世の中になったことの不思議さ、今ここにいる自分は本当に自分なのだろうかと
感じたりします。
  ホールの歴史
    世界のカーネギーホールは、2006年で建設115年目を迎えました。
カーネギーホールのホームページには、100 年を超えるホールの歴史が詳しく書いて
あります。その中から、ホールが建設されるまでのいきさつと、ホールのオープニング
コンサートの模様を簡単に紹介してみましょう。
    建設
 19世紀の終わり、アメリカの経済と文化が盛況を迎え、アメリカで最初のオーケストラ
the Philharmonic Societyが1842年に創立、1882年Metropolitan Opera Company
が設立されています。
 1887年春、アメリカの鉄鋼王となっていた、Andrew Carnegieが新婚旅行の途中、アメ
リカからイギリスにわたる船に乗り合わせた若手の指揮者 Walter Damrosch、(当時
25才、Symphony Societyオーケストラの創設者Leopold Damroschの息子)が、カーネ
ギーに音楽ホールの必要性を話したことから、スタートしたそうです。 
 その年の夏の終わり、カーネギーはホール建設に協力することを決意し、ニューヨー
クに本格的なホールを建設するため1889年、現在の場所を確保しました。
 ホールの建設は1890年5月から始まり、1891年春に完成しました。100年以上も前の
建設ですから、現代の建築デザインから見ると地味ですが、周りの建物と溶けあって
落ち着いた雰囲気を醸し出しています。正面入口も重厚な作りで、リムジンから優雅な
ドレスに身をつつんだ貴婦人が下りてくるイメージがわいてきます。
    オープニングコンサート
 オープニングコンサートは1891年5月5日夜に行われ、オーナーのカーネギーをはじ
め自家用4輪馬車が列を連ね、通りを400mも埋め尽くし、ホールは聴衆で大混雑だっ
たそうです。オープニングコンサートは、 Walter DamroschがSymphony Societyオーケ
ストラを指揮しレオノーレ序曲第3番、オープニングに招かれたチャイコフスキーが自分
の Marche solennelleを、最後はベルリオーズの Te Deum で締めくくられたそうです!
 なんと素晴らしく豪華なリサイタルだったことだろうと想像できます。
  ホール
     ホールは、クラシック音楽用に設計されたため、その音響効果は大変素晴らしいもの
です。1986年に建物の補修をして、音響が以前より悪くなったとの評判がたったそうで
すが、その後1995年にステージの下のコンクリートスラブが原因だったとして、除去され
てからは問題は解消されたということです。
 私は、2004年、ニューヨークに行く予定が決まったとき、まずこのカーネギーホールの
チケットを予約することから始めました。当時も今でも、インターネットで簡単にチケット
を買うことができるので面倒なことはなく、日程と見たい演目があえば最高です。
 まず、ホームページで、日程からどの様な演奏会があるかを調べました。私がニュー
ヨークに行く予定は5月の初旬でしたので、ゴールデンウイークが終わってからの演奏
会日程を調べました。カーネギーホールには大小三つの会場がありますが、大ホール
のメイン会場は「アイザック・スターン・ホール・Issac Stern Auditorium」です。その他に
「Judy & Arthur Zankel Hall」と「Joan& Sanford I. Weil リサイタルホール」があります。
 ホームページの「Seating Chart」でどの階の席にするか、その階のどの辺りの席が
欲しいかなどを考えました。座席表はPDFでプリントし、演奏会の日程と座席の希望を
決めて、ホームページから申し込みました。
 1階、4階、5階は普通にシートが並んでいますが、2階と3階はボックス席になって
います。ボックス席は、腰の高さの仕切の中に7、8名(場所により違う)までの席があります。
  カーネギーホールホームページ
    表紙:  http://www.carnegiehall.org/jsps/intro.jsp

ホールの歴史についてのページ:
     http://www.carnegiehall.org/jsps/hallHistory.jsp
      Download a PDF overview of Carnegie Hall's 100 Years of Excellence (PDF),
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