W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その38)   アマチュア目次へ戻る

                                                        
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第18章 (3) アフリカのダイアモンドの話      
  
 やれやれ、それは朝食にスイカを食べながら、南カロライナに戻っているようでした。あえて言えば、
私は、ペギーの料理につきもののグリッツ、ソーセージ、それに卵は食べませんでした。

 ジャックとマージの住んでいるアパートの隣はジャックの両親のアパートでした。両親は頻繁に訪れま
した、そして、私たちは、南アフリカでずっと以前によくあったことについて、沢山の話をしました。

 今はジャックの父親はリタイアしています。彼はキンバリーでダイアモンドのバイヤーの仕事をしてい
ました、そして、過去とこれからのダイアモンドの仕事を知っていました。ジャックの母親は一流の品を
持っていました。ある夜、彼女は何かの祝賀会に出かけようとしていました。私は、彼女のイヤリング、
ネックレス、リスト、指とブローチに一つか二つのダイアモンドが着いているのを見ました。それらは、
いずれも、小さくても3カラットか4カラットありました。私は、すぐに彼女をダイアモンド・リルと呼
び始めました。ペギーもダイアモンドが大好きでしたがしかし私はそのようなチャンスがなかったと、私
のいまいましさを彼女に判らせようと試みました。私は思います、彼女はそれらのダイアモンドを私がし
たよりも大好きでした。数ヶ月あとで、私が国を出発したとき、遺言書に私の名前を入れるようにジョーク
を言いました!

 ジャックの父親は、ダイアモンドの仕事について沢山の面白い話や何年か前に発見された非常に大きな
ダイアモンドについて私に話してくれました。ダイアモンドをそっと持ち出そうとした人達についての、
ある非常に面白い話も付け加えて。誰かが、南アフリカの税関を通って、大量のダイアモンドを南アフリ
カから持ち出そうとしたある一つの話があります。
 話は次のようなものです;ある人が、税関の職員にチップをあげて、仮にその人の名前をスミスとしま
しょう、翌日のヨハネスバーグ発何々便で出発しようとしていました。彼の足はギブスで固められていて、
彼は足が折れていると言いました、しかし本当は、ギブスの中はダイアモンドで埋まっていました。もち
ろん、訪問者は身元を明らかにしませんでした。

 実際に、翌日のそのフライトに、スミスという男が車椅子で税関まで押されてきました。彼はオランダ
のアムステルダムまでの片道切符を持っていました。税関当局は、彼を逮捕して、そのような人達が居る
小部屋に連れていきました。彼らは、非常に手荒く彼の折れていると思われるギブスを切り裂きました。
彼らは、彼を非常に乱暴に扱いました、そして、彼は、折れた足がとても痛い、そして、彼はギブスの中
には何も隠していないと言いながら、頭をふって叫んでいました。

 もちろん、彼らは全く彼を信用していませんでした。しかし、ギブスが最終的に外されて、そして、調
べられた時、ギブスの中には全くダイアモンドはありませんでした。彼は、不法逮捕、痛む傷、フライト
に乗れず仕事が遅れたので南アフリカ政府を訴えると脅かしました。

 税関は、彼への誤った扱いについて許して貰おうしました、そして、彼を病院へも連れて行き、彼の足
のX線写真を撮らせました。骨は折れていました!彼らは、彼の足に新しいギブスを付ける費用を払いま
した。彼は、それですべてOKであると言いました;彼は彼らが仕事をしなければならないことを知って
いました、そして、彼は翌日のアムステルダムへのフライトをつかまえました。

 翌日、彼は再び車椅子に乗り押されて空港に着きました。彼の足にギブスが付いていました、そして、
彼はアムステルダムへ行きました。今回は、それらのダイアモンドと一緒に積み込まれました。彼らは、
アムステルダムのダイアモンド市場が、突然、南アフリカのダイアモンドで溢れたことをあとで知りまし
た、それは、足の折れた男であったと探し出されました。

・ジャックとマージのアパートでリラックス

 沢山のそのような話がジャックの父親によって、私に話されました、それらはとても面白いものでした。
 ダイアモンド・リルはそれらのダイアモンドを大好きでした、そして、私は、決して、彼女からそれら
をだまされることはありませんでした。

 あとで、私がキンバリーにいた時、路上で、一杯のダイアモンドを持った誰かが私に近づきました。彼
は、その全部で1,000ドルを要求しました。おおざっぱに、1カラットの石が5個、2か3カラットの石
が3個、そして、多分5カラットに見える石が1個か2個ありました。私は、それらの石をほとんど買い
そうになりました、そして、私自身がダイアモンド密輸業者自身になるようでした。私は、単に怖じ気づ
いて、それから手を引きました、そして、更に実際、私はWRPSA
(注1)のお金1,000ドルを使いたく
なかったのでした;ことによると、全DXpeditionを壊します。

 私は、あとで、このことをジャックに話しました。私は、それらは本物のダイアモンドだっただろうか
と、彼に尋ねました、そして、彼は答えました、イエス、多分それらは良いものだったでしょう。彼は付
け加えてもし私がそれを買ったら、多分、売り手は私を税関に渡して、そして、ダイアモンドの実際の価
格の10パーセントを、彼らから得るでしょう。付け加えて、多分、石は彼に戻されるでしょう。彼は、、
私がそれを彼から盗んだとさえ言うかも知れません。そうすると、1,000ドルはなくなってしまって、ダ
イアモンドもなくなり、私は刑務所に入り、DXpeditionは吹き飛び、お金がなくなることでWRPSAも
破産してしまいます。

 私は、私の両親によって、法律を破らないようにと正しく育てられたことが本当に嬉しい。私は、非常
に深刻な問題になっていたことを、確信しています;そして、今日まで、まだ、南アフリカのどこかの刑
務所、彼らがJAOILと書く、でやせ衰えて居たかも知れません。

 ある晩、SARRL
(注2)がケープタウンの彼らのミーティングに私を招待してくれました、そこで、私
はケープタウンのグループの殆どの人と会いました、そして、彼らと一緒に素晴らしいディナーをとりま
した。私たちは、一緒になっているハムのグループがあった所の、私が止まった全部の場所の、彼らの大
きなアイボールQSOの一つで、遅くまでそこにいました。

 船の出発の日が徐々に近づいていました、そして、私はジャックとマージのアパートで気楽にやってい
ました。私は、本当に自分の家に居るように、靴下だけで歩き回り、そして、毎日、何回もジャックの両
親を訪ねました。付け加えて、私はストランドの周囲を歩いていました。
 
 ジャックとマージは私をケープタウンのあらゆる個所に連れていってくれました。私は周囲に慣れてき
て、市から彼らのQTHへの行き方を殆ど道に迷わずにほぼ判りました。私は、何回かダウンタウンへも
バスで行きました、そして他のバスで、何も問題な市に彼らのQTHへ戻りました。

 出発の日が、4日か5日になった時、私たちはノルウエーの参事官を訪問しました。私たちは、ブーベ
島への私の計画された旅行について彼に話しました、そして、彼らがLA5HEを通してそこから運用する
ため私に与えてくれた許可について彼に説明しました。もちろん、彼はそれについて、何も知りませんで
した。しかし、彼はオスローに電報を打ってそれについて彼が判ったことを私たちに知らせてくれると言
いました。

 数日後に、彼は私たちに電話して全てOKです、そして私が使うべきコールサインはLH4Cですと言い
ました。それは素晴らしいことでした。そして、それから、私たちは砕氷船に行きました、

(注1)WRPSAはWorld Radio Propagation Study Associationの略称で、Ack、W4ECIが中心になって
    ガスのDXpeditionを支援するために作られた団体です。
  1946年頃のW4ECIのシャックです・ACK Supply社提供   WRPSAがスポンサーと書いてあるカードです


(注2) SARRLはSouth African Radio Relay Leagueの略称で、1950年代まではこの名称でしたが、そ
    の後SARL South African Radio League(南アフリカアマチュア無線連盟)に変わっています。

089M040507 2007.4.5

・ケープタウンのSARLに招待されました


 それから、私たちは船の乗組員達に紹介して貰うために砕氷船に行きました。彼らが皆素晴らしい仲間
達だと私は考えることができました、そして、彼らと一緒に過ごすのは容易だと思えました;そうだとし
ても、彼らの殆どは経験を積んだ船員で非常に頑強そうな人達でした。

 彼らは、世界のこの地域へ沢山の旅を何回もしていました。そのような南極からの凍った冷たい強風が
船を翻弄する南大西洋の中で、私たちがどのようなことに直面しようとしているか、彼らは知っていまし
た。船を綿密に点検したあと、私の寝室になるところを見せられて、ジャックと私は彼の家に戻るために
船を離れました。

 私たちが離れている間に、その晩、ケープタウンのダウンタウンで開かれるケープタウンのSARLミー
ティングに、私たち二人がぜひ来るようにとの電話を受けていました。そのエリアの全てのハムがそこに
居ました。私が思い出すことができる限り、凡そ35名かそこらのZS1の人達が居ました。彼らは、世界
中のハムが集まれば議論する色々なことについて議論していました。

 CWの仲間達全部が言いました、私はあまりに多くのSSBを運用したと、そして、SSBの全部の仲間
達は、私があまりに多くのCWを運用したと言いました。これは、米国を含む、世界のどこのミーティン
グでも、いつでもDXpeditionをする人が直面することです。

 私のレアースポットからの運用の方法は、何時も;CWで始めて、それからパイルアップが少なくなっ
たらSSBに切り替え、そしてパイルアップが小さくなるまで運用します。それから、CWに戻りパイル
アップが小さくなるまで運用します、それからSSBに切り替えます。私は、この方法が好きです、そし
て、もし私が更に他のDXpeditionに行くならば、私は未だこの方法を使うつもりだと考えています。

 SSBとCW QSOのパーセントはスポットからの運用が終わってから数えられました。私と交信する公
平なチャンスを誰にも十分長く与えることができるくらい、私は何時もどの場所にも滞在しました。私が
無線で聞いた、何人かの仲間達が行った不公平な運用のために、私は、何回もブラックリストを作るよう
にひどく誘惑されました。

 それから、多分、あえてこれをしないことが、私の心に浮かんだでしょう。競争がエキサイトしている
中で、パイルアップの間に、私自身が運用中に行った何らかのことを私は良く覚えています。時に、私が
知らないうちに、何か「馬鹿な」ことをしたために、何回となく私が「リッド」と呼ばれたことを、私は
知っています。

 何かそのような同じことをしている、私が聞いた沢山の仲間達を、私は個人的に知っています、そして、
彼らがその時、オンエアーで思われたような、そのような種類の仲間達ではないと私は知っています。彼
らを聞かない、あるいは、多分彼らと交信して、そして、ログのページに彼らのコールサインを記すこと
を忘れるような気持ちを私は持っていませんでした。多分、私は「小心者」で、しかし、私が聴いた全て
の局と私は交信すると、私はずっと前に決心していました。私にとって、絶対に、ひいきの仲間達は居ま
せんし、ひいきのカントリーもありません。

ケープタウン、大きな現代の都市  

 私が聞いた時、私は聞いた局と交信します。

 私が聞いた、あるDXpeditionを行った人がしたようには、私は、決して、誰かを数日間「つらい思い
をさせる」ようなことはしなかったと、私は心から言うことができます、

 「残念ですが、私はあなたを聞きませんでした。」と言うのは簡単です。しかし、オナーロールの高いラ
ンクにいる仲間達に、私はあなた方を聞かなかったとは決して言うことができませんでした。もし、あな
たが本当にレアーなカントリーからセットアップして、ものすごいパイルアップがあれば、そのような仲
間達は、最初の数分間に、あるいは、多くは最初の数時間に交信しています。

 あなたがすることの全ては、オナーロールの高いランクの中の最初の50のコールサインを見ることで、
彼らは、非常に早い時間に交信した人達であったと確信することができます。それらの人達は、いいかげ
んであるとか、ルール違反のような運用はありませんでした。

 私が家に戻ったとき、私は多くのDXサーのひとりになります。私が出発する前もそうだったように、
私のDXpeditionが終わったあとも、まだ、皆が私の友人であって欲しいと、私は望みました。私は、ま
さに、これがどのように解決したかであると思います。しかし、時には私のかんしゃくを抑えるのが非常
に大変だったと、ある時には、私は言うつもりです。私は、いつも、平静に、穏やかに、保とうとして、
そして、私はそれもうまくできたと思います。もっとも、これは、時にはそれをすることが、何か大変難
しいことを知りました。

ストーリーに戻ります

 SARLのミーティングについて私が言ったように、彼らが話している南アフリカの方言を除いて、米国
で一般に行われるように進んだので、それはまるで私が米国に戻ったかのようでした。

 私が冒険しようとしている今度の旅について、皆は非常に興味を持っていました。彼らの大部分が、私
と一緒に行きたがっているようだったと私は確信します。もちろん、実際には、彼らの全部は、来るべき
パイルアップの中で、彼らのコールサインを私が確実に聞くように、彼らは欲していました。当然、私は
彼らそれぞれに、そうすると約束しました!それは実際に、昼夜を問わず、彼らの信号はもっとも強かっ
たので、ZS1のどの人も聞き逃すことはできなかったと、あとで私は判りました。

 彼らそれぞれを訪ねるように、また、来るようにとの私への沢山の招待を受けました。そして、次の一
日か二日の間に、ジャックと私は彼らのQTHの多くへ沢山の訪問をしました。それらZSの仲間達は、
普通、とても強いコーヒーを好きだったと、私は確かめることができます。原則として、ブラックコーヒ
ーが彼らの好みでした。

 ケープタウンは、今日の都市の便利さを持っている、大きくて現代的な街です。大きなデパート、幾つ
かのスーパーマーケットがあります、しかし、米国の同じような店より値段はかなり高いです。米国から
の輸入品、特に受信機と送信機は非常に高価です。

 ラジオとその部品の関税は大きな割合を占めていると思います。店は、それらの価額を下げないと、言
われました。

・次の港、トリスタン・ダ・クーニャ 

 ケープタウンの人は誰も、繁栄し、幸せで、そして、食べ物は豊富です。果物は豊富で値段も適正でし
た。カフェの食事は全く高くなく、沢山のコークがあったと私は喜んで言います。しかし、コーヒーが彼
らの大好きな飲み物です

 船が出発する数日前、ジャックと私は、私の全無線機を持って船に行きました。私たちは、その前日に
それを彼のQTHでテストし非常に良好でした。私たちは、それを、私の小さなキャビンにセットし、ハ
イゲイン社の14AVS垂直グランドプレーンと、10メーターから40メーターまでの各バンドの2本のラ
ジアルも建てました。私たちは、ZS1OU/Pのコールで運用をして、幾つかのQSOをしました。(それは P
でした、あるいは /M ?)それは、すぐ働きました。

 私は、来るべき大洋の旅行のために、全部準備ができていました。友人の、K8TRWエドは、二組の「レ
ッドハンドル」
(注1)さえ送ってきました、私はそれを試しました。それは私にぴったりで、それは私に
やってくる南極の寒さから守ってくれるでしょう。

 船を去ったあとで、ジャックとマージの家に戻る途中、私たちは果物店に寄り、沢山の果物を買いまし
た。その沢山の果物の中で、私は、約100ポンド!ものバナナの小さな束さえもあったと、私は思います。
それから、私たちは小さなスーパーマーケットに寄り、大きな箱一杯の缶詰を買いました。私は、これか
ら行く予定の島々で運用する間、空腹にはなりたくなかった。

 そうです、パタパタ用に私は100ガロンのガソリンを買いました。(そこでの、それらのガソリンは、
米国でのそれよりも約25%大きいのです。)(注2)ガソリンは、店から船に届けられることになっていま
した。私たち二人は、翌日に届けるように、船がその夜出発すると伝えてその重要性を強調しました。そ
れは、悪意のないウソでしたが、私たちは、彼らがあとでそれが配達する間に船を留めたくなかったので
す。

 私たちがそれをしたのは良かったです、なぜなら、彼らは翌日それを届けてきませんでした。私たちが
本当に出発する前日に、それを届けるように、別な電話をする必要がありました。ガソリンはシェルだっ
たと思いますが、それは間違っているかもしれません。とにかく、それは良いガソリンで、あとで、パタ
パタのスタートに関して、天候が華氏10度前後でも、私は何の問題もありませんでした。

 そして、私たちの途中の、寒い天候でも、濃くなり過ぎないように私は10ウエイト(注3)の、モータ
ーオイルも準備しました。

 ZS1OUとZS1RMと一緒に更に二晩過ごしたあと、ジャックは、私たちが出発する予定の朝、午前5
時に目覚ましをセットしました。彼らとの美味しい朝食のあと、ジャックは私を船に連れていき、私の乗
船を見ました。彼は「全員上がって、上陸」とPAがアナウンスするまで待って居ました。

 それから、砕氷船はドックから後退し、ベルが鳴り、汽笛が数回吹かれました。私たちは、私のこれま
で行った中ではもっとも普通ではない旅の一つへ出発しました。トリスタン・ダ・クーニャは、かつてそ
こに住んでいた3人の仲間達を降ろすための、私たちの最初の停泊地でした。1年程前に火山が噴火した
時、他の全住民と一緒に彼らは島から追い出されました。

 私たちは、船内で朝食を食べたので、この日の朝、私は2回朝食をとりました!
 皆さん、来月はもっと沢山を。これは、私の忘れられない旅の一つです。

1DM注
(注1) レッドハンドル・Johnも初めて聞いた言葉で、特製の防寒下着で、赤い色だったのではとのことです。
(注2) ガロンには英国ガロンと米国ガロンがあり、英1ガロンは約4.5リットル、米1ガロンは約3.8リットルです。
(注3)10ウエイト(10W)・潤滑油の粘度を表すアメリカ自動車技術協会(SAE)の規格で、10Wは低温側粘度を表し、
    低温地用のオイルのことです。
2007.4.9
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