| W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その29) アマチュア目次へ戻る |
| 第13章 (4) VQ9AAの運用 |
ハーヴェイとジェイクは食事が終わってボートへ向かいました。彼らは島の反対側の砂州を探し、そし てボートを浜に引き揚げ、その船首から船尾まで塗り替えようとしていました。その時は高潮でそしてそ の夜は当然満月だったので、ボートは高く乾いていたのが確かで、彼らはビーチを遠くまで行く必要はな かった。彼らはボートを全部塗るのに沢山の時間が欲しかったのです。 ハーヴェイは彼のテントを持って上陸し、そこで彼の運用を始め、彼の風力発電機などを使ったでしょ う。彼らが次の高潮を待つ間、私は運用におよそ14日を使えるでしょうと私に言いました、、そこで潮の 高い間に彼らは再びボートを浮かべることができる、それはおよそ2週間先でした。それは私にぴったり ですばらしい!皆さん、アルダブラから無線を14日間です;そうです、それは100%私にぴったりでした。 彼らが出かけてから、島の人達の沢山の協力で私はすぐアンテナをあげました。そのDXpeditionの間、 私は水平ダイポールだけ持っていました。私はハイゲイン社とそのすばらしいオールバンド垂直グラウン ドプレーンアンテナについて何も知りませんでした。私がそれについて知っていれば良かったと思います、 なぜなら私がおこなったよりもはるかに良い信号を出せたと確実に思うので。 私は、太陽が昇るのと沈むのがどの方向かをマネージャーに聞きました。私はコンパスを持っていなく て、私は彼の言葉を聞いてダイポールをヨーロッパと米国に向けてあげました。古いパタパタ(発電機) をスタートさせ、そしてVQ9AAはオンエアーされました。すぐに、楽しみが始まりました。私は轟音と ともに仕事をしたと言います。それは、12時間以上止むことのないすばらしいパイルアップでした。 私が最初に無線を始めたとき、訪問者のアメリカ人に亀、鳥などなど島を見せたいと島のマネージャー が訪ねて来ました。なぜ私がここに居るかについて、このマネージャーが間違った印象を持っていること がわかりました。彼は私を旅行者として見ました。私はパタパタを止めにいき、そして私は良い話をした いと思うと彼に言いました。 私たちは、無線機が置かれたゲストハウスの食事用テーブルのあるバックポーチに腰掛けました。私は、 アマチュア無線のすべてについて、DXサーのことについて、アルダブラ島は世界でもっとも珍しい場所 の一つであること、私がここに居る間に世界中の何千もの人が私とのQSOのために待機していることを 彼に説明しました。 又、ここに来るためにそのような仲間たちによって非常に多くの費用が支払われ、そして私は正直な人 間で、私が島にいる間運用以外は何もしないことを義務づけられたと彼に説明しました。もし物事が納ま ったら、その後で島のいろいろな場所の幾つかを訪ねる時間があるかも知れないと彼に言いました。 私の望むすべては、運用テーブルに座って彼ら全員と交信するまで、毎日、毎時間、仲間と次々に交信 することであると言いました。私は、バンドの状態がもっとも悪くなった時間と私が思った半端な時間に 食事したいとさえ言いました。 その後では、島を見せたいと彼が言うような問題はありませんでした。3日ほどの運用のあと、驚いた ことに、太陽が海に沈む場所が私に示してくれたところではなかったのにまさに偶然気がつきました。私 のアンテナはヨーロッパと米国には向いていませんでした。それは数度ずれていました。 ・ パタパタが止まった 翌日、私はアンテナの方向を変えました、そして、ヨーロッパと米国からのすべての信号が”S”でおよそ 2ポイント高く聞こえました。DXpeditionの人達に必要な他のもの;あなた自身のコンパスを持参して、 あなたの電波を発射するための方向を示させなさい。東と西がどの方向であるかについて誰の言葉も信じ ないように。彼らの殆どは知りません;彼らはただ思うだけです。 私にとって、物事は順調でした。食事はとてもすばらしかった。あなた方誰か本当の海亀のステーキあ るいは海亀のレバー、あるいは海亀の卵のスクランブルを食べたことがありますか?それらの海亀には なにかの生臭さのようなものもありません。 海亀のステーキは普通の子牛のカツレツよりおよそ2倍白く、約2倍柔らかく、それらの海亀のレバー は非常にすばらしいです。それは、あなたのフォークで切ることができます。卵はおよそ75%が黄色で、 ココナッツオイルでのスクランブルエッグはとても美味しかった。海亀の肉やそのほかのを食べるのに決 して飽きませんでした。 そこでの魚は虹のいろいろな色です。私にとってそのすべてが美味しかった。魚をフライにし、茹で、 シチューに、魚のスープ、それに魚のカレー、そしてお米も素晴らしかった。ここでは、彼らは沢山の米 を食べます、そして、私は米国のお米を食べるパートからきたので、私はお米で本当に気楽でした。 若いココナッツの木のある部分はキャベツの良い代用品でした。タケノコは野菜のように茹でると本当 においしかった。彼らは殆どの食べ物に沢山の辛い胡椒を入れるのが好きです、私は胡椒を嫌いだと私の コックに説明してから、彼はそれを190度から約125度まで減らしました!彼は胡椒が少ないと何も料理 できないと言いました、なぜなら、正しい料理はできないだろうと。それは、まだ非常に辛かったが数日 後には私の口は胡椒の味に強くなったと思います。 私はハーヴェイの信号を聞いてみました、そして、遂に彼を14085付近で、およそ僅かS3で見つけま した。私はCWでは14035あるいは14065Mc、そして、SSBは14125プラス・マイナス付近を使った ので、ハーヴェイと私はお互いにQRMを起こしませんでした。 運用のおよそ3日後に、私の発電機は完全に止まってしまいました。私は幾つかのプライヤーの他には、 全く何の道具も持っていませんでした。プライヤーだけでエンジンからシリンダーヘッドを取り外そうと したことはありますか?私はやりました。 私は、全部のカーボンを洗い落とし、バルブのカーボンのいくらかを取り去りました。シリンダーヘッ ドを再び取り付けたあと、モーターはまだ動きませんでした。スパークプラグは沢山火花が飛びました、 そこで動かないのはキャブレターが原因でした。バルブシートの一つは完全に閉じていました。これは開 けました、そして、キャブレター全体をきれいにしました。それを戻す際に、ガスケットが二つに割れて いるのを見つけました。それからコールブックのカバーがキャブレターガスケットにFBであるのを私は 発見しました。 キャブレターを締めている間に、同時に何かが“割れ”ました。私はそれを開けて、ニードルバルブの 一つ、テフロンで作られたそれが故障して実際に半分に割れていたのを見つけました。さて、私は、キャ ブレターの故障ではもっとも危機的な場所のアルダブラに居ました。予備は全く持っていませんでした。 DXペディションをする人達へのヒント、小さなパーツを持参しなさい、少なくともキャブレター用ガス ケットを。 |
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| 第13章(5) カツオ鳥のショー |
すべてを元に戻してすぐパタパタを廻し、私は無線に戻りました。あなたの将来のDXpeditionのため のこの話の教訓:少なくとも、幾つかの小さなスペアーパーツと電源装置の幾つかの工具を持参しなさい。 これは、私の考えでは必要なことです。 アルダブラでの最初の夜の日没頃、私はビッグパイルアップ中で運用していました、そしてまったく突 然、私はものすごい騒音が外で聞こえました。私は翼の羽ばたき、ギャーギャー、キーキー鳴く声、ドサ ッという音などを聞きました。何がこのすべての最大の騒ぎを起こしたのかを見るために外へ飛び出しま した、そして飛び入り自由の競技の中にいるように見える何百もの鳥がいました。 しばらくこの大乱戦を見たあと、なされていたことのパターンをすぐに見ました。カツオ鳥は、アルダ ブラにいる雛のために、一日中外で魚を捕まえて沢山の小さな魚で餌袋を一杯にして日没に帰ってきまし た。他の鳥、“それらをファルコンと呼びましょう。それらは別の名前がありますが私はそれが何だったか 忘れました。”は高いところを旋回していて、海面上およそ50フィートに来たそのカツオ鳥を見分け、そ してファルコンはその翼を閉じて石のように降下します。ファルコンはカツオ鳥の背中のまん中にぶっつ かり、カツオ鳥に衝突し殆ど息絶えたように思います。その突然の衝撃がカツオ鳥の餌袋の中の一杯の小 さな魚を吐き出させます、そしてファルコンはカツオ鳥の下に回り込み、カツオ鳥が吐き出した大きな口 に一杯の魚をつかみます、 この一寸したエピソードは丁度暗くなる前に毎晩行われます、そしてそれはTVのレッドスケルトンシ ョウよりも良かったです。雛のために餌袋を一杯にしたどのカツオ鳥もうまく通り抜けるのを決して見ま せんでした。これは調べられ、およそ3から4%のカツオ鳥が通り抜けると私は言われました。これらの 鳥をブービーバードと名付けた誰もが、その鳥に非常に描写的な名前を選びました。疑いなくそれらは、 働きもせずに魚をキャッチをするファルコンのために毎日捕るブービーの鳥です、 私は、すぐにいつもの運用スケジュールで全力を注ぎました。およそ午前5:30(現地時間)に私は起き て発電機を廻し、バンドの状態が悪くなる午前10:00頃まで運用します。それから遅い朝食をとり、そし て午後2:30頃まで寝ます、それからディナーの時間です。ディナーの後、およそ午前2:30まで運用しま す:それからおそい軽食をとり、目覚ましを午前5:30にセットして寝ます。これは、私に十分な睡眠を与 え、そして皆のために十分な運用でギャングたちは満足します。 最初の週のあと、ビッグパイルアップはさばかれ小さなものに下がりました、そして私はツーリストが するように島の周りを見る時間ができました。 船がマヘ来られるときに、その船を待つ間、通常およそ200匹の大きな海亀を保つ場所、海亀の池を見 せられました。決まったスケジュールはまったくありませんでした、しかし、生きた海亀を拾い上げるた め、通常3ヶ月か4ヶ月毎でした。それらはデッキの上で、海亀の池に入れられる場所のマヘへ戻り、そ して必要とされたときに販売されます。アルダブラの釣りは、大規模であるように、私には見えます。 ・ペギーはベストです 毎日、各ボートは出かけてボート一杯の魚を捕まえました。それは、銛で魚を突く大変な作業でした。 魚が岸に持ってこられると、それらは、洗われ、塩の混ざったアイスクリームに似たものでカバーされ、 天日で乾かされるため外に並べられます。 (塩混じりのアイスクリーム状のは実際に岩塩で、これは、水を通常の氷点-華氏32度以下に特に冷たく します。John) そのあと、この乾燥された魚はマヘで使われるために送られ、多分幾つかはアフリカに出荷されます。 コプラ、ココナッツの果実を乾燥したもの、は非常に大量に作られます。誰も、一生懸命に仕事をしてい るようには見えません。彼らは、ある程度の毎日する仕事があります、そして、彼らの殆どは毎日の仕事 をおよそ6時間するでしょう。もちろん、数人のがんばりやは余分の報酬のためにより長時間働きます。 しかし、これは一般の習慣より例外でした。 私は、最終的にハーヴェイとQSOしました、彼は島のもう一方の端から運用していました、そして私 たちは全部で17日間島に滞在するつもりであると言われました。これは、私にとって本当にFBでした。 もし、アルダブラの再運用があれば、私は40mと80mの運用を準備し、皆さんにこれらのバンドで、 皆さんにニューカントリーを与えるつもりです。多分160mでさえも。 私がそこにいた間は、コンディションは非常に良いように思えました。もし、私が、太陽黒点の高い間 にそこにいたら、どのように聞こえただろうと考えました。10mから80mまでオープンしたときに、そ こから交信することができる局をあなたは想像することができますか?24時間のオープンは本当に酷使 されるでしょう。しかし、死ぬにはなんとFBな方法でしょう!ハハ。 アルダブラにいる間に、Ackを通して、私たちは新しい家を建てなければならないと言うペギーからの メッセージを受け取りました。それは、これらのページでリピートするために、私が時間をとるつもりの、 土地取引についての長いストーリーです。しかし、土地取引のために新しい家を作らなければならないと ペギーは言いました。私は彼女に言いました、進めるように、そしてハムシャックを忘れないで建てるよ うにと。 私はハムシャックを作らせたと言います。それは、私自身が建築する勇気があるであろうよりも、ずっ と大きく、より素晴らしかった。ぺぎーは、私の150フィートのタワーを倒し、そして5エレメントのビ ームまでも分解させました、みなさん、私はなんと素晴らしいXYLをもったことを本当に発見しました、 そして、今日まで彼女は少しも変わりませんでした。実際、彼女はいつでもすばらしい:今でも、毎朝、 朝食をハムシャックまで、そして、私が頼めば、夕食さえも運んでくれます。 ペギーと同様の人は殆ど居ないと私は確信します。あなたを最初は7ヶ月、それから2年間も行かせて くれるようなあなた方の奥さんは何人居ますか?私は、そのパーセントは1%以下だろうと思います。ペ ギーは私に言います、私たちの結婚の彼女の最初の義務は私を幸福にすることであると、そして彼女は他 の人々を幸せにすることもまた好きです:そして、これがそれをする彼女の方法です。 私は、米国とカナダで、私のカラースライドを見せて、海外でのDXpeditionの経験を話す旅行の中頃 にいる間に私のストーリーのこのエピソードを書いています。ペギーは、女性のために同じ事をしていま す。私たちの旅行は、今の時点で、私たちはバージニアのリッチモンド、ワシントンDC、ピッツバーグ エリア、毎年の大きな集会、オハイオのデイトン、デトロイト、バッファロー、ニューヨークに行きました。 続いて、ボストン、VE2の人達とカナダのモントリオール、VE3の人達とトロントへ行きました。米国に戻 り、私たちはポトマックバレーとフランクフォードラジオクラブが彼らの年次大会を開いたフィラデルフ ィアへ行きました。 |
| 071M010507 2007.1.7 |
| 第13章 (6)米国とカナダの旅行 |
非常に沢山の場所から私がQSOした人達と会った、ペギーと私の素晴らしい旅でした。勿論、多分将 来使うために、すべてのコールは私の小さなホワイトブックに書きました。ペギーと私が、国中を旅行す ることを可能にしてくれた沢山の友人たちに、いつまでも私は感謝します。 私たちが家に帰る7月の4日か5日に、いくつかのアンテナをあげることを始めるつもりです。私の古 い5エレメントヤギを取り外し、そのブームは新しいUSファイバーグラス4エレメント3バンドクワッ ドに使うでしょう。それがDXのためにどのように動作するかを知りたいと思います。この時点では、進 行中の別のDXpeditionの前に、私はどのくらいのあいだ家に居るかは判りません。 まったく新しいWTW(注)は今や動いています、私が行く殆どどの場所も皆さん殆どにニューになる でしょう。私が一寸聞くことが出来たバンドの様子で、WTWは非常によく始まったように思えます。そ れが盛んになるとき、いつか急に動くと思います。 アワードは、それぞれのバンドでフォーンとCWが分けられているので、私たちは良いものだと思いま す。完全なWTWカントリーリストはまだ完全ではなく、いくつかの大きなナショナルソサエティーが私 たちに送ってくれるはずのカントリーについて私たちはまだQRXしています。おおよその数で、結局、 WTWのリストにはなにか400を越えるだろうと思われます。 私たちはARRLのDXCCリストから始めました、そしてナショナルソサエティの示唆によって、それ らのカントリーが追加されました。私たちのカントリーリストに、その場所がなぜ有るのかのような、困 らせるような質問については、私たちは拒否します。それらを私たちに示唆してくれた、ナショナルソサ エティへのすべての質問を私たちは参照するつもりです。 私たちがホームQTHに立ち寄り、フィラデルフィアから、仲間WA5EFL、Moretzをペギーと私が訪 問し、一晩泊まるために立ち寄るつもりのリトルロックへの途中で、このエピソードの数ページが書かれ ています。それから、私たちはヒューストン、そして私の古い友人、非常に早いバッグキイのドットを打 つ、ウエストガルフの仲間の素晴らしい奴、W4JYQ、フランクの所に行くつもりです。 私たちは、そこから西へ続けカナダへ入るつもりです。私たちは、/VE8で一寸運用出来るのを希望し ています。今回、ペギーと私は米国とカナダを見ています。私たちは、フロリダ、オーランドのW4YJQ から手に入れた、新しい小さなムスタングでドライブしています。それはマシーンのように、ゴロゴロと 音をさせながらかっこよく走ります。私たちの車には空調があり、7月に家に帰る前に、私たちが予想す る暑い天候への準備ができるでしょう。 私と仲間は、沢山の遅いアイボールQSOを夜から早朝まで持っています、そして彼らの多くが私たち のまったく新しいWTWに非常に喜んで参加しているのを知って私はとても喜んでいます。彼らの多くが、 本当に新しい素晴らしいDXアワードを始めたことについて、感謝の気持ちを表現しました。ご承知のよ うに、WTWアワードにカウントされるすべてのQSOは、1966年5月1日0001GMT以後でなければ なりません。 ・ 素晴らしい友人との会合 米国全土のよき友人達と直接会うのは確かに素晴らしいことです。非常に沢山の本当に誠実な友人達が 各州に居て、そして私たちが行く何れの場所でも、そのような素晴らしい友人のいることが私たちペギー と私の二人に非常にすばらしいと感じさせることを知ったことはとても素晴らしいです。 私たちの旅行のハイライトの一つは、いままでの所ニューハンプシャー州のピーターボローの73誌の 家を訪問したことです。私たちは、ウェインとポールを含むそこの全員から歓迎されました。ウェインは そこに37室もある家を持っています、そして、73誌を発行するすべての作業は丁度一つの屋根の下です。 すべての仕事を、およそ僅か9名でしているように思えました。それぞれの人が自分の仕事を知ってい て、それをしていました。どこかの所のようなラッシュはありません。皆が、自分の仕事を気楽にしてい るように見えました。QSTやCQ誌を発行するために何人が仕事をしているだろうかと思います。9名よ りもっと多くの人が、それぞれで仕事をしていると思います。73誌の人達は良い雑誌をそのように少ない 人達で効率よく発行しているにちがいないと思えます。 ニューハンプシャーの気温は私たちが数週間前にサウスカロライナ州のオレンジバーグを出発したとき とは大きな違いがありました。私たちが泊まったその夜の気温は華氏30度にまで下がりました、そして、 TVの気象担当者は、その日のサウスカロライナの天候は華氏80度にまで上ったと言いました。 私たちは、73誌で確かに非常に歓待されました、そして私たちは次の訪問のためにここに戻ることを望 んでいます。ウェインは、そのように少ない人達で彼がその仕事をしていることを確かに祝われるべきで す。私が言えるすべては、「ウェイン、あなたが73誌でしているFBな仕事を続けて下さい」と言うこと です。 そうだ、/VE2と/VE3の両方の運用で私は二つの新しいコールサインを私のリストに追加しました。ト ータルで119の違ったコールサインです。 これまでに、あなた方の仲間で130フィートのタワーを16基使っているアマチュア局を見たことが有 りますか?それはW1EVT、クレムです。あなた方の誰かがW1FH、Chasが彼の店で働いている間ピス トルを携帯していることを知っていますか?それは、ボストンのもっとも無法な場所の一つに位置してい ます。そのような、沢山の面白いことが私たちのルートに沿って、あちらこちらのいろいろな人達の間で 見られました。 ARRLは新しい会長が必要でした、そして新しい会長に誰がなるだろうか多くのホテルの部屋で沢山の 話がありました。これが印刷されるときまでにはこれは古いニュースになるでしょう。非常に沢山の人達 がこの議論をしているのを見たり聞いたりすることは面白いことでした。多分土曜日の夜、ボストンのい ろいろなホテルの部屋で新しい人が選ばれたでしょう。 高度な政治の話の議論を見たり聞いたりするのはかなり面白いです。普通、私は大会や道中のそのほか の場所でとても沢山のコカコーラを飲みます。勿論、そのほかの沢山の飲み物、コークよりもかなり強い ものも他の人達によって飲まれます。 |
| 注・WTW 私は、この名前のアワードを始めて聞きました。この文章からは、モード別も数えるDXCC
Challengeの ようなアワードのように思われます。また、カントリー数が400にもなるようですから、カントリーの基準も DXCCとは大分違うのでしょう。 |
| 072M011007 2007.1.13 |
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