W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その19)   アマチュア目次へ戻る
   第9章 (6) 彫刻のための駆け引き(注1)               前の頁へ
 
 私がサウスカロライナのオレンジバーグを出発する前に、純正の服飾用プラスティック宝石を大安売りし
ていた5セント10セントショップを通り過ぎたのを知っているでしょう。さて、私は“馬商人”
(注1)
ようなものになり、このジャンクをを少し買って、それを持っていこうと決めました:ことによると、道ば
たのどこかで、現地人と取り引きするかも知れないと思います。私は、それを大きなバッグいっぱいに買い:
合計で15ドル使いました。
 さて、私は、VQ9でこれを荷ほどきするまで、この物を持っていることを、全く忘れていました、そして、
私のスーツケースの一番底に、この品物の入ったバッグを見つけました。

 私は、そこの現地の人達と、Docが欲しがっていた彫刻とこの宝石を物々交換するつもりで“口論”を、
するつもりでした。これは、それらで“駆け引き”をすることが可能かどうかを、私が知るチャンスでした。
私の小さなブリーフケースからすべてを取り出して、その中に、純正のプラスチック宝石を詰め込み、私の
小さな金鉱を握りしめて市場へ行きました。

 そこに着いて、そこの若いやつが“私のアメリカ人の友達”と言いました。私は“あなたの値段は高すぎ
る”と言いました。そうです、それはまさに私の言ったことです、そしてそれから、私の違う方のズボンの
ポケットを見せて“私はあなたに使うお金は全く持っていない”と言いました。(Docのお金は私のコートの
ポケットにありました。)
 
 私は“さて、私たちは一寸した商売が出来るかも知れない”と言いました。私は、彼に、彼が持っている
全部の2個の品物を買うため、その地面の上に品物を積み重ね、、それを全部見て、もっとも安い値段を私に
話してと言いました。そして、彼がまさしくそれをして、そして、あなたに言うように、それは彫刻のかな
りの沢山の量でした。それは、そこの地面の上で、かなりの物でした。

 それから、彼はすべての物のトータルの値段を合計しました、その時までに、人々はこの“大きな取引”
を見るために集まりました、私は、これが彼らにとって“大したこと”に見えたと思います。彼らは、それ
をずっと見たがっていました。

 さて、彼は高い値段を私に示しました、そして私は私の金額を言いました。彼は、下げました、そして私
は一寸上げました。彼は、更に少し下げました、そして、私は“少し”上げました。再び、彼は、更に少し
下げました、そして、私は“少し”上げました。私たちは、値切り、更に値切りました。さて、私たちの値
段は、まだかけ離れていて、私たちはなにか“バカ”みたいでした。彼は、下げないで、私は上げませんで
した。

 私は彼に言いました、“さて、私は行かなければならないように思う、角をまがったところの、あそこのイ
ンド人の店で買おうと。”そうしました!彼は言いました、“ノー、ノー、彼らに私のお金を使ってはいけま
せん。しかし、彼の値段は安いので、そして、私は、QSYして、私は100フィートほど離れました。(彼は
考えた、私が本当に行ってしまったと、しかし私は戻るつもりで、しかし、彼はそれを知らない。)彼と私は
両方ともはったりをしていたと思いますが、結局、私は彼を押し切ったと思います。
 
 さて、彼は私を呼び戻し、言いました“OK、友達よ、私はそれだけで売ります。”私は言いました“あな
たは未だ高すぎる。”私たちはもう少し交渉しました:彼は下げてきた、私は上げてきて、しかし、彼が下げ
るより早くと言うわけではありません。オー、私は、非常に注意深く、上げるのは非常にゆっくりでした。
これは腕前を競うゲームでした、そして、お互いに楽しんだと思います。正直なところ、私自身これ全体を
一寸楽しみました。さて、私たちは“バカ者”で、もう上げないでしょう。

 私は言いました、“さて、素晴らしい友達よ、私達が商売を出来ないのは嫌いです。もう私の食事の時間で
す。どちらにしろ、私が食事を終わったら、私は角のインド人の店に行き、そして、そこでお金を使うつも
りです。”彼はもう少し下げたいと言いました、しかし、実際私の希望は彼の値段より低く、そして、彼はお
腹を空かした子供を食べさせるためには、私の値段では売れませんでした。私は彼と握手して、ホテルに戻
りました。(あなたに思い出させます、これらすべてはDocが良い買い物をしただろうと!)これは私が使
うつもりだったDocのお金でした。

 とにかく、私は去って、まっすぐ戻りました。私は、実際にホテルのロビーに入りました、そして、そこ
に友達が走り込んできて、そして、彼は、私は戻るべきで、私の値段で売りますと彼は言いました。(私は、
食事が終わってから戻り、彼の値段で買います!)さて、私はそこに行き、そして“今幾つかの箱を手に入
れて、全部を包んで下さい”と言いました。彼は、近くの店から、3個の箱と一握りの新聞紙を持ってきて、
そして、全部を注意深く包み、紐で縛りました。

 私は、彼にお金を手渡し始めました、そしてそれから私は“あなたは良い友達だ、そして私はあなたに何
かして上げたい。”と言いました。人々は、再び集まり始めました。それから、純正のプラスチック宝石でい
っぱいの私の小さなブリーフバッグを開けて、プラスチックの長い鎖をゆっくり取り出し、上に上げました。
あなたは現地のYL達のアー、オーなどの声を聞くべきでした。彼らは皆それを見たがり触りたがりました。
それは、周囲の皆に手渡されました。彼らは、賞賛し
(注2)、それを持ち回り、そこで私は、他の物を幾つか
取り出し、そして、それらもまた渡されました。さて、あなたがをれを知る前に、私はおよそ4個の品物が群衆
に渡されました。

 私は言いました“一寸待って下さい、その宝石を私に戻して下さい、幾つかはこの人々の中で見えなくな
るでしょう。”彼らは、全部を返しました。少なくとも、私が思うには、全部戻りました!私は、それらを私
のブリーフケースに戻し、ジッパーを閉じました。

 私は若い友達に、“この宝石はどうですか?”と言いました。彼は、とても良く思える、私がどのくらいそ
れを欲しいか。私は“宜しい、あなたが置いている3個の箱と同じだけの他の彫刻の代わりに、私はあなた
にこれを全部あげます。”それから、彼は全部の宝石を見たがりました、そして、彼が全部のそのジャンクを
取り出した時、あなたは彼の回りに群がっていた、VQ4 YL達のすべての興奮を聞くべきでした。

 彼は、置いている箱の2個分はあげられないが、丁度一個分ならあげられると言いました。私は、“ノー、
ノー。“と言いました。それから、これは純正のプラスチックで、あなたが安い値段でどこででも見つけられ
る安物のイミテーションプラスティックではないと彼に説明をしかけました。さて、私たちは更にもっと値
切りました、そして、私は、“さて私は、どんな取引も出来ないと思うと。”と言いました。それから、私は
彼が、それらの全部の彫刻を箱から出して戻すことも出来ると言いました。この間中、お金は私の手の中に
ありました。
・・・・
(ここの文章は読めない・John)・・そして、片方の目はお金に、もう一方の目は宝石に注がれてい
ました。

(注1) 駆け引き、馬商人、原語は“Horse trading”ですが、このように意訳しました。
(注2) 原語は"They were ahing "で、Johnに尋ねたところ、この"ahing"は、「賞賛し、拍手喝采した」の意味で,会話では
    頻繁に使われるそうです。しかし、字として書かれたのは、Johnも見たことはないそうです。実際、私の辞書にも、
    インターネットでも見つかりませんでした。
044M082506    2006.8.31
・本物のプラスチックの宝石  

 私は、彼がビッグセールを考えていたのを、ミスしようとしていたと推測します。それ以上の無駄話と交
渉の後で、“OK、あなたは友達だから、あなたのためにこれをそうします。”と彼は言いました。彫刻は、
再び地上に重ねて置かれ、更に3個の箱に一杯になりました。それから、私はお金と宝石を彼に渡すことを
始めました、そして、言いました“一寸待って、私たちは取引は出来ません。”(私は、テーブルの下の彫刻
の大きな象を見ていました。)彼はそれらの一つしか持っていませんでした、そしてそれは彼が持っているど
れよりもおよそ3倍も大きな物でした。)

 私は、この大きな彫刻を指さして、私は、このような物を約束した、故郷に居る親しい友人のことを急に
考え、もし彼がこれを無料で渡してくれるなら私たちは取引を終わることができるのだがと言いました。私
は言いました、“これが私の最後の申し出で、それを取るか、あるいは残すか。”彼は、彼の父を呼びました。
(彼は、この間中、そばに立って居ました。)彼らは、特別な儀式をして、彼はこの申し出を受けました。

 私は、“勿論、あなたは、私のホテルまで届けてくれなければならないでしょう。”と言いました。私は、
また、彼に、私がそれと一緒にいる間に届けて欲しいと言いました。その後、私が箱を開けたとき箱の中に
何かがないかも知れないと、心配していました。これに彼は同意しました、私たちはその6個の彫刻の箱と
一緒にホテルに戻りました。仲間のDocは完全に満足しました、そして、本当のことを言うと、私もそうで
した。全体の取引は半日かかりました。

・アフリカのバスでザンジバルへ
(注1)

 私は言わなければなりません、私は全部のことを楽しみました、そして値切る技術について少し学びまし
た。数時間で、私たちはライオンの国を通り、列車でのナイロビへの途中でした。そこに到着して、私は、
今度はジョージ、VQ4AQのところに滞在しました。私は、私の無線機が、イタリアのミラノから遂に到着
したのを知りました。どうして、航空貨物が一ヶ月もかかって着いたのでしょうか、私は全く判りませんで
した。

 これにかかっている間に、カンサス市からの仲間は、VQ1、ザンジバルへの短期間の旅行をしました。彼
らが戻ったとき、私はすべてに注意して、ジャングルを通るアフリカのバスによる、ダラッサーラームへの
困難な、しかし安い方法でVQ1、ザンジバル
(注2)へ出発しました。さあ、それは面白い旅行でした。ナ
イロビからダラッサーラームへのアフリカのバスに乗れば、私の考えが判るでしょう。猿、蛇、ライオン、
象、シマウマ、ガゼル、それに禿げ鷹。何もかも、何百も見ました。それは二日の旅で、控えめにいっても、
荒れた道(でこぼこ)でした。

 来月、私は古い仲間、Peter Dobs、VQ3PBDとのミーティングと、そして、レアーなスポットのVQ1か
らの運用についてお話しようと思います。この最後の部分は、私がZC4、サイプラスに居るときに書かれて
います。私は、未だ世界中を見て、それを楽しんでいます。これは、私にとって99番目のカントリーです!
私は100番目、DXCC、のカントリーを手にいれられるかどうかと思います。多分するでしょう、あるいは
しないでしょう。誰が判ります?

73誌の来月号までギャングの皆さん73!Wayneへも73!
(注2)     
                                                                  (第9章・終わり)

(注1) VQ1,ザンジバルは1974年まで、別カントリーで、当時はレアーなところでした。
(注2) この文章から、この原稿はGusが73マガジン誌のために書いたものと考えて良さそうです。
045083006    2006.8.31
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