5.3 Noosaで煮込みうどん

  3時20分。Big Pineappleを出発して、Noosaのショッピングセンターに着いた。今晩の夕飯の仕入れである。
 何とここでうどんを見つけたのだ。中華料理のヌードルではない、れっきとしたJapanese noodleである。うどんといっても白玉うどんを少し細くしたようなもので、すでにゆでてあるので、温めればすぐ食べられるのである。昔小学校の給食のときに、月に一度出たうどんのようだといえば、同世代の人には分かるだろう。
 よし、こうなったら今晩の献立は決まった。Noosaで煮込みうどんだ。うどんを作る上で欠かせないだしが必要だ。実は日本から化学調味料の「ほんだし」を持ってきたのだ。あと醤油が必要だが、これも日本から持ってきたのがあるが、ちょっと量が足らない。ところが、日本の醤油「キッコーマン」といえば世界のブランド、ちゃんとここにもあるのだ。
  その他、我が家の煮込みうどんで必要なものといえば鶏肉。ところがここオーストラリアでは、鶏肉が牛肉より高いのだ。それにだいぶ量が多い。これにはびっくりした。さすがはビーフの国だ。ここで考えてしまった。ま、今回はあきらめることにしよう。それと、ねぎや白菜なんかは、中華料理の食材としてどこのスーパーでも置いてある。
  これで材料はそろった。午後5時、アパートメントに帰ってきてさっそく食事の支度だ。これはおかみさんの仕事だ。
  用意ができて、はたと気がついた。箸が無いではないか。飛行機の中でもらってきた割り箸が二つあるだけだ。まあ仕方が無い、フォークで食べることにしよう。
  で、味はというと、せっかく作ってくれたおかみさんには悪いが、まあまあというところか。いつもの我が家の味ではない。まずうどんがおいしくない。これもオーストラリアというところで仕方が無い。うどんのつゆの味も、鶏肉が無かったのと、酒が無いので、いつもの味が出せなかった。
  でも、いつものようになべを囲んで一家四人で食べたうどんは、ハンバーグやポテトばかりを食べるのと違って、やはりおいしい。腹の収まりが違う。やっぱり僕らは日本人だなあ。
  こうして、思いがけずにうどんが食べられた幸福に浸りつつオーストラリア第7日目は終わった。


Noosa川のほとりで撮す。ぶらぶらと何もしなかった一日

 次の日、8月14日木曜日は特に何も予定なし。アパートメントでぶらぶらすることに決めた。ただし、夜はKlausと食事することを約束したので、それまでフリーだ。
 せっかく旅行へ行ったのに、何もしないなんてもったいないと思うかもしれないが、何もしないのがリラックスできて、最高の贅沢である。このあたりが日本人の旅に慣れていないというか、余暇の過ごし方が下手というか。これは多分に日本人の、特に働き盛りの社会人の、休暇取得の日数が少ないところから来ていると思う。
  以前Klausに聞いたことがあるが、有給休暇の日数は日本もオーストラリアもさほど違いはない。年間で1ヶ月ほどだそうで、僕なんかだと年間40日もあるんだから、かえって多いくらいだ。ただ、その休暇をちゃんと利用するかどうかの違いだけだ。
  とかく日本人は、自分が休めば同僚に迷惑がかかると考えるが、オーストラリアの人は、自分も休むんだから、同僚が休みのときは自分が代行するのは当然、と考えるようだ。(これは僕自身の意見です)これには、自分の仕事を他人が代行できるようなシステムになっているとか、自分の仕事は他人にさせない、などという考えを持っていないように思われる。現に、自分が今付き合っている人たちが休んでも、すぐ代わりの人に聞けるというのは、会社にとってもいいし、取引先にとってもいい。
 話は横道にそれてしまったが、今日は予定なしということで、そうなれば海へ行ったりプールで泳いだりと、金をかけずに過ごした。
 午前9時半、Noosaのビーチに出てみた。アパートメントから道を隔てた反対側がすぐ海だ。Gold coastと比べるべくもなく、あまり広くないビーチは日本の海水浴場サイズだ。海もあまりきれいじゃない。ごみは落ちていないが、所々に海草が落ちている。子供たちは波打ち際で遊んでいるが、どうもGold coastほどではないようだ。 ビーチをぶらぶらと歩いて、Heisting St.の反対端にある公園の入り口まで行った。そこからHeisting St.を戻ってきた。今日はNoosa第一日目の夜と違って宿探しの必要はなく、のんびり歩ける。
 通りのいろんな店に顔を出して、土産を買った。土産といっても、ちょっとしたキーホルダーとか財布なんかだと、隅っこにMade in ChinaとかMade in Indonesiaなんて書いてあるから要注意だ。オーストラリア製の簡単な見分け方は、製品にAustralian madeと書かれたタグを探すのが一番だ。
 おかみさんの実家の両親には、ちょっと派手目のTシャツを買った。自分自身着るTシャツはおかみさんが選んだ。オーストラリアへ来ても、あまり自分自身の土産は買わないのだが、ここは家族に付き合わなければならない。
 お昼前にアパートメントに帰ってきて、子供たちとプールで泳いだ。アパートメントのプールは、まったくの水のプール、少し温めてあるプール、そしてジャグジーバスがあった。


ちょっと冷たそうなプール。

 子供たちと温水プールで遊んで、その後ジャグジーに入り、後は背もたれの倒れる椅子で日光浴というか、ひなたぼっこだ。裸でいても、日にあたっていれば寒くはない。
 おかみさんはというと、同じように寝そべって、持ってきた文庫本を読んでいる。後ろのほうでは、老夫婦がプールサイドでバーベキューをしている。こんなところでも、簡単にバーベキューができる施設があるのだ。いいにおいがしてきて腹が減ってきた。
 部屋へ戻ってきて昼飯だ。昼飯は昨日買ったうどんの麺がまだ残っているので、味噌煮込みうどんを作ってくれた。味噌は、味噌汁で飲もうと持ってきたあかだしの素があったのでそれを使った。またまたうどんが食べられたなんて、うれしかった。こういう事ができるんだったら、唐辛子と箸は忘れずに持ってくるべきだった。
 午後からは、今晩Klausと食事するので夜遅くなるからと、子供たちに昼寝をさせた。
 夕食は、NoosaとKlausの家との中間あたりにあるタイフードレストランで、フリーウェー沿いにある。場所は、あらかじめKlausが場所を書き込んだ地図をもらっていたので大丈夫のはずだ。道に迷わなければ30分ほどで行けると思うが、約束は午後7時ということだったが、道に迷うのは必至なので、早めの6時10分前にアパートメントを出た。
 Noosaを出発して、まずEumandiを目指す。ここはKlausのくれた地図のとおり。Eumandiからフリーウェーに乗って、Yandinaで降りて、左に曲がれば目的地に着くはずが、どうもそれらしい建物が無い。あたりはすでに暮れなずみ、夕闇が迫ってきた。お店や民家がほとんど無いので、あたりは真っ暗になる。わりと近くで火の手が上がっているようだ。一瞬どこかが火事かと思ったが、これが例のサトウキビ畑の焼畑農業か。道沿いに車を進めると、あたり一面真っ赤になって、畑を焼いている。この灰がそこら中で降ってきて、プールを汚すので困る、とKlausがこぼしていた。 ここまで来て道が違っていることが確信できたので、とりあえずインターまで引き返すことにした。タイフードレストランの近くには、ジンジャーファクトリーというアトラクションの施設があるのはあらかじめ分かっていたので、それを目指すことにした。あるある、看板があった。
 ところが、この看板どおりに行くと、フリーウェーを渡って右側に行ってしまうではないか。これだともらった地図と完全に食い違ってしまう。何かおかしい。オカミサンと二人で地図を見ているが絶対におかしい。その時、この場所を説明してくれたときKlausが、最近ここをバイパスする道ができたということを話していたのを思い出した。そのことが、地図上にボールペンで書いてある。この道が正しいと仮定すれば、タイレストランは道の右側にあることになるので、つじつまが合う。
 その仮定どおりに進むと、あった。やっとたどり着いた。レストランの名前、「Spirit House」が読める。それにしてもあたりは何も無いところだ。暗くてよく分からないが、回りには民家の明かりすらない。予定の時間より30分ほど早く着いたが、まあ仕方が無い。
 程なくしてKlaus一家と、彼の友達Joanと彼女の息子たちが来た。ちょうど長男がBrisbaneから帰っていたので、Klaus一家は全員揃ったことになる。
 さて、食事のほうだが、この8月の真冬!の季節なのに、外のテーブルを予約してあるというのだ。気温としては体感的に20度を下回っているようだ。上着が無いと寒い。ぼくは薄手のセーターしか着ていない。


暗くてわかりにくいが、ビニールで囲われている。

 テーブルの周りは、石炭を燃やしているし、ビニールの幕で覆われているので助かった。食事はタイ料理ということで、期待したが、何のことはない、オーストラリア人の口に合うようにアレンジされているので、ちっとも辛くなく、おごってもらって悪いが期待外れだった。
 しかし子供たちは、久しぶりに炊いた飯(長細いタイ米だが)が出てきたので嬉しそうに食べていた。 食事が終わっての帰り道、今度はオカミサンが運転することになった。僕はというと、ワインをしっかり飲んだので、運転を替わったというわけだ。帰りの運転はちょっと恐かったが、まあ何とか帰り着いた。オーストラリア8日目が終わった。

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