W4BPDが最初のDXpeditionを開始した1960年のときのカードです。
1960年8月、3A2BWから Gus
の世紀のDXpeditionがスタートしました。その後M1で運用したのち、いよいよ
目的のAldabra I.へ向けてSeychellesにわたります。ここでW0AIW,
W0MAF, W0UQVとともにVQ9HB, Harvey
の船に乗り込みAldabraに向け出帆しました。途中VQ9AIWでMM局を運用しました、しかし、天候が非常に
悪く海が荒れ結局島には上陸できず史上初のこの島
からの運用をあきらめてSeychelles に戻りました。
W0の人達はここからW本土へ帰国しましたがGus
はひとりでアフリカ本土にわたり、FL9
などから運用して
その年のクリスマスに米国へ戻りました。
DXpeditionの最終目標だった Aldabraからの運用は出来なかったのですが、この一連の運用で W4BPD,
Gusの名前が世界中にとどろいたのです。 Aldabraは1962年にVQ9AAで実現しました。
当時、Danny, VP2VBがYasme UでガラパゴスからHC8VBで運用して有名でしたが私達JA局にはW4BPD,
Gusは始めて聞く名前でした。しかし、少しづつGusの情報がはいってくるようになるとGusのDXpeditionの
スケールの大きさが明らかになり驚いたものです。日本では海外旅行もままならない時期で、東京の空港
は国際線も国内線も羽田だけの時代でしたからGusのPeditionは夢の様な話でした。
後で判ったことですが、Gus およびW0AIW達が1959年8月から10月号のDX
Magazine誌にAldabraへの
DXpedition計画を発表していました。当時の私達の情報源が限られていて非常に少なかったかが判ります。
ここにある6枚のカードは1960年当時私がGusと交信出来た局です。
私は1960年8月27日の朝、いつものように20mをワッチしていたら3A2BWが聞こえたのでQSOしました。この
時にはオペレーターがW4BPD, Gus
だと言うことを聞いただけで彼が世紀のDXpeditionを始めたのだという
ことは全く知りませんでした。その後9月23日の早朝に
M1/W4BPD とQSOした時には次の運用は HV1CN
の予定だと言ってました。
当時のDX ニュースはDXクラブと友人やオンエアーでの情報しかなかったので、Gusが世紀のDXpeditionを開始
したことは全く知らなかったのです。その当時、私が入っていた
Japan DXRadio Club の会報に私は次の
ようにレポートしています。
JDXRC会報より
1960.9.21号
W4BPD: 3A2BWで出ていたこの局は目下M1に居り次はHV1CNで出る予定。IC1INでも出たらしい。
1960.10.6号
VQ9:10/20頃よりW4BPD, W0AIWによりAldabraからでると。
1960.10.21号
VQ9AIW:W4BPD,W0AIWのクルーはVQ9に向かって出発VQ9AIW/MM
14050で1DMが聞いています。これが
お手許に届く頃はMMがとれたSigsがきこえていることでしょう。
VQ9/Aldabraが中止になったのは前に書いたとおりですが、11月1日のJDXRC臨時ニュースにはSouthern
Califorunia DXClubからの情報として、Gusの予定はAgalega,
Farquhar, Astove, Comro, Tromelin, Reuinion
などと書かれています。
これらの島へのDXpeditionはこの年には行われなかったのですが、1962年に実現しました。
1960年にはこのほか [VQ1A, 6O1AA, MP4BDE, MP4QAR,
MP4TAK]からもGusは運用しましたが私はQSO
できませんでした。
カードの周波数欄に14, 21, 28MCと印刷されているように当時はこの3バンドが中心で、14MCがメインバンド
でした。もちろん、当時はパケットクラスターやインターネットはない時代ですから仲間やDX
クラブの情報を
たよりにひたすらワッチをすることでした。
カードをクリックすると拡大した画面になります。
|