W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その30)   アマチュア目次へ戻る
第14章 (1) ヤシガニ                  

 第13章では、私はアルダブラ島で大いに楽しんで居ました。熱い半田鏝でテフロンのニードルヴァル
ブを修理したあと、アンテナの指向性の向きを米国とヨーロッパに合わせてパイルアップへの準備ができ
ました。その後、それらの方向からの信号は、はっきり判るほどのプラスがありました。

DXサーへの注意
 アンテナ線はあなたがQSOしたい人達への方向には向けないで下さい、これは絶対に確実にして下さ
い。あなたのコンパスを持参して下さい。勿論、あなたがハイゲインの垂直アンテナを使うならこれは重
要ではありません。垂直アンテナであっても、コンパスはあなたがアンテナを建てるさいに正確な場所を
選ぶのに役に立ちます。

 カツオ鳥が、彼らの道中で、魚が一杯の餌袋で戦おうとしていたのを私は毎晩見ました。(第13章・参
照)私は、この島でそのほかにも面白いことが見られることを知りました。さて、私が毎晩運用していた
バックポーチに侵入したヤシガニについて。

 ヤシガニは、扱いにくい悪戯もので、一緒に並べるとあなたの両方の拳のおよそ2倍の大きさです。
それは、夜、あなたにこっそり忍び寄るのが好きです。(ヤシガニは、日中は出てきません。)あなたが見
ていないときヤシガニはあなたに忍び寄り、そして突然あなたの足を切り取るでしょう、それはあなたの
ズボンの裾のことです。ヤシガニは何時も互いに争っています。夜中に殺された死骸が毎朝そこら中にた
くさんありました。

 それらは互いが嫌いで、最初に他のヤシガニを見たら“死ぬまで戦う”ことしか考えないと私は思いま
す。時には、朝私がオペレーティングする場所に来たときそれらはテーブルの上にさえ何匹かが死んでい
ました。ヤシガニは、はみ出したテーブルクロスを伝わってテーブルに登ったと思います。もし、あなた
が隣の人の訪問を望まないなら、ヤシガニは家のFBなペットになると思います。

 次の日に写真を取ることができるように、ある夜、ヤシガニをおよそ25匹捕まえ大きな箱に入れまし
た。しかし、翌朝それらは皆死んでいました。ヤシガニがその箱の中でまさに一晩中乱戦をしたと思いま
す。ヤシガニの全部が切り取られ、箱の中じゅうがヤシガニの断片で、そして全部死にました。探しても
元の形をしたのは見つかりませんでした。

 そのほかの非常に面白い夜の訪問者は特別に大きいコウモリでした。私がそこに居た最初の夜にそれら
の一匹と遭遇したことを言いましょう。私のオペレーティングデーブルは金網の張ってないポーチの後部
にありました。私と電灯との間に何かが何回も飛び交うのに気づいていました。それは、あるいは大きな
キャンドル蝿か何かそのようなものだと思いました。

 私は、14MCでSSBの大きなパイルアップになっていました。誰かが私を呼んでいました、ログには
時刻とレポートが書き込まれ、そして、私を呼んでいる局のコールサインを書き留めようとしていて、突
然、“なに物か”が私の頭の上に止まりました。この“もの”は私のヘッドフォーンバンドをまたいでいま
した。(マイクもこのヘッドフォーンバンドに付いていました。)その“もの”はいくつかの“カギ爪”を
持ち、そしてその小さなカギ爪で私の非常に薄い髪の毛と頭皮を攻撃しました。

・気がおかしくなる

 私は“一寸待って下さい、なにか問題が起きたので!”とマイクに向かって怒鳴りました。それから、
私の頭の上にあるこの“もの”を知るために、私の手を頭の上にあげて探ってみました。この“もの”は、
柔らかく暖かい毛で覆われていました。私は、髪の毛の上に居座っている小さなこの毛で覆われた“もの”
から手を素早く引っ込めました。

 私は一寸の間“凍りつき”ました、そして、この“もの”を私の頭から取り除かねばならないと決めま
した。それは“なにかをする”か、一晩中多分そこに居るかどちらかでした。私はすぐに“なにかをする”
と決心しました。私の頭からこの“もの”を掴んでそれを床に投げつけました、すべては一つの動作で―
私は本当にそれを掴みました。

 床の上に落とされたヘッドフォーンとマイクと、その“もの”は翼を広げるとおよそ20インチ(約50cm)
もの大きな“こうもり”に違いないと判りました。哀れなヘッドフォーンとマイクは床に実際に投げつけ
られました、それらは間違いなく壊れたと私は思いました。

 コウモリは、完全に気絶しました。私は、ヘッドフォーンとマイクのセットを拾い上げ聞いてみて、そ
れからマイクに口笛を一回吹きました。それはすべてOKでした。私は、再び運用に戻りました。それか
ら、私はマイクに向かって言いました、“さっき私を呼んだのは誰ですか?”(パイルアップの中での間違
った言い方。)およそ25局から返事がきました。その周波数で私を呼ぶ誰も潰されました。

 それから、私は、ログに既に入力した時間とレポートに小さなマークをつけました。私を呼んだのが誰
だったかコールサインを完全に忘れました。私が家に戻ったとき、この人からの手紙、そして正確な時刻、
日付、レポートなどが全部書きこまれた彼のQSLカードと、私が彼のコールに返事してレポートを送っ
て、そして“一寸待って問題が起きた。”と言ったと書いたのがありました。それから、それらの“問題”
が終わってから、彼はQRMの中に埋もれました。私はQSLカードを彼に送りました。私に起きた“問
題”を告げる手紙も彼に書きました。

 私は、それ以後、それらのコウモリの一つが私の頭に降りることはありませんでした。私は、それから、
彼らと一緒に住むことを学びました。

 私がアルダブラに居たときの全部の人口はおよそ20人でした。3種類の仕事が島で続いていました:
漁業、コプラ、大きな亀の捕獲。どれがもっともお金を生んだのかは私は判りません。多分、それは漁業
でしょう。漁民は、そこにいる鮫より、グルーパー魚(注)をもっと恐れています。これらのグルーパー
魚は、水中で魚を槍で突く漁民に忍び寄るように思います、そして、それらは漁民の肉のかたまりを時折
取ります。私が会ったある人は、彼の右足の下のふくらはぎがグルーパー魚の噛みつきで完全になくなっ
ていました。彼は、水中で大騒ぎをすることで普通は鮫を追い払うことができると言いました。

 私がそこに居たときには、コプラはよいものであるように思えました。それぞれの労働者は、毎日集め
なければならないある数のココナッツの木を持っていました。普通、彼らは自分の分をほぼ半日の作業で
集めることができました、そこで、彼らは喜んで午後の休みをとりました。大きな海亀の捕獲は観察する
には面白い作業でした。普通は3名の仲間が一艘の大きなピローグ(ボート)で出かけます。

・アルダブラは天国です

 海亀が見えたとき、彼らはピローグを海亀の近くまでこぎます、そして海亀の背中に槍を投げます。槍
は僅かに数インチ海亀の背中に刺さるだけです。海亀はそれからボートの中に引きずられ、仰向けにひっ
くり返され、それから彼らは他の海亀を捕まえます。

 彼らが丁度よい量をとったと考えたとき、彼らは浜に上がり海亀は海亀の池に入れられます。明らかに、
槍は海亀を傷つけません、なぜなら、槍が刺さった柔らかい背中の場所はすぐに治り海亀は以前と同じよ
うに大丈夫です。

 私にはアルダブラの生活はとても素晴らしいと思えました。すべての人が欲しいだけの食べ物を食べま
した。それぞれは一日に一ポンド(約450g)の米を食べるのが許されたと私は確実に思っています。もし、
彼らが自分の許容量を使わなかったら、島のオーナーは適正な値段で米を買い戻しました。

 私は、誰も自分を酷使しながら自分の頭を使っていないと見ました。彼らは、皆気楽にやっているよう
に見えました。彼らは、自分たちの仕事に十分満足していたと思います。勿論、時には数人の仲間の間で
一寸したトラブルがありましたが島のマネージャーはすぐにそれを解決しました。

 島には、小さな監獄さえもあり時々使われましたが屡々ではありません。島のマネージャーが裁判官で
あると思います。

 私の人生にとってアルダブラは非常に楽しいものでした。バンドはほとんど一日中オープンしていまし
た。太陽黒点数が毎日増加しているような時に、私は勿論アルダブラに戻りたいと思います。再び10メ
ーターが開きはじめる状態で私は楽しくできると思います。私がそこに居たとき、太陽黒点数は11年周
期の最小時の近辺でした。今の段階では、私がそこに戻る可能性は非常に小さいか、ほとんど不可能のよ
うに思えます、しかしチャンスがくれば私は再びそこに行きたいです。

 そうだ、もしあなたがこの世でもっとも美味しい食事の一つを食べたいのならアルダブラ亀のステーキ
の一つを試して下さい。それは、私がこれまで食べたうちでもっとも柔らかいステーキの一つでした。そ
れは、まったく魚臭くありません。それは、非常に柔らかい子牛の肉のようなものです。海亀のレバーも
同じようです。

 もし、海の貝殻を拾うことに興味があるなら、必ずアルダブラに行って下さい;何千もの貝殻がそこに
あり誰かが拾うのをただ待っています。私は、ペギーにそれの入った大きな箱を2箱送りました。私は、
既に他の場所の海の貝殻を彼女に送りました、そして彼女は私に言いました、“どうぞもう海の貝殻は要り
ません。”

 私はとても大きな二枚貝の化石を見つけました。それは、私がその中に横たわり、閉じても十分に大き
いものでした。私たちは、それをマヘの博物館に置くために出荷しました。私は、その貝の肉は30人か
ら40人分あったと思います。その年令は何千年にもなるように考えられました。

 すべての鳥たち、釣り、コプラ、海の貝殻、コウモリ、そして、何マイルもの美しい砂浜のそこでの生
活、それは全く悪くありません。そこでの労働者は男性です、それで女性についての問題は全くありませ
ん。

 このエピソードは、米国とカナダをまわった旅行から丁度戻って自宅で書かれています。まだ、なにか
ほかのDXpeditionについてのうわさや話題が沢山ありますが、まだ具体的なプランはありません。勿論、
バンドではそのようなうわさを何時も聞きます。それらはまさにうわさです。

注・グルーパー groupersウイキペディア百科事典によると、この魚は「ハタ」の種類で、その中で大きな種類のものは
           1〜2mにもなるのがあり、肉食種で自分より大きいものにも食いつくそうです。従って、漁民にも食いつくこと
           ことがあるのだと思います。詳しくは,同頁の「ハタ」をご覧下さい。
073M011507   2007.1.21
第14章(2) 米国とカナダの旅行                  

 7月1日に近く、ここサウスカロライナの太陽は輝いて気温は一日中およそ90度で、毎晩75度に下が
るだけです。たった今、どこかの島でFBな潮風を浴びるのは間違いなく素晴らしいでしょう:多分近い
内に再びそのような潮風が私に吹いてくるでしょう。

 もっとも、再びペギーと私の孫や子供たちと一緒に家にいて、沢山の美味しい南部の料理で私の目方が
少し増えるのも素晴らしいです。毎回、私はDXpeditionに行って7ポンド減ります、そして私が家に戻
って1ヶ月か2ヶ月過ぎるとその7ポンドは回復します。多分、もし私が数カ月以上も家に居たら私はそ
れ以上に太るでしょう。近い内に、そうであるかどうか見つけるつもりです。

 私がそれらの一つを試飲にかられるとき、冷蔵庫の中でQRXしている、それらのとても冷たいコーク
は私にとって間違いなく素晴らしいセッティングです。コカコーラが市場にない国に住んでいる人達にと
っては、私はアルコールも全く市場にないと言いましょう。それらはまさに素晴らしく、さわやかなドリ
ンクです。それらは氷で冷やされて出されます、そして、それらは“リフレッシュする休息。”とここでは
呼ばれます。それらは、他には何もなく、まさにそのものです。

 それは習慣性を作ると言われていると私は聞きました。食事の習慣を習慣性と呼ぶことができないなら、
それは正しくありません。あなたがしているほとんどのことが本当に習慣です。あなたは、普通、一定の
時刻に毎朝起きて、そして一定の時刻に食事をします。私が言ったように、普通あなたのするすべては習
慣によってなされます。私がそれを見ると、習慣と中毒は二つの全く異なったものです。コカコーラを飲
むことは中毒ではありません。私が止めたいと思うとき私は止めることができます。私が行った沢山の場
所でコークは無く、そして、私は少しも失敗しなかった。

 私が丁度終わった旅行は、アラスカとハワイを除くすべての州に私を連れて行きました。付け加えて、
私はノバスコシア、ユーコン、NWTを除いたカナダの全部の州に行きました。私は米国からカナダへお
よそ7回横断しました、そして、パスポートを決して見せる必要はなく、そして、一つの国から他の国へ
渡るときにカナダ人、米国人のいずれかの市民のためのビザも要求されませんでした。メキシコとほとん
どの南米の国でも同じです。

 世界中の全部の国がこのようでないのは遺憾です。ここ米国では、誰でもパスポートを要求し、ワシン
トンDCでなされる決められた書類のための少額の料金を支払うことで誰でもパスポートを貰えます。誰
も、私の行き先あるいはパスポートが何故必要かを私に尋ねませんでした。ただ、航空券を買い、航空機
に乗り、そして行く:それで全部です。

 いくつかの国では、あなたがパスポートを必要とする非常に重要な理由がない限り、自国の市民にさえ
パスポートを発行しないと聞きました。私は、海外にいる間、、私が郵便を受け取るかそこで誰かに会うこ
とが起きない限り、どの米国大使館にも一度も入ったことさえありません。私が海外にいた間、いままで
に誰も、私が誰かを“スパイ”しようとしたと捕まえようとはしませんでした。何故かとかそのほかのこ
とを聞かれたことは一度もなく、私が行きたい時に、行きたいところに行きました。

・ツープラスツーシートの黄色いムスタング

 米国とカナダをまわる私の旅行では、私の新しいフォードムスタングを運転しました:それはツープラ
スツーモデルと呼ばれました。それはV8エンジンで、空調が付いて、オートマで、スモークガラスで、
明るい黄色でした。それは、どのような問題のしるしもありませんでした。それはレギュラーガソリンで、
ガロンあたり平均18.2マイルでした。それは、時速75から85マイルで新しいスーパーハイウェー(イ
ンターステーツ)を何時間も走行するときほんとうに素晴らしものです。北米を旅行した全マイルは、お
よそ16,000マイル辺りでした。

 そうです、車は、フロリダのオーランドに居る私のDXサー仲間、W4JYQから買いました。車を買っ
たとき、当然、彼は良い値段でくれました。ボッブ、W4JYQへ、FBな車をFBな値段でありがとうOM
と私は言います。そうだ、それはパワーステアリング、前輪にディスクブレーキやそのほかも装備してい
ました。受け取るのに待ちさえもしませんでした。私は、15分以内に入って車を運転しました。

 ボブ、W4JYQはZD8BLにKWM2を載せて1台を売り、それはZSで彼に届けられたと私は言われ
ました。ボブはほんとうにDXカーセールスマンです。私はAC3PTに連絡を取るのをボブに提案しまし
た、多分、そこで彼のために販売のQRXがあるでしょう、ハ、ハ。

 国中を旅行している間、私は非常に多くの“移動運用”をしました。それは、素晴らしいマイレジキラ
ーです;そして、あなたが大きな市に入るとき、誰かと“あなたと話す”ために、あなたの車のモバイル
リグは一つの非常に良い使い方です。仲間は、まさに一寸の間に、正しく彼の玄関まであなたを導くこと
ができます。
 
 勿論、モバイルではそのようなS9プラスのレポートは貰えませんが、私の旅行でそれらは大変助かり
ました。私はハイゲイン・ホイップを使いました;それぞれは正確にSWRが1:1に調整されました。こ
こではアンテナでは全く苦情はありません。

 素晴らしい、古いエレクトロボイスのマイクは、床に落ちることもありました、しかし旅行の終わりま
で相変わらず良好でした。

 それらの年にQSOをした国中の沢山のDXサーに私は会いました、そして、彼らの誰もがとても素晴
らしい仲間で感激させられました。彼らのほとんどは、同じものを求めて努力しています:より多くのカ
ントリー、もっと良いビーム、そして沢山のDXアクティヴィティ。

 勿論、私は、彼らが参加できる全く新しいWTWについて皆に話しをしました。彼らは皆WTWにつ
いて大変興味を持っています、そして、この時、WTWはすぐに始まろうとしています。

 私がDXブリテンの発行をはじめる可能性について言及しました。これは、彼らに、また大変に関心が
ありました。皆さん、もしあなたが、すぐに私からの雑誌の購読の案内の手紙を受け取っても驚かないで
下さい。それは年間に36週を保証して、毎週送られるでしょう。私は、毎年、数ヶ月を可能性のある今
後のDXpeditionsのためにとっておきたいと思います、

 この雑誌は、以前発行されていたDon ChesserのDX magazineと全く同じサイズになるでしょう。も
し、今までに、あなたのコールサインがDXCCやWAZ、そのほかのリストに載ったことがあるなら、あ
なたは私からのこの手紙をもういつでも受け取るでしょう。多分あなたがこれを読むときまでには、既に
手紙を受け取っているでしょう。もし、あなたが受け取っていないなら私に知らせて下さい、私は折り返
しあなたに手紙を送るでしょう。

・新しいDX magazine

 私は、このDX雑誌をスタートするために世界中のDXサーの皆さんのサポートが必要です、さあ仲間
の皆さん、来年ではなく、今あなたの助けが必要です、!

 勿論、、もし予期しない理由でスタートしなかったら、購読のために送られたお金は100%返金されるで
しょう。これは良い雑誌になるでしょう、現在運用されているDXの話、今後のDXpeditionの計画のア
ナウンス、それに、完全に“うわさ”としるされた、うわさのコラムさえも。

 皆さんがWTWのスコアを送りはじめたとき、それらはリストに載るでしょう。また、時には、多分、
トップの人達が交信したもののリストでさえも。付け加えて、どこかDX局たちの写真、彼らのアンテナ、
DXサーが興味を持つと私が考えた写真も。

 私は、この日を全部雑誌の郵便料金を郵便局に問い合わせ、最新の印刷方法、用紙の値段をチェックす
るのに費やしました。私はまた、用紙綴じ機械、用紙折り機械、電動タイプライター、及びその他のもの
をチェックしました。

 私は、自分の給料を払わないで、損得なしに何人の購読者が居なければならないかを知ろうとしていま
す。購読者の数が判ったとき、物事は速やかに始まるでしょう。もしかして、この購読者の数が見つけら
れないなら、それから皆へ“返金”されるでしょう。次に、私がその日迄に使った物事と、プロジェクト
に注がれた時間も加えて失うでしょう。

 そこで、私は再度言います、たった今、私はあなた方のサポートが必要です、私がどのような立場かを
知っているつもりです。私は、あなた達の誰一人も、この投機に私をサポートしたのを残念でないことを
確信しています。私は、あなた方皆のために良い仕事をして、この小さい雑誌にあなた達が見たいものに
関してのあらゆる提案を必要とするでしょう。私は、できるだけ、沢山のあなた方が満足するためにベス
トを尽くすつもりです。

 どうぞ、私のために、一寸したDXインフォメーションのために、このような時間と周波数でワッチを
始めて下さい、そして、DX情報も集めたいと思います:14065kc CWで1400GMTと2200GMT、14270
で1500GMTと2300GMT、SSBではプラスマイナス数KCで。あとで、私はこれらの周波数で、良い
アンテナと良いKW機を用意するつもりです。私が、これから先、家に居るときは毎日これらの周波数で
運用するでしょう。私をワッチして下さい、そして物事をスタートさせましょう。

 さて、私はどこに居ましたかね?ハ、ハ。そうだ、何章か戻って、私はアルダブラ島に居ました。実際、
私はそこに17日間居ました。私は、CQを出して誰かを探しさえしなければなりませんでした。ときには、
私は交信するために何回もCQを出さなければなりませんでした。私は、DXpeditionについて考えると、
一つのQTHに滞在するには17日間は長すぎると知りました。

 私に、素晴らしい7日間を下さい、そうすれば、ほんとうにトライする人達は全部交信できるでしょう。
それから、あなたは熱心にQSOを探しはじめなければなりません。しかし、私は、そこに17日も張りつ
けられました、なぜなら、ボートの持ち主のジェイクがLua-Lua号を浜にあげ、ペンキを塗り、クリー
ンにしたので。

 彼は、満月のときボートを高く乾いた砂浜にあげて、次の大潮があるまで待たなければならず、そこで、
彼はボートを再び浮かべることができました。しかしながら、この特別な長い滞在は、そこで何かをした
り、見たりする興味のある沢山のことがあったので、悪くはありませんでした、
074M012007    2007.1.24
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