W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その28)   アマチュア目次へ戻る
第13章 (1) アルダブラへ出帆  
 
 私の最後の章ではアルダブラ島への旅の準備で私はセイシェルに居ました。

 このような旅の準備をするときにしなければならない多くのいろいろのものを見ると、あなたは驚くと
思います。一つは、私たちが数日のうちにでかけようとしていると言うことがここマヘで知れました。私
たちの旅の途中にあるどれかの島に関係者が居る誰もが、途中で届けて貰う手紙やそのほかのものを私た
ちに預けました。これらは、生鮮食品やいろいろな他の品物でした。

 これは、ボートに積まれるために一寸した大きさの山を作りました。これは、私たちが必要とする品物
とともに、ボートを縁まで一杯にしました。私たちは、かなりの数の生きた鶏さえ連れて行きました。そ
れは、まるで、私たちが“鶏を食べる”DXpeditionのようなものに行こうとしているようでした、これ
はバプテストにとってはとても一般的なことです。しかし、カソリックもまた“鶏を食べる”ことを学び
ます。なぜなら、セイシェルではカソリックが支配的です:私は98%くらいだと思います。

 ハーヴェイは、彼の“風車発電機”への注油や最良の運転状態を保つために多忙でした、その時の彼の
設備の殆どがDC 12Vの種類でしたから。毎日夜、彼は風力発電機を全力にして彼のいろいろな電池を充
電しました。彼は、それら全てをフルに充電したいと思ってました。

 Lua Lua号のオーナーのジェイクは彼の小さなジーゼルエンジンを最高の状態にするために多忙でし
た。これらの全てが進行している間、私自身とても多忙でした、発電機をボートの後部に据え付けること
で排気を後部の方に向け、ハーヴェイとジェイクが睡眠をとりたいときに騒音は邪魔しないでしょう。

 無線機は、荒天の場合でも滑らないように食事テーブルに革ひもで縛り付けました。
注意:ガソリンを発電機に注ぐために、大きくて深い漏斗を必ず用意して下さい、なぜならそのような強
い風とボートの縦揺れで沢山のガソリンを失う場合があるので。

 全てのものがボートに置かれ、固定され、私たちの出発準備ができた時、港湾安全責任者が出航の最終
クリアランスを出す前に全てを確認するために船に乗り込みました。彼ら港湾安全責任者は非常に注意深
く素晴らしい仕事をします。あなたは、彼らを全くだましません。

 私たち三名は早朝に乗船しました、そして、彼がそうするだろうと思っていたように、勿論ハーヴェイ
は彼の魚食いの黒猫と一緒でした。ハーヴェイは彼の黒猫と沢山のお茶と固いパン(hard tack)
なしには
どこにも行きませんでした。それは、ハーヴェイにとっての“命の糧”のように思えました:そして、正直
に、それは私たちの命の糧にもなったことが判りました。

 あなたは、ボートがどの方向に揺れても水平を保つ、完全自由なマウントに取り付けられた料理用ガソ
リンストーブを見るべきでした。

 ハーヴェイとジェイクはそれぞれの六分儀と海図を持っていました。ハーヴェイはFBな双眼鏡を一緒
に持っていました。碇は上げられ、私たちはアルダブラへ出帆しました。

大きな海の小さなボート

 全てのことについての最後のチェックと、Lua Lua号の中に固定する物の全ロープをきつく締めること
が終わってから、私たちは碇を上げてアルダブラ島へのルートに行く準備ができました。

 私たち三名、ハーヴェイ、ジェイク(Lua Lua号のオーナー)と私、それにハーヴェイの黒猫が乗船し
ていました。小さなジーゼルはクランクが廻され、碇が上げられ、ドックに縛ってあった全てのロープが
外されました。

 私たちはボートを埠頭からバックさせ、ギアボックスは“前進”のシフトに入れられました、そして、
私たちはアルダブラ島へ出帆しました:ジャイアントタートルの島、数千の海鳥、最高のレアーDXスポ
ット。それは、誰もそこからは運用しようとしなかった島から運用しようと、私が最終的に決心した一つ
のDXpeditionでした。

 深い水道に達した後、、帆があげられジーゼルは停められました。それからは私たちは帆走するボートの
上でした。通常、そのようなボートのジーゼルはドックに入るときと出発の時に使われます。これは、基
本的に帆走のボートでした。

 Lua Lua号には、その長く高い帆のためにとても深い鉛の入ったキールがありました。ジェイクによる
と、このボートが転覆するのは事実上あり得ないことでした。個人的に彼が正しいことを私は願っていま
す。

 私がものすごく電波を発射したいと思っていた、この全く新しいカントリーのために、世界中そして、
特に米国の仲間達の皆がQRXしていることを私は知っています。

 いつものように、ビクトリア港を出て最初の数時間は非常に穏やかな航海でした、なぜなら私たちはマ
ヘ島によって大波から非常によく遮蔽されていましたから。

 私は、無線機のスイッチを入れ、VQ9A/MMのコールで私の最初のCQを出しました、そしてこれまで
に聞いたものすごいパイルアップの一つになりました。誰も私たちが何時アルダブラ島に着くかを知り
たがりました。

 サンスポットサイクルがその最良の時ではなかった事実を考えると信号は良く来ました。私達が島に到
着するまでコンディションが続くことを願っていました。14mcバンドは殆ど24時間ワイドオープンした
ままでした。私は赤道の近くに居ることがこの大差を生じたのだと思いました。

 私たちが出帆する前に、私たちそれぞれは交代で操舵に当たることに同意しました。しかし、コンディ
ションが非常に良いので私の操舵の番は決して来ませんでした、なぜならその時に私は非常にQRLだっ
たので。結局、いつも舵輪を操作する仕事はハーヴェイかジェイクでした。それについての問題は決して
ありませんでした、そして私は非常に多くの運用をしました。

 私たちがマヘ島の陰から最終的に深い青い海に出たとき、全ての穏やかな帆走はまるで正反対に変わり
ました。それぞれの波には白波がありました。大波は広がって離れ、小さなボートはそれぞれの大波の谷
底へ滑り落ち、それから見ることができたのは、船の周り全てがまるで山のような水でした。

 それらの大きな帆は、ボートを絶えず45度も傾かせます。私は、仲間のジェイクがハーヴェイと同様
に素晴らしい船員であるとすぐ判りました。

 私は、これが素晴らしいDXpeditionになるだろうと思いました。

 

注: Hard tack この種類の食べ物はJohnも知らなかったそうで、彼によると、小麦粉で作る固焼きの円盤状のパンです
     
067M122006  2006.12.19
第13章 (2) 順調な航海とバードウォッチング   

 ガソリンがかすかに燃え、完全自在な料理用ストーブが、ボートが揺れるのに連れて毎回、前後にそれ
から左右に揺れるのを私は見ました。そのような全ての動きに合わせて、お茶の入ったやかんがストーブ
の上に載っているのは信じられませんでした。ハーヴェイの黒猫はいつものように、デッキに飛び込む飛
び魚たちの一匹を探しながらデッキの上を走り廻るのにとても多忙でした。ハーヴェイが操舵を担当して
いたときには、一方の目を彼の猫にもう一方の目はコンパスから目を離さないでいました。

 私たちは全員素晴らしい時を過ごしていました:全てが非常に素晴らしくて順調でした。ハーヴェイは、
ボートを追って、いつも波の縁をすれすれに飛ぶ小さな鳥、彼によると悪い天気が来ることを示す“海燕”
を探していました。いままでの所私たちはそれを全く見ていませんでした。

 もっとも、私たちはそのほかの沢山の鳥を見ました。時には、特に鳥達の一匹が魚の群を見つけたとき
には私たちはとても沢山の鳥を見ました。突然、それらの一羽が大きな魚の群をスポットしたとき、どこ
からともなく何百もの鳥が現れ魚の群に急降下し始めました:鳥が海面に飛びこむ前に鳥たちそれぞれが
ギャーギャー鳴きます。

 鳥たちが魚の群に殺到する一定の流れと、空中の鳥たちに合流するため空に戻る他の鳥たちの流れがあ
り、鳥たちが再び海面に潜り口一杯の魚を捕まえることができました。

 時折、私たちは遠くに鯨を見ました。鯨が“潮吹き”のため水面に来たときを探すことで、容易に鯨を
見つけることができました。

 運良く、船酔いの兆候は全くありませんでした。トイレットはきちんと流れ全てOKでした、そして、
ビルジポンプでさえ正常に動作していました。私たち各人は、デッキの下に私たちのプライベートな小さ
なキャビンを持っていました。かなり良くパッドが詰められた寝台には高いサイドボードもあり、そのた
め船がひどく傾いたとき私たちは放り出されないでしょう、

 私の寝台は、ボートが前後に揺れたとき私が中に留まることができ、スリップやスライドしないように
丁度適当な長さでした。あなたが寝台より1フィート小さいときにはボートの動揺であなたは前後にスラ
イドを始めます、事態はあなたにとてもきびしくなります。これは特に私のはげ頭については実際に問題
です。

 荒天の海では、いつも、私の身長に合った寝台を下さい。ボートの横の揺れは、眠るためには睡眠薬よ
りもベターです、特に、揺れが大きく、そして動きが規則正しければ。海の機嫌が悪かったそのほかの時
には寝ることは問題でした。私たちが行った南になるほど海は更にひどくなりました。

 しかしながら、それでも船酔いの印はなく私たち全員がFBでした。私たちが試みたアガレガへの船旅
での旅行で、船酔いしたハーヴェイの黒猫でさえ船酔いしませんでした。そうです、猫も船酔いします;
少なくともハーヴェイの黒猫はします。それは、ちょっと汚くひどい臭いでした。船酔いの猫、ウグ、ウ
グ、ウグ。私は、魚が船酔いするだろうかと思います?ハ、ハ。

 三日間の操舵の後、ハーヴェイとジェイクの二人はかなり疲れていました、そこで、郵便を届けるため
にデスロチェス島の周りにあるキャロルリーフに入ったとき、私たちは人々が郵便を受け取り、それに返
事できるように待機しました。

 私たちは海岸に行って、島の周りを歩き、かなり良い食事をして、そしてボートに戻り私たちは配信す
る郵便を持って出発しました。

・船上に歓迎しない訪問者

 ハーヴェイとジェイクはその夜を珊瑚礁の中で過ごし、過去三日間の操舵の疲れから休息を取ると決め
ました。丁度暗くなったとき、彼らはキャビンに下りて長い夜の休息につきました。私は小さな発電機を
廻し、20mでVQ9A/MMのコールで運用を始め、午前2時頃まで続けました。それから、発電機を止め
た後で私の小さなキャビンに下りました。ボートは島によってかなり良く遮蔽されていたのでデッキには
そよ風が吹いてるだけでした。そこで、私はリアデッキに作りつけのパッドのある場所の一つで、星空の
下で眠ることに決めました。

 その両側には快適ですばらしいパッドが着けられ、ボートのそれぞれの側に一つずつで、二つの間に
舵輪がありました。ボートはすばらしく完璧でした。まるで、私が星空のもとで穏やかで快適な睡眠をとろ
うとしているように思えました。

 横になったあと私には少し考える時間がありました。いまこの瞬間、妻のペギーが何をしているだろう
かと私は思いました。私がアルダブラに到着したとき、もし米国へのフォーンパッチネットを使う用意が
できていたら、チャンネルA(注)でお互いに何を言っただろうかと思いました。また、私は、彼らが何
故デスロチェスを新しいカントリーに数えないのかと思いました。(あとで、それが新しいカントリーにな
ることは判りません!)私は、非常に楽に上陸できて、すばらしいパイルを浴びて、これまでに彼らの
QSOは1966年遅くのためのものであり、彼らはニューワンを得るだろうと皆に言ったかも知れません。
ハ、ハ。

 夜遅く、停泊している小さなボートの上部に横たわっているとき、家からとても遠く、いろいろな事を
考える時間があります。しばらく、私はどこか周りに空飛ぶ円盤が居ないだろうかと見てワッチさえしま
す。

 私が、遂に殆ど眠ったとき、まるで、私が以前に聞いたことがない何かの音を聞いていたように思えま
した。しばらくの間、そこに横になったまま耳をそばだてて、突然何か奇妙な音を聞きました。それは、
私の近くのどこかで、ボートの上を濡れたモップを引きずるように聞こえました。それから、何かが瓶か
ら水を吸うようにしているような、なにか吸うような音が聞こえ始めました:同時におよそ6か7個の口
を持っている何かが。

 私の目は、星明かりで見るのに慣れてきました。私が何を見るかを知るのではなく、私は両方の目を少
しあけて、私の居るところからまさに向こう側を見ました、私から僅か6フィートのところに象の鼻のよ
うに見えるなにかが、他のパッドの席のあたり、私のまさに向こう側を動いているものがありました。

 私は大きな叫び声をあげ、そして叫び声と同時に印刷できないような言葉を叫びました。ジェイクとハ
ーヴェイが下からステップを駆け上がってきました、そして彼らの一人が叫びました“それは蛸だ!”
彼らは、救命ボートからオールをつかんで突き始め、象の鼻のように見えるのを持ち上げゆるめます。遂
に、持ち上げてゆるめて船外へ投げられました。

 彼らは、私が見たその一本がもし何かつかむものを見つけたとしたら、まだ7本の触手がありそれが
デッキに上っただろうと私に言いました。

私の見た蛸が、私が横になっていた右側の代わりにボートの左側を選んだのは本当に嬉しかった。これ
は、このDXpeditionを突然終わらせたかも知れません。

チャンネルA が何を意味するのか私は分かりませんが、フォーンパッチで何か意味を持っているのでしょうか。
068M122506    2006.12.28
第13章 (3) アルダブラ諸島が視界に入る     

 物事が少し静まってから、私は自分のキャビンに下りました。今度は、私はドアと船窓も閉めました。
私は、その場所がどんなに暑いかをすべて忘れました。しかし、決して眠れませんでした。ボートのあら
ゆる動き、確実に数回、船のボードに来ようとしていた何かを私は聞きました。

 蛸は決して水跡を残さないと言われます。私が見たその一本の足の大きさから判断して、これは大きな
蛸だったに違いありません。

 状況は今や面白くなってきました。翌朝の日の出のとき私たちは碇を上げ、再びアルダブラへ向かいま
した。旅の残りのすべてに沢山の強風と高波がありました。これまで“海燕”は全く見られません、やは
り嵐にも遭いませんでした。

 アルダブラから1日の所で、アルダブラの雛のために小さな魚を捕らえるカツオ鳥を、私たちは見始め
ました。時には、私たちは高いところを飛ぶアホウドリを幾つか見ることができました。それらが翼をは
ばたくのは決して一度もみませんでした。

 方位を知るために、太陽、あるいはそれは多分ビーナスを観測する時が来るのは、私にとっていつも興
味がありました。私は、BBCが正確な時刻を知らせてくれるのを聞きました:まさに数秒のずれは、あな
たのQTHがコースから数マイルずれるでしょう。もし4から5マイル以上コースから外れると、それら
の平らな島を見ることはできません。

 ハーヴェイとジェイクの二人は、彼らの自分の六分儀を使い自身で計算しました。たいてい、二人は全
く同じQTHになりました。上下動や縦揺れする船から、太陽あるいは星の正確な角度を測定するのが非
常に困難なことが判るでしょう。六分儀には、二つの像があります;一つは水平線で、そしてあなたが見
るもう一つの像は、星、月、太陽などのようなあなたが観測しようとする対象です。

 正確な時刻に、対象物が水平線より上への正確な角度を測定しなければなりません。何回か私自身で試
してみました、そして、船外へ落ちそうになりました。船が左に傾くとき、あなたは右へ傾けます、など
など。それは、私にとっては不可能なように思えます。いつも水平線と90度に体を保つ“船揺れに慣れ
た足“ を本当に持っていなければなりません。

 ハーヴェイの黒猫はいつも滑ったり滑走しながらデッキに飛び込んだ何匹かの飛び魚を捕まえました:
そしてハーヴェイは言いました“その狂った猫を見て”と。

 ハーヴェイは最初に島を発見しましたが、ジェイクも私も島を見つけることはできませんでした。それ
らの諸島がまさに水平線にあるとき、平らで、訓練された目でないとそれらの諸島を見ることは不可能に
近いです。最初にそれらが見えたとき、それらは実際に水平線の一部で、しかし、海よりはほんの少し暗
かったです。勿論、およそ1時間後に、ジェイクと私の二人は島を見ることができました。

 アルダブラの地図をだして、私たちは、どこに上陸するか、あるいは少なくとも私の無線機を下ろすかを
決めます。私たちは、島の人が住んでいるところの反対側で停まりました;、島は馬蹄形のような形で斜め
の端から端まで15か20マイルです。

・ アルダブラの人口は僅か20人

 人の住んでいる所は片方の端にあり、残りの殆どは鳥の生息地です。鳥は圧倒的にカツオ鳥です:私た
ちが島に近づいたときに、魚を捕まえているのを私たちが見た種類。

 私たちが島に着いたとき、私の無線機を岸に上げたかったです。沢山のピローグがもっともな理由で島
から私たちに会いました、:私たちのボートは彼らが何ヶ月もの間で見た最初のボートでした。

 私の紹介状は島のマネージャに見せました。島の借り主から、私はこの手紙を私と一緒に持ってきまし
た、借り主はセイシェルに住んでいます。アルダブラは、英国の所有地で、他の島々のように購入するこ
とはできません。これがニューカントリーであると考えられる理由であると私は思います。

 私たち全員は岸に上がり、すばらしい食事をとり、マヘから島の人達へ持ってきた郵便を島のマネージ
ャに渡しました。私たちは、アルダブラの総人口がおよそ20名、事実上100%が男性だと知りました。

 そこで、私が会った一人の老人はおよそ80年前にアルダブラで生まれました。彼は僅か数日間、マヘ
に行くためにただ一度島を離れたことがありました。彼はアルダブラを離れ外の世界を見たいとの願いは
全くなかったと私に言いました。彼はアルダブラで一生を採用されていました、そして、彼の給料はマヘ
に送金され、そこで彼のために投資されていました。彼はかなり裕福になったと言われました。

 世界に関する彼の見方を想像することができますか?彼の全世界はアルダブラ諸島で、他には何もあり
ませんでした。それにも関わらず、彼は非常に幸せでした。島の全従業員が、島の借り主と通常18ヶ月
の業務契約で、そして非常に良く世話をされています。もし、彼らがたばこを吸わなければ、彼らはどん
なお金も全く必要ありません。島の借り主が彼らに食品、それに彼らが必要な魚のすべてを提供します。
海からのそのほかの沢山のもの、蝦なども彼らに提供されます。彼らは、少しのお金も全く必要ではあ
りません。

 彼らの殆どは、18ヶ月間の契約の間一生懸命働き、マヘに帰り(私はそう言われました)そして、1,
2週間、無一文になるまで酒を飲みはしご酒をします。彼らは、それから、次の18ヶ月の契約のためア
ルダブラ、ファーカー、チャゴス等々へ戻る準備をします。

 それらの人達はのんきな人達で、外の世界の心配事は、全く彼らを苦しめません。多分、その年取った
仲間達には良いことがあるのでしょう。島には、店のようなものは何もないので、少しのお金も必要では
ありません。

 毎晩、午後7:30に誰もマネージャの玄関の周りに集まります、そして、彼らはマネージャのラジオを聴
きます。通常、モンバサ、ナイロビ、タナナリベ、セイロンあるいは時にロンドンを聞きます。彼はまた、
短波のついた小さな日本製のトランジスターラジオを持っています。

 それらの人達は、何事にも心配なしに生活しています。島で着るもので必要なのはショートパンツです。
温度は昼夜とも非常に高いです。私は、それが夜75度から日中は90度になると見ます。あなたが貝殻が
好きなら、それらはそこにあり拾い上げられるのを待っています。

069M123006   2006.12.31
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