W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その18)   アマチュア目次へ戻る
   第9章 (3) アフガニスタン                   前の頁へ
 
 私たちは、アフガニスタンで本当に沢山の辺ぴな場所を見ました。そうだ、私たちはUI8、UL7、および
UM8(注1)の見えるところにいました。私たちはカイバル峠の地域を調べて、NEUTRAL ZONE(注2)
がそこにあるので、「ニューワン」になるチャンスがあるか確認するのをARRLと共に始めました。また、
同じようにスワット王国(注3)も調べました。今それは素晴らしいものになるのでしょう?さて、成り行
きに任せましょう。

 国を去るとき、あなたはそれを作らなければなりません!アフガニスタンはまさに険しい山国で、また本
当に大きな砂漠地帯もあります。日中は、普通、非常に暑く、真夜中過ぎには、ひどく寒くなります。私は、
毎晩セーターを着ました。日中は、半ズボンの人達が沢山でした。ベールの女性達、オー、また、国中にそ
のような彼女達が居ました。そのような場所では、その他の人達は見ることができません。さて、殆どの場
所で、そのような暑い天候で、ベールを被り地面までのドレスを着たそれらの女性達が家に帰った時、彼女
たちはにおいのするそれらのものを脱ぐことに、私は賭けます。多分、彼女たちがそのようなベールを被り
ロングドレスを着るのは楽しいでしょう。もし、においがしても、それは内側に留まるでしょう。

 アフガニスタンでのコークは、12オンス缶がそれぞれ50セントです。私は、一日にたった一缶として、
できるだけ私の欲望を押さえました。

 もし先に述べたような場所をARRLが「ニューワン」にするなら、アフガニスタンに戻る機会があります。
 さて、アガレガへの旅に戻りましょう。私たちはマヘ島が私たちの後に去り、そして、インド洋の「深く
青い海」に入り、そして東南季節風が丁度始まりはじめました。すべてが順調に調子よく進んでいました、
そして、私たちが島影から僅かに距離が離れたとき、衝撃でした!それは、全く突然でした。ハーヴェイと
乗組員の多くの緊急行動、それにDocはトロール釣糸を巻き上げました。急いで、物が固定されました。
あのしなやかなハイゲイン14AVSのしなりをあなたは見るべきでした。

 あらゆる場所に海水が吹きつけました。Macamはデッキの炊事道具の炎に取り組んでいました、言うま
でもなく、その火花はそこら中に飛び散っていました。船外に放り出されないように、全員が何かにしがみ
ついていました。ハーヴェイは、船尾のキャビンにいて、これは、彼にとり何も初めてではないので、上手
にこの古い船を操っていました。黒猫は、ハハ、ずっとハーヴェイに見られながら、デッキ中を滑ったり流
されたりしていました。

 この揺れとピッチングは、それから、結局元に戻るまでおよそ3日間続きました。さて、3,4時間の揺
れのあと、食事の時間がきました。私たちは、南カロライナの米食者であるため、私は、Macamに米と魚
の皿を用意するように言いました。私は、Docが私の皿の、その油ぎった魚に彼の目が留まっているのに気
づきました。

・魚と米の食事

 Macamがもっと多くの肉汁を私の米の上にかけたとき、Docが彼にとって、もう手すりで、魚を数える
ときであると決めたときでした。(私が思うには、彼は魚を数えていた、しかし、彼はその他の何かをするこ
とができた)ここで、デッキの右手で、私は仏陀スタイルで座っていて、私の魚と米の夕食を食べていまし
た。Docは、手すりへ一寸歩いて戻り、そして、私は言いました「Doc私と一緒しない、魚と米の夕食はFB
だ。」これを言っているあいだ、私は魚の頭をつまみ、がむしゃらに食べました。少しの油が、私の手からデ
ッキの滴りました。さて、Docは再び彼の魚の数を調べるために去りました。彼が出発するすぐ前に、彼は
私に言いました「ガス、どうして食べられるの?」それから、彼は行きました。このすべての間中、Leeと
Mac(AIWとUQV)はこの出来事をじっと見ていました、そしてMacは青ざめて、病人(船酔い?)のように、
見え、しかしLeeはどの様な病気の兆候も見えませんでした。

 このすべての間、古い船は上下左右にひどく揺れていました。私の場合、空腹であり、この美味しい魚と
米の夕食を楽しんでいました。私は、「ニューワン」であるアガレガに行く途中であったのを知っているので、
幸せでした。私は、魚にかかっている油が、そこに行くのを助けるものと信じています。もしあなたがMacam
の魚のフライを食べるなら、支援するための鉱物油は必要ありません、それらは、既にその中にある自分の
油があります。もし、それらの魚のフライの一つの様子を知りたいなら、普通の魚から鱗を取り、それを料
理油に漬け、それを取りだして良く見なさい。それで、あなたはそれらの魚のフライのおよそを知ることが
できるでしょう。

 カンサス市から来たW0の人達は、私がその魚を食べるのを見ながら、自分たちの食欲をそそったでしょ
う。従って、彼らはいろいろな缶詰と缶切りを取りました。しかし、ある特別な理由で、彼らは誰も、特に
Docは、食欲がありませんでした。そして、ハーヴェイの黒猫はその魚の頭を加えて、デッキを走り回りま
した。

ハハ、私たちには、特に私には、時間がありました。私の場合、古い発電機を回して動かし、無線機へつな
ぎ、私は一回か2回CQを呼び、そして多分W3CRAかW4TOを交信しました。私は、XYL、ペギーへ、
私たちはアガレガへの途中であることを彼女に言うメッセージを伝えさえしました。

 一日中、天気は曇で、ハーヴェイは方角を知ることができませんでした。遂に、夕食の時間が来て、そし
て、多かれ少なかれ、昼食の時と同じようなものでした。私は約1フィートの水が船の下の方に溜まったこ
とに気がついて、私が無線機を操作していた間、水が私の足首の周りで、ひゅーとなっていました。私は、
このことをハーヴェイに告げました、そして彼は、ジーゼルのビルジポンプがまた動いていないのだろうと
思うと言いました。私は、また、トイレットの水も洗い流せないと言及しました。ハーヴェイはこのような
幾つかの注意をしました:そうです、私はそれについて問題を抱えていました。私たちはその時からトイレ
を使うのを中止しました、そして、次ぎに私たちはロープ方式を使いました、ロープの一端を船のマストの
下部に縛り、他の端をあなたの腰に縛り、そして嗅ぎ回る鮫が来ないことを祈りながら、ぶら下がって、船
の横から全部をはみ出させます。
(注1) アフガニスタンとパキスタンに隣接している国は、タジキスタン(EY・旧UJ8)、ウズベキスタン(UJ・旧UI8)、
    トルクメニスタン(EZ・旧UH8)です。旧UL7(カザフスタン・UN),UM8(キルギス・EX)は隣接していませんから、
    アフガニスタンからは見えないのではないかと思います。ガスがこのマニュスクリプトを書いていたときに、
    手元に正確な資料がないままに、記憶で書いたのかもしれません。
(注2) この中立地帯がどこを指すのか不明で、アフガニスタン・パキスタン国境のカイバル峠付近に国境紛争を
    避けるために緩衝地帯「Neutral Zone」があったのかもしれません。
(注3) パキスタン北部の、North West Frontier ProvinceにSwat 州があります。Wikipediaによると、ここは古くから
     王族の支配していた地域だったそうで、1947年以降も大巾な自治権を持っていたそうです。そこで、ガスが
     注目したのかもしれません。
041M081006   2006.8.27
第9章 (4) Platte島への推測航法

 夕食が終わり外が暗くなってから、私はハーヴェイに船の位置はどこかと尋ねました。ハーヴェイは海図
と地図を取り出して、推測航法により、Platte島の北方であまり離れていない場所を指でさして、私たちは
およそこの辺りに居るはずと言いました。外は漆黒の闇で、すべての波と風がすさまじい音を発していまし
た。私たちが、もし夜の間に島に忍び寄ったら、私たちは岸を洗う波の音を聞くことはできなかったと確信
しました。私は、ハーヴェイに私たちは夜通し何をするつもりかと、尋ねました。彼は、船を漂わせるつも
りだと答えました。私は、“ハーヴェイ、私たちはあなたの推測航法が示すよりも島の近くに居ると思うのだ
が?と言いました。やれやれ、私たちは岸に漂着するかもしれません。“彼は、島は珊瑚礁に囲まれているの
で、それは不可能だと言いました。

 知っているように、それらの珊瑚礁は多少とも石の壁に似ています。もし船がそれらに突き進むなら、船
が穏やかな岸で難破するよりもひどく、それはとても危険です。ハーヴェイは、夜の間に島に流されるとは
思わないと言いました、そこで私たちは何も心配しませんでした。そうです、それが彼の言ったことです!

 私たちは、リグを起動し、沢山QSOをしました。私たちの足首の周りを洗う、ビルジの水による濡れた
足で、いろいろな臭いが混ざった中で、そのように揺れるハンモックで、私たちは寝ました。私は、何回も
目が覚めて、上の方に行って、船の彼方の暗闇の中をのぞき見ようとしましたが何も見えませんでした。

 さて、私たちは珊瑚礁の方には漂流しませんでした、そして朝が来て、その時、ハーヴェイは水面から昇
った素晴らしい太陽を見て、彼のチャートをつかみ、そして、Platte島は向こうだ、そして私たちは島を2
時間半後に見るだろうと言いました。ハーヴェイは極めて正確だったと言わせて下さい。島は、ハーヴェイ
が言及したように確かに見えて来ました。

 最初に、それは小さな、平らな、ずっと遠くに、暗いように思えました。島に着いたとき、ハーヴェイは、
珊瑚礁に入ることができるただ一個所を探さなければならないと言いました。それは、それらの島々のどれ
もが、あたかも、珊瑚礁へのただ一つ開いてところがあるように見えました。ハーヴェイは、そのスポット
を選びました、そして船の前進動作のタイミングを調整し、その小さな、浅い開口路を滑り通りました。珊
瑚礁の中の状況は良く、穏やかでした。波が全くなく、水は極めて透明でした。ラグーンの底を見ることが
できて、それはほんの数フィートの深さのようでした。泳ぎ回っている、いろいろな色の魚が見えました。
釣り竿を下ろし、私たちが掴まえたい魚を選びました。私たちは朝食用の魚を捕りました。乗組員の何人か
は泳ぐために甲板から飛び込み、彼らは潜って、私たちに幾つかの美しいサンゴを持ってきました。私は、
彼らにどのくらい深いかを尋ねました、そして、それが深いのを知って驚きました。

・トイレとビルジポンプ修理完了

 さて、私たちはアガレガ島への途中、ここPlatte 島に居て、絶えず、風と波は少し荒れてきていました。
何人かの陸上の仲間は船酔いにかかっていました:私の場合、(アガレガへ)行くために立っていました。最
終的に、デッキで全員が参加したミーティングを開きました。健康の観点から、状況は決して良くなく、ト
イレは作動しなくて、洗い流すことができませんでした。そして、ビルジポンプは動作しなくて、船底には
多くの水がありました。私たちが、VQ9AA/MMの無線局を運用しているとき、私たちの足は、私たちの膝
の途中までの水の中でした。何れにしても、これは良くありませんでした。

 もし、ハーヴェイが、ビルジポンプとトイレを修理できるなら、私たちはアガレガへの道を続けるだろう
と言うのが最終的な決定でした。トイレットの装置を開けてみて、私たちは直径約1インチの鉛のボールが
必要だと言うことが判りました。船には、そのようなものはありませんでした、しかし、魚釣り糸の様々な
鉛がありました。さて、ハーヴェイと仲間達がMacamの炊事用ストーブで、鉛を溶かすのを見るべきでし
た。ストーブの下にあった砂を型として、鉛のボールが鋳造されました。彼らは、その鉛のボールで凄く素
晴らしい仕事をしたと私に言わせて下さい。一寸した砂の研磨で、鉛のボールはすべてOKで、トイレの装
置にセットされました。皆さん、私たちは再び洗い流れるトイレになったと言えます。

 さて、次はビルジポンプです。それは、分解され、様々な布切れで完全に拭われ、組み直され、そして設
置され、そしてそれもまたFBに動きました。私たちは、一日の残りを、W0の仲間がカンサス市から、ハ
ーヴェイにプレゼントするために持ってきた、音響測深儀を設置するのに費やしました。私たちは、それが
快調に動作し、魚の群を見つけるのさえ判りました。

 この時までに、天気は次第に悪くなりましたが、私たちは再び、その珊瑚礁の小さな水路、今回のその個
所は私たちが中にいたので難しかったが、からでました。私たちは、満潮になるまで待ち、それらの波のす
べての状況を知る、舵輪のところのハーヴェイが、珊瑚礁と船の底が僅か1フィートのクリアランスしかな
いのを、再び、彼は船を滑らしました。それらの島々の周りで、操船することになると、黒猫を侍らせたハ
ーヴェイに勝るものは居ません。私たちは、再びアガレガへ向かいました。しかし、波とうねりは以前より
はるかに大きくなり、そして、それらは更に幾つかの波は完全に船を越えて、絶えず悪くなっているように
見えました。

 船はの多くのローリングとピッチングで、船酔いの傾向のあった仲間達は本当に船酔いになりました。私
たちは、ビルジの水をすくうために、ビルジポンプが修理されるまで、船にある利用可能なバケットを使い
続けていました、そしてそのバケットの一つは、皿を洗うのにも使われました。私がそれらの皿で食べるの
をDocが見たとき、その皿はビルジの水をすくったバケットで洗われた、彼は意見を述べ“ガス、これはあ
なたが無傷では助からないDXpeditionの一つです、私は、もし、私たちがマヘ島へ2度と戻れたとき、私
たちは木箱の中のあなたを持つだろうと考えると。”私は言いました、“Docこの細菌狩りを止めよう、私の
皿はかなりきれいに見えるが、少しジーゼル油の臭いがついています。”Docは言いました、“Lee聞いて下
さい、彼がただ幸運でなければ、この仲間は死ぬでしょう!”
042M081506   2006.8.27
第9章 (5) アガレガ島への旅は中断

 さて、私たちはアガレガ島へ向かって船旅を続けました。私は、半日より長いと思います。私は、風が少
し高かったのを認めます。カンサス市からの仲間の一人か二人は一寸船酔いで、そこで私たちは、アガレガ
島へ到着する見通しについて改めて相談をしました、そして、それは(私の強い抗議に対して)マヘ島へ戻
るのが私たちにとりもっとも良いと決まりました。

 アガレガへの私たちの旅行は“中断”されました!私たちはここに居ました、私たちの島から僅か数百
マイル、米国はからは遙か遠く、そして、私たちはまさに諦めていました、その時、もう少し”強くしたら”、
私たちは島に居たでしょう。 私は、その途中、まさしく、その場で、私が行く他のDXpeditionで、私は
”一匹狼”になると、その時から、決心しました。
 もし、世界のもっと遠くのスポットに行きたいなら、忍耐と、幾らかのリスクと、言えば、少し無頓着にな
らねばいけないことを私は発見しました。物事は、少なくとも私にとって、いつも順調に進むと言うわけで
はありません。

 インド洋は、素晴らしく、そして順調なことは決してないように見えます:少なくとも私はそのようには
全くみませんでした。

 私たちはマヘ島に戻りました、そして私が心配していたのと同じように、私の旅行は完全に失敗したと考
えました、なぜなら、私はたった一つの目的のためにそこへ行き、そしてそれは“アガレガへ行く”ことで
した。しかし、私は、いつかそのうちに戻ってきて、それらのエリアのどこかの島に行き、そしてそこから
運用すると決心しました。

 少なくとも私たちが行った限りでは、私は荒海を克服でき、船酔いには悩まされず、そして、これを知っ
たことは私にとって素晴らしいことだと、この旅行は確信させました。
 その時から、仲間のW5CKYは私のことを“船員”と呼ぶようになり、それは今でもそう言ってます。
 仲間ガス、船員!!ハ、ハ!

 ボンベイから来て、私たちをモンバサへ連れていってくれる、“ボンベイ州号”を待っている間の数日間、
私たちはVQ9Aを運用しました。船のVU2の人達のセクションから発散するカレーのにおいがするために、
船に乗っていたある人がその船を“カレーの城”と呼びました。

 戻りの旅は平穏でした。すべてが定刻に進み、私たちはただデッキに座り、飛び魚の群に船がぶっつかっ
た時、飛び魚が飛び上がるのをみていました。それらの飛び魚は実際に海面から離れ、空に飛び、150から
200フィートも空を飛び、空中をおよそ15から20フィート上がります。時には、一匹がデッキに飛び込む
でしょう。あるものは、10インチ以上もの長さのようですが、普通はおよそ6インチかその程度です。

 私たちは、遠くで水面に上がって、潮を吹く一頭か二頭の鯨を見ました。私は、“モビーディック”の表現、
“そこで鯨が潮を吹く”の表現を私は読んだのを覚えています。私は、鯨が潮を吹くのを見るだろうとは考
えてもいませんでした。 毎朝、沢山のいるかが、普通は3匹か4匹のグループで、船を追いかけるのを私
たちは見ました。

・米国からインドへ出荷された小麦

 私は、船の無線通信士の一人と長時間話をしました、そして、私たちは彼の故郷のインドについて、すべ
ての沢山のことについて議論を始めました。彼の故郷はボンベイでした、そして、彼は無線通信士として船
に乗り、そこを離れていた間を除いてずっと生涯そこに住んでいました。

 それら主題がすぐ、米国からインドに送られた小麦の積み荷について起きたことに移りました。彼は、こ
れは、餓死するのを防ぐために必要としている人達に送られたものであったと思われると理解していたと、
私に話しました。彼は、実際にこの無料の小麦のどれかを実際に受け取ったという誰かと決して話したこと
はないと言いました。

 彼は、事態はこのようになっていると言いました:小麦は、それぞれおよそ25ポンドの袋に入れて出荷
され、それぞれの袋には、普通はアンクルサム(注1)が握手し、“米国から、あるいは何かそのようなもの”
がそれぞれの袋にあります。彼によると、船から下ろされ、そしてこのすべての小麦は配送のため食料配送
会社の誰かに受け取られます。この配送会社で、小麦は25ポンドの袋から出されて、“ごく普通の”それぞ
れおよそ2ポンドの袋に詰められます。袋には、握手はありません、そしてそれらの袋に関するいかなるそ
の他のメッセージもありません。

 そして、それらが配送されます、“しかし無料ではありません!”それらは食品企業の店に届けられます:
そして、彼が知っている限り、それらは棚に置かれ、デーラーの棚の上の他の品物と同じように“売られ”
ます。彼は、この小麦が誰かに与えられたとはそれについて決して聞いたことはないと言いました、そして、
彼は生涯をインドで過ごしたのです。

 彼は言いました、金持ちはより豊かになり、貧乏人は更に貧乏になっていると。彼は私に聞きました、ど
うして、これについて何かをしないのですか!彼は言いました、私たちは、毎月あるいは隔月、実際に何百
万ドルもの価値の小麦を与えている、実際に誰もそれから恩恵を得ていないで。

 ロシア人は私たちがした量の1/10しかずっと使わないでしょう:しかし、彼らは、建物の正面の石に、い
わば“ロシアのあなたの友人から”の言葉を刻んだ、小さな病院をどこかの村に設置するでしょう。彼は、
人々は彼らが見たことを信じるでしょう、そして“これが彼らの見たことです”と言いました。
 彼らに送られた小麦を彼らは見たことがありません、あるいは少なくとも彼らがそれを見たとき、彼らが
それがどこから来たのか、あるいは誰がそれを送ったのかを認められないでしょう。

 これらの話は、私と話した友人の意見で、そして私の意見ではありません。多分それは真実で、ことによ
ると違うかもしれません。多分その幾つかは真実で、幾つかは違うでしょう。私が思うには、もしこのすべ
てが今までに誰かによって調べられたら、それは興味があるでしょう。もし今までに真実が見つけられたら。
誰かの目は本当に開くかも知れません。
 私はVU2では、そこで多くの操作や計画(注2)があることを知っています、そして、何かこのようなこ
とが実際に起こる可能性が少なくはないのです。

 さて、私たちはモンバサに戻りました、そして、いつものように、ナイロビへの夜行列車を待つ間の丸一
日を過ごさなければなりませんでした。さて、仲間のDocが私に一握りのお金を手渡して、“ガス、あなた
が買ったと同じ木彫りの品をあなたが買ったのと同額で”私に買って来て下さいと言いました
(注1) アンクルサム、Uncle Sam・典型的な米国人として「US」の字から擬人化した造語です。
(注2) manipulate、scheme 私は、これらの言葉は、単に「操作」「計画」と考えていましたが、今回辞書を見ると、
    それぞれに必ずしも正しくない意味も持っていることが判りました。たとえは、manipulateには、「(機械など)を
    上手に使う」のほかに「投票を操作する・manipulate voting」「帳簿をごまかす・manipulate the account」
    などがありました。schemeには「計画、案、大要、分類」などのほかに「空想的な計画、陰謀」もありました。
    ガスはこのような意味をこめて使ったのでしょうか。
043M082006    2006.8.28
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