天白(てんぱく)さん

下井尻の「老人憩の家」の南の畑の中に、「天白さん」と呼ばれる祠(ほこら)がある。中に「天白大明神」の神札が安置されて、健康保持の守護神として昔から尊び敬われてきた。畑ぱ四方を堰で囲まれ、両の前庭には六基の鳥居の礎石や、石燈寵が立ち、八段の石段もあり、春には直径五十センチ程もある大椿の木(山梨市指定天然記念物)が花を咲かせる。又、薯(いも)の貯蔵庫を造るため一部を堀ったところ、河原看に朱文字で一文字ずつ書かれた直径四センチ程の経文石が多数出土したり、「南無洗心菩薩(なむせんしんぼさつ)」の神言も伝えられている。大昔の人が、日月崇拝の信仰から健康保持を祈るための聖地と定めたものらしく、大願成就の時には、祠(ほこら)や碑あるいは木等を献上し、年を重ねるごとに盛大に秋祭が行われてきたという。現在は切られてしまったが、大椿の隣にあった杉は、明治の中頃までぱ、「天自さんの大杉」と呼ぱれ、富十山頂からも見ることができた、と言われる。亨保七年(一七二三年)刻(きざみ)の石碑に「観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)大日如来(たいにちにょらい)当国秩父(とうごくちちぶ)坂東西国札所(ばんどうさいごくふだしょ)」 とあり、天明七年(一七八七年)の石碑には「奉唱光明真一言三百万遍諸願成就祈願所」とあり、裏面に梵字(吉代インドで便われた文字)で文章のように彫られてある。真言宗の石碑と鳥居が同じ所でみられ、奈良・平安時代に始まった神と仏・菩薩とを調和、融合させて同一視した神仏混淆形式の祠である。亨保二十年の下井尻村絵図では、天白さんは青梅街道に沿い秩父往還に通じ、近くには高札場(法度や掟などを書いてかかげた場所)、郷蔵(年貢米や凶作に備え、穀物を入れておく蔵)、御朱印地等の名も見える。現在は依田長泰氏宅の屋敷神として祀られている。掛軸として「天白大明神」と書かれたものが現存しているが、二度の大火で天白さんに関する資料はほとんど焼失してしまったという。