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1962年 第2回 W4BPD
Indian Ocean DXpedition
(その3)
私が雑誌「電波科学」1964年5月号に書いた「W4BPD・DXpedition」記事が彼の第2回DXpeditionの概要をまとめて書いてありますので再掲します。彼がその帰り東京に寄り、JA局の歓迎会で聞いた話などもまじえたレポートです。
現在の表現で適切でない箇所はできるだけ修正したつもりですが40年も前の記事ですのでその辺りはご了承下さい。
(その3)
その後はFL5A、VS9KDV、W4BPD/4W1と廻って、世界の屋根ヒマラヤ山麓のBhutanへ入りました。
当時21〜22JSTがQSOの チャンスだった、Gusは14038 で1kcDwnでQSO。 |
この時はGusが14126の SSBで5kcdwnでQSO できている。 |
当時も4Wは珍しくこれで ニューが増えた。14035の いつもの周波数ででた。 |
ヒマラヤ山麓へ(1963年)
Bhutanへの道は大変けわしいものでした。PhontscholingからThimpu(AC5A)までの道は、僅かにジープの通れる道路が一本しかなく、その間は70kmほどのものですが、1000m以上もの尾根に上ったり、100mもいきなり谷底へ下ったりして、山肌のつづら折りの道を上り、くねくね廻って2日間もかかったのでした。GusはこのBhutanが非常に気に入り、今年の末にはXYL同伴で再びここに来て1年くらいは滞在する由。このBhutanこそは、近代文明にスポイルされていない、唯一の場所であるといいます。
BhutanではAC5AでThimpuからまずon
airしましたが、あとにPouchling地区からAC7Aのコールでon airし、WPX用のサービスを試みました。その後8月16日からはAC5A/4コールでTibetからon airしました。しかしこれは、ARRLが正式に認めるかどうか、大分危ぶまれましたが、どうやらDXCCに有効であるとの判定が下ろされました。Tibetは現在でも、中国の治下にありますから、正式な入国や運用ができるはずもなく、彼の話によると、必要な装備をジープに積み、6人の現地人と共にBhutan国境から約1マイルほどTibet領に入り込んだのでした。そこは非常に起伏の多い地形の所で、もし仮に中国軍がGus達の存在に気づいても、そこまで来るのに一週間くらいはかかるはずで、また、土地の人達も親切に見張っていてくれた由。幸いにも、そのような危険なこともなく、無事に再びBhutanに帰れました。その後SikkimのAC3に行くために、いろいろ交渉してやっと9月15日にAC3PTからでることができました。Tibetが中国に移ってからは、このBhutanとSikkimに外国人が入国するのは、非常に困難となり、たとえこの国のビザを持っていても、インド政府が許可しないものですが、Gusはどうやって入国したのか、とにかくこの両国からon airしました。この国の唯一のハムAC3PTはSikkimの第2王子で、第1王子は飛行機事故でヒマラヤに激突し、亡くなったので、未来の王となるべき人―今は先王が12月に亡くなり、Sikkim王となったーでした。またアメリカ人を王妃とされ、日本でも紹介されたりした人です。
ここに4日間滞在してCWとSSBにでましたが、AC3ここ数年来シグナルの聞こえなかった秘境だけに、大騒ぎしました。AC3にはここの王宮の無線装置を設備するために、再び来るからということで、僅か4日間しか滞在しなかったのですが、この国の王が亡くなったりして事態が悪化し、AC3への再入国は果たされず終わりました。次いでNepalの9N1MM―このコールは同地のモラン神父のものーで約2週間主にCWでサービスしまし。
ヒマラヤの秘境はアマチュアにとっても レアーでGusの運用で多くの局が ニューを得た。Gusはいつもの 14036で、QSOは6kcdwnだった。 |
GusはAC5A/4で運用したがQSL はこの様になった。QSOした時は Tibetかどうか判らなかった。 この時Gusは14067で運用し 14060でQSOできた。 |
Gusが再度Bhutanに戻って、 WPX用にQRVした。 この時も14066kcでQRVして いた。 |
当時もAC3はレアーで、これでニュー が増えた!14035ででていたが そのあと14105でSSBも運用。 この時は14232でQSOできた。 |
Moran神父のシャックからゲストオペ で運用した、神父はSSBの運用 が多かったので、GusはCWを メインに運用した。 |
反転してKuria Muria へ上陸、そして極東へ(1963年から1964年)
次いでPakistanへ行く予定と言われてたのが、急にAfghanistanへ飛び、KabulからYA1Aでon airしました。この頃から、VS9HAAのコールでKuria MuriaのDXpeditionを行うRAFのグループに、Gusが同行するというニュースが伝わりました。この島はもちろんニュー・カントリーの筈で、未だに誰も同島からはon airしてないところなので、全世界の注目を集めていました。ここへは11月初めに行く予定でしたが、船の都合で少し遅れ、11月16日から10日間VS9HAAその他のコールでon airしました。残念なことにこの頃は、14Mcのコンディションがちょうど悪いときにぶっつかり、7Mcと21McではGusとQSOした局もありますが、14McではJA1BKだけだったようです。
AC3へは12月になって再び行くということで、Kuria MuriaのあとAC7AでBhutanに行ったのですが、Sikkimは王死去の喪に服し、そのためSikkimに入国できず、1964年の1月になってEast Pakistanに行きました。1月9日頃から4日間AP5GBで東パキスタンを、主にSSBで運用しました。その後AP2GBで西パキスタンから出るはずになっていたのですが、ここからは運用せず、1月20日なって再びAfghanistanのKabulから今度はYA5Aのコールで出てきました。なぜAP2GBではでなかったかをGusは、全部の機械をセット、あとは電源さえつなげば電波はでる状態になっていたのに役人から非常に無理な要求をされたので止めたのだといってました。延び延びになっていたAC3行きも、2月7日からの予定だったのですが、今度はAC3PT本人がハムに興味を失ってしまったことと、王妃の出産のためにカルカッタに滞在中であったりして、遂にSikkimへは行かれなくなったもので、2月15日にLaosに飛びXW8AWで出てきました。次いで2月19日にはThailandのHS1AAで出ましたが、このとき世紀のDXpeditionを終わるにふさわしいニュースが流れたのでした。
当時YAのSSBは珍しく これでフォーンのニューに なった。周波数は14107 でQSOは14222でできた |
Gusは1964年になって からAP5を運用、ここは 今のS2になる前の国 |
このカードはYA1にYA5の ゴム印を押したのでYA1 と間違い易い、この時は 14110で運用していた。 |
ここから主にW局とQSO していたが、その時に BYへ行くことをアナウンス Big Tryのニュースが流れた |