W1WPO & W1YYM 夫妻
私がQSOしたDXサーの人達の最初は、私がDXCCレースに加わったときDXCC担当だったホワイト夫妻です。
当時はDXCCアワードルールの情報も少ないときで、いろいろな質問に丁寧に答えてくれた
私のDXにとって忘れることのできない人です。
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Mr.DXCC夫妻です。ご主人のW1WPOは1952年から76年 まで24年間もQSTのDXCCを担当し世界中のDXサーと親交を 深めた人です。惜しくも2002年11月22日 に享年83才で亡くなりました。 ARRLのBulletin070によると毎週90時間もDXCCプログラム の仕事をして年間25万枚のカードを処理していたそうです。 単純計算で1日1000枚です!ARRLをリタイアしてからは 暖かいフロリダに住んでアマチュア無線を楽しんでいたようです。 私は彼のW1WPOのコールの方が好きですが、後年W1CW のコールに変わりました。世界的にはW1CWのコールの方が 有名でしょう。確かにW1CWのコールは非常に羨ましい サフィックス です。 |
エレンさんとして有名なホワイト夫人は夫のW1WPOとともに ARRLで長年仕事をしていました。もちろん無線もアクティブ でした。現在はW1YLのコールになっています。ご主人ともども 羨ましいコールです! |
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私が1971年、会社の仕事で米国に行った際その合間を ぬってARRLを訪問したときにW1WPOと私。カードロッカー前で。 |
当時のARRLの事務室で。 |
その当時のARRLの全景、中央が本部の建物で右下がW1AW のシャックとアンテナ群。ニューヨークからグレイハウンドバスの Expressでハートフォードまで3時間半もかかった。バスターミ ナルまで彼が車で迎えにきてくれてARRL本部へ連れていって くれた! |
W1AW局の絵はがき、左の絵はがきと同様ARRLは紹介 絵はがきを作っていた。 |
W1AWの建物正面、71年当時で既にタワーが何本も建ってい たのを羨望のまなこで見ていたのが強い印象に残っている。 ARRLの本部はニューヨーク州の地方の小さな町にあり、この ような不便な場所!で世界中を対象にした仕事ができるもの かと思ったものでした。今なら何でもないことですが当時は 驚いたものでした。 |
20mほどもあろうかと思われるタワーの上にワイドスペース の3elが上がっていた。当時の日本は高度成長期で急げ急 げの時代でしたから、このように広いスペースでゆったり仕 事をしているARRLの人達を羨ましく思ったものでした。 あれから30年過ぎた今、日本もやっとゆとりを考えるられる ような時代になったようです。 |