| W4BPD, Gus M. Browning の手記 ・ DXpedition物語 (その7) アマチュア目次へ戻る |
| 第 4 章 (5) 米国と交信するのが困難な場所 |
私の3.5KWオナン発電機をここに持って来るのに6人の運搬人を要しました。私が燃やしているそのダ メなガソリンのコストを考えるのが嫌いです。 いまいましいバンドは非常に悪いです。何日かは、米国の局は全く一局も聞こえません。次の何日かは、 朝、聞こえ、他の日には夕方聞こえます、そして、時には朝と夕方の両方で聞こえます。私は、毎朝、午前 5:30(00:00GMT)に起きて、80メーターを聞きますが、通常は何も聞こえません。それから、40メータ ーを聞きます、少数のUAと何局かの弱いヨーロッパの局を聞いて、私はロングCQを何回か試し、ことに よるとUAと交信し。それからQRTして、美味しい朝食を取ります。 そして、00:45時頃、さっきのようなことを01:15GMTまで繰り返します。それから、20メーターを聞 き、もしバンドが開いていたら、私はそこにQSYして、2ないし3時間Wを必死に探すのを始めます。 私は一方通行のスキップのようなものがあると、ほとんど確信しています。なぜなら、何日も、強く良く 入る沢山のW局を聞き、そしてそれに全くブレークができなかったのです。他の日は、バンドは非常に悪 いようで、WはS 3程度で聞こえ、それでもW局は私のコールに全く何の問題もなしに返事します。あな た、これについて説明して下さい、私はそれを説明できません!この、伝搬コンディションの仕方は私を困 らせる別の問題です。 ここでの私にとってのもっとも悪い日は、W局が大きな数を呉れるときで、もっとも良い日は、彼らが小 さな数字を呉れるときです。(ja1dm注:GusがW局を受信したときに、その信号強度(S)の数字が大きい とコンディションが悪く、Sが弱いとWへのコンディションが良いことを言ったのだと思います)私は、こ こが、米国と交信するには世界中でもっとも困難な場所であると思います。 信号(米国からの)がVU(インド)へショートパスの時、それは私にとってはロングパスです、逆も同 様です。VU2の局がWと交信しているのを聞くのは、私にとって悪いように感じさせ、W局を一局すら聞 きません。 私は、大きな山の後に居て、そうすることはできないこの場所、なぜなら私は大きな山の頂上 に居ます。もっとも近い、より高い山は私から約5あるいは6マイル離れ、それは私の東にあります。 無線機の動作はすべてOKで、SWRはフィーダーで殆ど1:1です。前進電力は約150W、反射は約5W で、これで私はRFが出ているのが判りますーそれが何処へ行くかは知りませんが。 しかし、その大部分が、北の方、UA9, UA0, UI8, UM8, UL7 そしてJTの仲間へ行くに違いなく、なぜ ならここでは彼らの全部がいつも普通S9+です。あなた方、ガスのやつが何処にいるか心配する必要はあり ません、あなたは最後のドルをかけることができます、私は、あなた方全部にブレークしようとして、ここ に居ます。 私の話しに戻ります。 話が横道にそれてしまうのを私は気にしません。時には、私は、過去の代わりに現在に夢中になったと思 います。事態は私のDXpeditionのプラン通りに順調に進んでいました。ジョージア・アトランタのバック W4TOはQSLカードを扱い、基金を助けると私に言いました。 |
| 第4章 (6) DXpedition始まる |
実際、我々二人は、銀行に預金しました。バックは、私の持っている分と一緒にして、そして、もし、援 助が必要な場合に、何人かの貢献者を揃えることができるだろうと思うと言いました。バックは、私の DXpeditionを続ける際に見事に仕事をこなしました。 海外に行って、資金が尽きるのを心配しなければならないのは、非常に苦しいことです。あなたが DXpeditionの一連のすべてをする前に、金銭の問題や心配を取り除いて下さい。あなたが、うなるほど沢 山のお金持ちではないか、お金の問題が解決されてないなら、家に留まりなさい。 バックとの何回ものミーティングのあとで、私は出発の準備ができていました。―私は出発したかった。 しかし、未だしなければならないことが山ほどありました。例えば、あなたのパスポートを入手しなければ なりません、そして、あなたが訪問したい国のビザを手に入れたがっています。ワシントンにあるそれらの 国の代表部には、無線あるいはアマチュアラジオの言葉は言わないで下さい、なぜならば、彼らは本国政府 に、あなたのビザを得るために、(そのようなことを)書かなければならないので。あなたは単にツーリスト であると彼らに言いなさい、彼らの国で、素晴らしい物を「購入」したいのだと彼らに言いなさい。(彼らは、 その「購入」の言葉が好きです)あなたは、どんなに早くビザを手に入れるか、驚くでしょう。お金には全 く心配していないように振る舞いなさい。(そのようにするのは私には無理ですが) 遂に、私は全てのビザを入手し、私の全部の衣類が荷造りされました、(非常に多く、とても)私の小型住 所録は私のポケットにあって、私の少しのお金はトラベラーズチェックに交換しました。付け加えれば、 W3KVQが私のために作った小型のエレキイを、サンディーW5AZBが作った素晴らしいパドルを私は持っ ていました。 セットはアムステルダムで私へ出荷される筈でした。マイクW0AIW、W0MAF、そしてマックW0UQV とナイロビで集合する日が決められました。私たち4名はVQ9へ一緒に行く予定でした。始まろうとして いる面白い進展を知ることができるでしょう。 大冒険が始まろうとしていました。私は、DXパイルアップの反対側に行こうとしていました、そして私 は世界の何かを見て、そして、これまでの期間に話をしたDX仲間達の何人かと会うつもりでした。 午後4:30に飛行機がニューヨークを出発したとき、私の腕時計はEST(米国東部標準時)のままにして おくことに決めました。私は、飛行機の中ではコークが無料であることを知り、そこで、私の取り分以上に 飲みました。他の人達は飛行機の中で寝ているのを見ましたが、私は寝ませんでした。私は大変興奮してい て、そして、眠ることを考えて、とても気にかかっていたと思います。私は、ただコークを飲み続け、時計 を見ながら、そして、1:30(私の時計で)に太陽が昇りました。私は、それは確実に短い夜だったと、自分に 言いました。 飛行機は着陸しました、そして私はPA0に居ました。すぐに、私は、ドイツのハンブルグ行きの別な飛行 機に乗りました。それから、私はDLに居ました。事態は順調に進んでいました。税関でも全く問題はあり ませんでした。 (皆さん、私には、学ぶことが色々ありました。)ハハ! |
| 015M033006 2006.3.31 |
| 第4章 (7) ドイツ・ハンブルク |
私は、何回も何回もQSOした素晴らしいガス、DL6ZZと彼の素晴らしいXYL、ヘレーネにハンブルク空 港で、会いました。私がするだろうと彼に言ったように、私はヘレーネに大げさなキスをしました。私がそ うしたとき、二人は大変驚いたように見えました、なぜならば、そこの人達は、空港ではそのようなキスは しないのです。 QSOでは、ガスは殆ど完全な英語を使っていました、しかし私たちがじかに会った時、彼が私を理解す るために、非常にゆっくり話さなければならないことが判りました。ガスとヘレーネは、非常に親切に私を もてなしてくれました。二人は、ハンブルグでの滞在が私の忘れがたい時であって欲しかったのです。私た ちは、二人の家で、まるで、いつも食べたり飲んだりしていたようでした。二人は、私が食べた中ではもっ とも素晴らしい、ザウアークラウトをご馳走してくれました、そして、ドイツのフランクフルトソーセージ は非常に素晴らしいものでした。 (私が今居る、ここブータンでは、素晴らしいヤクの肉を食べます、オーそうです、私たちは、ヤクのバタ ーとヤクティーを毎日数回飲みます、私は、あなたの口の中に味が残るでしょう!言わせて下さい、その味 は、長い間、それを一杯飲んだあと、確実にあなたを当惑させるでしょう、ハハ!) ガスは、私を案内するだけのために、明らかに、何日間か仕事を休みました。私たちは、ハンブルグのす べての場所に行きました、ハンブルグはすてきな街です。私は、また、ガスとヘレーネの沢山の友人と親戚 に会いました。彼らは皆、本当にとても親切で、好意的な人達でした。勿論、それぞれの家で、コーヒーと ケーキをご馳走になり、時にはコークさえ出されました。 ガスには二人の息子が居ます。一人は軍隊で家を離れ、もう一人は家にいます。家にいる一人は、非常に 可愛いガールフレンドが居て、私の膝に座ってと頼んでその写真を写しました。私が家に戻ったとき、この 写真でXYLと長い間、議論しました、!それは、議論に議論を重ねて、説明するのが少し難しいと言わな ければなりません!(皆さん、あなたが写す、そのような写真には注意しなさい!) ガスと彼の家族と一緒に5日か6日間滞在したあと、私の予定した時間は遂に終わりました、そして出発 の時がきました。時は非常に短く、私はそのように素晴らしい時間を過ごしていたのでもっと長く滞在した いと思いました。しかし、すべての良いことは、遅かれ早かれ、終わりが来ます。 私が出発するとき、彼らはこれから何処へ行くのかと聞きました、そして私は東ベルリンと答えました。 私はそう言いました!ヘレンは泣き、そしてガスは、私に起きるかも知れないすべてのことを説明して、 私がそこに行くのを思いとどまるように最大の説得を試みました。彼らは、それは片道の旅行かも知れない とさえ言いました。しかし、私は、訪問するつもりの東ベルリンの何人かの人達と約束があり、それが、結 果にかかわらず、私が行こうとしていることであることを二人に話しました。 |
| 第4章 (8) 東ベルリン |
私は、誰かが私に少しでも危害を加えようとするのを恐れてはいないと、二人に言いました。私はだれに も何もしていませんでした、そして、スパイではありませんでした。彼らのより強い希望は、最終的に多少 折れました。それから、二人は、どの様にして東ベルリンへ行くつもりかと、私に聞き、私は列車でと答え ました、それがもっとも安い方法であり、もっとも安い方法が私が出来るすべてでした。これがまた、ヘレ ーネの目に涙をもたらしました。二人は、ハンブルグからベルリンまでの殆どで列車は東ドイツを通らなけ ればならず、すべての場所に警官が居て、すべての人が、スパイかあるいはスパイ組織のエージェントだろ うと疑うから、私は列車で行くべきではないと言いました。 この時、毎日、いつもアムステルダム空港に電話して、私のセットがニューヨークから着いたかどうかを 聞きました。私が東ベルリンへ出発した日まで、未だそこに着いていなくて、あるいは私がベルリンに着い たとき、私はギブアップするかもしれません、そして、確かに楽しみが始まったでしょう。 ガスとヘレーネ、それに息子が私を見送るために列車に来ました。彼らは、私が東ベルリンへ出発するの を見るのは嬉しくなかったのです。私は、何が起きるかをただ自分で見たかったのです。 ハンブルグ駅を列車が出発したあと、すぐに列車は止まりました、そして西ドイツの車掌、列車乗務員と 入国管理係員は列車を降りました、それから、東ドイツの職員、列車乗務員、それに勿論、警官、特別役人、 が列車に乗りました。それ以後は、東ドイツと西ベルリンの境界に着くまで、列車は彼らの管轄にありまし た。 彼らは、何回も何回も私に目をくれました、そして、私が何故西ベルリンに行こうとしているのか、そこ で何をするのかを聞かれました。私の返事はいつも“私はツーリストで、できるだけ多くヨーロッパを見た いので”でした。本当に、彼らは私の小さなスーツケースをくまなく調べ、あらゆる衣類のポケットの中ま でも見ました。途中のすべての停車場では、彼らはすべての乗客を列車から降ろし、乗客のIDを提示させ、 職員の質問に頷かせ、各乗客に幾つかの質問を聞きました。途中の各停車場の至る所に警官がいました。 少なくとも、私は行動中の警察国家を見ていました。時には二人か三人の警官が私を見て、それぞれが何 かを質問しました。私はこれについて少し心配しました、そして私が西ベルリンに着く前に、何かが起きる のではないかと懸念しました。ガスは共産主義のまん中にいました。皆さん、私は、来月、あなた達に更に 言うつもりです。彼らは、全く笑いませんでした。何が私に降りかかろうとしたいたのでしょう。 皆さん、来月まで。 |
| 1DM注: Sauerkraut :(ザワークラウトあるいはザウアークラウト)ドイツやヨーロッパ各地など、多くの国々で食べられているキャベツの 漬け物で、スライスしたキャベツを15度以下で何ヶ月か密閉して、乳酸発酵により酸っぱい味がする。フランクフルトソーセージ との付け合わせでよく出る。 (フリー百科事典 Wikipediaの説明より) ヤクティー: ヤクバターとミルクから作るお茶で、チベットの人達が日常飲んでいます。明治時代にチベットに潜入した 河口慧海の本、セブンヤーズインチベットの本にも出てきますが、独特の味で、慣れないと飲みにくいようです。 |
| 016M040506 2006.4.7 |
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