| W4BPD, Gus M. Browning
の手記 ・ DXpedition物語 (その3) アマチュア目次へ戻る |
コーラを飲み、ナビスコのクッキーを食べながら仲間達と話している間に、誰がやってきたかあなたは 考えられないでしょう。やってきたのは、町から約6マイル離れた所に152エーカーの農場を持っている私 の友人でした。(152エーカー:780m×780m、約615,000u ・1dm注) 彼は一寸気分が沈んでいました、そして私は、何か問題があるのかと聞きました。彼は、お金が必要な のだと言いました。私は、彼の農場を私に売らないかとたずね、彼は大変適当な値段でOKと言いました。 私はOKと言い、もし彼がその農場を私に売ってくれるなら、その朝、私は買いたい、そして彼は承諾し、 私たち二人は私の弁護士の所に行きました。1,2時間後に農場は私のものになりました。 私の狭苦しい家に戻り、言いました“ダーリン私たちの農場を手に入れました。” 彼女は一回も瞬きも しないで、“素晴らしい、何処にありますか?”と言いました。私は、彼女に言って、私達は店を閉めて、 私たちの新しく買った農場を見に行きました。 私たち二人は大喜びでした。ペギーは農場の家が好きでした、そして私はその場所全部がロンビック、 Vビーム、ロングワイヤーなどで埋め尽くされている絵を描くことができました。 私たちはそこに引っ越し、私は直ぐに家の裏に素晴らしい大きなハムシャックの建設を始めました。こ れは本当のハムシャックで、24×48フィートもありました。(およそ7×14m・1dm注)私は、2階に子供 達のために3つの寝室さえ作りました。そうだ、ペギーと私は非常に忙しく、その時までに4人の子供が いました。 私は、次の3,4ヶ月を測量や、ロンビックのためジープでの整地に費やしました。そして、翌月は糸 杉*の湿地帯でアンテナ用に糸杉のポールを切るのに費やしました。12のロンビックがレイアウトされ、 最終的に設置されました。一番短いのが端から端まで750フィートでした。一番長いのが、端から端まで 1,750フィートでした、ロングパスでチベット(AC1)*のラサの土地へ、そして他の一つはショートパスで AC4へ、それは端から端まで1,300フィートでした。全てのアンテナはWard-Leonard 社*の無誘導の 750オーム抵抗で終端されました。 これら全部のアンテナの作業は、第2次世界大戦の間に行われ、大変な作業で2年間かかりました。 全部のポールの高さは66フィート以上で、そのうちの幾つかな85フィート以上の高さでした。(66フィート は約20m、85フィートは約25mです。・1dm注)戦争は未だ続いていましたので、私にはハムの装置の 建設に未だ数年がありました。作っては作りして、戦争が終わるまでに、私は6台の送信機、それぞれ KW入力、12のロンビック、80mバーチカル、16エレメントのステルバ・カーテンアンテナ*、数本の 1/2波長ダイポールの準備ができていました。 私たちが再開出来ると言われたときには、私はスタートする準備ができていました。アンテナについて は、16エレメントのステルバ・カーテンはロンビックと同じように良いことが判りました。 ロンビックがカバーする角度の範囲については、私はカサブランカ向けのロンビックと、ベルリン向け のを持っていました。これら2個のロンビックの正確な中心方向はHZ1ABでした。両方のロンビックは HZ1ABから全く同じ信号を得ました。 しかし、その中心方向がHZ1ABになっているステルバカーテンは信号強度のSユニットで2つ上でし た。それから、私はHZ1AB向けの良いロンビックを作って、その13番目のロンビックを運用しました。 私は、この13番目のロンビックは、大きなステルバアンテナと全く同じ信号でHZ1ABが聞こえること を見つけました。 ロンビックについてのそのほかの結論は、ロンビックにターミネート抵抗が無くてもターミネートして あるのと同じように見えることです。私は、ニューギニア向けのロンビックと、そして正確に別な方向に 向いている他のロンビックを持っていました。 そのうちの一つはターミネート抵抗がありませんが、ニューギニア向けのロンビックはSユニットで少 なくとも2つはいつも強力でした。これは、ほかのロンビックでも何回もその他の時に立証されました。 これらを調整する限り、私は、ターミネーター抵抗が付いているか、付いていないかでどのような差も見 られませんでした。 もし、明日私がロンビックアンテナを建てるのでしたら、私はターミネート抵抗では悩まない でしょう。私は、交信したい局の方向のロンビックを建てる、それだけです。 私は、ある時、素晴らしいと判っていた6個ほどのVビームを建てました。しかし、Vビームは、信号 が前方に良く飛ぶのと同じように、後方からも飛びます。 これら全てのアンテナ、大電力、DXハンティングに費やす妥当な多くの時間、そして私の頭を使い、 新しいDXCCで第4位*になりました。私はDX局の習慣を調べ、その局の運用する時間、そして全ての DX誌を読むことを始めました。私は、狂ったようにDXを追いかけ始めました。 もしあなたが、本当に沢山のカントリーのスコアを得たいのなら、全てのラグチューを止め、QSLカー ドを入手するまでそのカントリーと交信し、仕事中にもひそかに家に戻り、大電力で運用し、あなたが可 能な範囲でベストなアンテナを持ち、ニューワンと交信したときには、そのQSLカードを入手すること に全力を尽くすことだということを私は発見しました。 そのようなカントリーのハイスコアの人たちの秘密の一つは、そのQSLカードを集めることです。 私の方法は次のようなものです: 最初に、何枚かのIRCと一緒に通常のQSLカードを送り、6週間待ち、それから手紙と1ドルと一緒 に次のカードを送り、4週間待ちます。 それから、私は次のようなものを送ります: 丁寧な長い手紙、5ドル、IRC 10枚、何枚かの写真、自分で作った(相手の)QSLカードに全部書き 込んで、デュポンの糊で切手を貼ります。 そして、彼がしなければならないのは、彼の名前をサインすることだけでした。 あなたが相手の正確な住所を知っているとき、それが、いつも最後の魔法でした。それが無ければ、 あなたは立ち往生するでしょう。 フランスに居たFI8AAを私が偶然発見し、そして彼がログを持っていて、私のコールがその中にあり、 彼はQSLカードをダイレクトでくれた!ような、私がしたことを除いては。 私は、シッキムのかなたのAC4NCの住所を知っています、そして、私がここを出発する前に彼に連絡 するつもりです。(現在、私はカルカッタのホテルの部屋に座ってこれを書いています) |
| 006M021506 2006.2.17 |
| これまで、私が交信したどのニューカントリーにもQSLカードを送ります。時には、彼が何処に住んで いるのかを見つけるのに非常に長い時間がかかります。 ある朝、私は仕事をしながら、私の店に居ました、そして仲間が私に会いに来ました。彼は、フランク・ ルーカスと自己紹介し、自分のコールはW3CRAだと言いました。フランクは、オレンジバーグで結婚もし て、その時、私は彼の介添人(bestman)になりました。そして、フランクとビッキーは私の家に2ヶ月か 3ヶ月滞在し、店の手伝いをしてくれ、そして毎朝、毎晩、DXを楽しみました。 ある朝、私がシャックに入ったら、フランクはYI2CAと交信していると言ったのを覚えています。私は、 2個目のヘッドフォーンを取りましたが、聞こえたのは、ノイズの下の非常に弱い信号と、同時にスタティッ クやバックグラウンドノイズなどが殆どでした。私はコールサインを全く聞き取れませんでしたが、しかし 相手の名前と住所をコピーしているフランクがそこに居ました。 フランクは、これが彼の初めての米国とのQSOだと私に言いました。フランクがサインオフした時、 “さあフランク、私をからかわないで、あなたは誰ともQSOしていなかった、あなたは私をからかおうと している!”と私は言いました。 フランクは、“ガス、待っていなさい、彼は直ぐにダイレクトのエアーメイルでQSLを送ると言った”と 言いました。本当に、4,5日の間にQSLが来て、そこには“ファーストUSA QSL"の言葉がありました。 私は、弱い信号を聞くのは大変上手だと思いましたが、フランクは私より数等上回っていました。明らか に、フランクは内蔵されたノイズフィルターが彼の耳にあったに違いありません。さあ、あなた方、フラン ク・ルーカスを軽く見ないで下さい、テキサスのフランク・スミス(W5VA)耳をチューンアップしましょう。 そうだ、世界中で、圧力をかけたガスを封入した3.5インチの銅(パイプ)を彼のフィーダーとしてい るような、ほかのアマチュアを誰か知っている人は居ますか?それが、W3CRAが使っているもので、 私はそれを見ました。きっと、それが彼の信号を助けていると言うことです。 DXをしていて、そして彼らの運用を聞いて、彼らが名前、住所、電力、アンテナなどについて聞いてい る間、さあ、もう一方の側に居ることをどのように願っているかと、しばしば、私は自分に言いました。 実際、もし私がDXであれば、私は学ぶだろうと思う「するな」のリストを作りました。このリストは、 長年の間に大変長くなりました。私は、このリストから、何かが得られるとは思ってもいませんでした。 4人の子供を育てようとして、借金の中で仕事をたくさん抱え、ちょうどまるで収支が合わないで、DX ペディションのことを考えながら、私は、ここ、南部の小さな町に居ました。 さあ、とにかくどのくらい夢中になれるでしょうか? このストーリーが開かれるまで待って下さい、そして、最終的に、不可能なことが起こったのを見て下 さい。 (ガスは、ページの下に、ペギーより1965年3月11日送ったとメモ) ・これで「序文・Introduction」は終わりです・Baxley |
| 1DM注: *「Cyprus 」とBaxley氏の原文には書いてありますが、「cypress・糸杉」のことではないかと思います。 *チベットはAC4で、AC1のプリフェックスは割り当てなしでしたから、ガスの勘違いだろうと思います。 *Ward-Leonard Electric社は、無誘導抵抗やリレーなどを販売していた会社です。 *ステルバ・カーテンアンテナ・Sterba curtin・八木ビームが普及する前に考えられた、固定式ビーム の1種です。1辺が1/2波長のループアンテナ状のエレメントを、横1列に何個も並べてビーム アンテナにしたもので、ゲインを高くするためには非常に横長の土地が必要だった。 *戦後DXCC第3回発表(1947年11月号QST)の欄で、W4BPDが4位になっています。 |
| -1DM注- *Best man・結婚式の介添人、結婚式で新郎に付き添う人、 *Bbridesmaids・結婚式で新婦に付き添う若い女性で、通例二人以上。 |
| 007M022006 2006.2.28 |
前のページに戻る 次のページに進む
アマチュア目次へ戻る