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今回の目的である2002年12/4日の皆既日蝕を観るために、2002年11/30日、私たちはカンタス070便で成田から西オーストラリア州パースに向けて出発しました。
成田を出て6時間ほどしてトイレに行きました。前の人がだいぶ長くてしばらく待たされましたが私の番となり中に入り用をたし始めた時のことです。 ドアをノックする音が聞こえました。当然のこととして中からノックを返しました。
しばらくして用をたし終えてドアを開けた所・・・・。機内の乗務員5人ばかりに周りを囲まれて「お前はトイレの中でたばこを吸っただろう」「そんなことをすると飛行機が爆発するかもしれない」と矢継ぎ早に攻め立てられたのです。 「絶対に私はたばこを吸っていない」と必死に弁明したのですがなかなか分かってくれません。そんなやり取りをしていたのですが彼女達も機内食の準備をしなくてはならない時間なので「邪魔だから自分の席に戻れ」というのです。こんな話になると私の英語はほとんど役に立ちません。
自分の席に戻っても怒りはおさまりません。幸いなことにチーフパーサーが日本語を話していたので呼びつけて一部始終を話しました。 彼は私の話を分かってくれて大変恐縮して「申し訳ありませんでした」を連発しました。 しかし、私を吊るし上げたスチュワーデス達は謝るでもなく通路を行き来しています。 そのうち機内食が配られて来ましたのですが、 私とMHNは「NO!」といってハンガーストライキに入りました。
ツアーの添乗員が回って来たのでそれまでのことを話すと、「とにかく乗務員と話をつけるから食事だけはとって欲しい」といわれました。 しばらくして、スチュワーデスも食事を持って来ながら「アイムソーリー」をくり返したので少し遅くなりましたが食事をとることにしました。
チーフパーサーが機長からのおわびの品だと云ってワインを1本届けに来ました。
「前に入った人がたばこを吸ったのが時間遅れで私が入っていた時に反応したのか」、「煙り検知器が故障していたのか」真相ははっきりしませんでしたがその後そのトイレは使用禁止になっていたとはMHNの報告でした。
窓の外は東の空が赤く染まり実に美しい光景です。新しい日が昇ります。ごちゃごちゃしたことはさっぱり忘れることにしました。
パースの空港からバスに乗ってピナクルズへ片道250kmのツアーに出かけました。今、オーストラリアは夏のはじめ。ジャカランタと云うピンク色の花がきれいに咲いていました。
市街地を抜けると大規模な畑が広がります。人家はほとんど目にすることはありません。ところどころに「売り地」の看板がありましたが、ツアーに参加した人たちの間では「いくら土地が安くてもちょっと寂しすぎる」という意見でした。
オーストラリアの道の制限速度は郊外で110km/hr.でしたから250km離れたピナクルズには約2時間半でつくことになります。この辺の計算は実に正確です。途中のガソリンスタンド兼ドライブインのような所で30分程度休みましたから実際には3時間ほどのドライブでした。
ピナクルズはそこだけ黄色の世界でした。 黄色い砂漠に黄色の石が墓標のように立っているのです。車でひとまわりするにはそれほど時間はかかりませんが、歩きまわるとどこも同じような風景で目印になる物がなく迷子になってしまう人もいるそうです。結構奥が深いようです。 とにかく、いま迄見たことのない世界でした。
ピナクルズを出て海岸に出ました。ここはインド洋です。海岸は珊瑚礁になっていて、砂浜はシリカで真っ白です。黄色の世界の隣に真っ白の世界があるのですから驚きです。 ここはウインドサーフィンの盛んな所で大勢の人がウインドサーフィンを楽しんでいましたが、その人たちが乗って来た車は90%かたは日本車でした。
パースはきれいな都市です。人口は年々増え、町は北の方に広がっているそうです。
朝、スワン川のほとりを散歩しましたが日曜日のせいもあって実に静かでした。この町の看板のようなブラックスワンにも会えることが出来ました。
いよいよ憧れのインディアンパシフィック鉄道です。名前の由来はインド洋岸と大平洋岸を結ぶ列車という意味で、全長4,352kmという大陸横断鉄道です。 列車は東パース駅から出発します。バスに乗って駅に到着しました。 駅と云ってもプラットホーム迄車が入り荷物をおろすことが出来ます。日本の駅のように「改札口」と云う物がありません。列車はすでにホームへ入っていました。
驚いたのはその長さです。試しにホームの端から端迄歩いてみました。先頭のジーゼル機関車も含めて25輛連結です。1輛約18mとして450mにもなることが判りました。
私たちのキヤビンは2人用で、トイレ、シャワー付きです。 他にシングルの部屋もあルのですが、シングルの部屋はシャワーが共同使用になっています。 また、普通の座席の車両もあったようです。
10:55、定刻、列車は静かに動き始めました。パースの町を彩るジャカランタの花がきれいです。
しばらくは50kmおき程度に小さな町があり、その間は牧場とか原野と云う景色が続きます。 お昼になるとランチです。5輛ほど前の食堂車迄行きました。 メインディッシュが2種類あって選択する方式です。 気分が良いのでお昼からビールで乾杯しました。
3時間ばかり遅れて23時頃カルゴリーという駅につきました。もう12時間近く列車に乗っていたことになります。 この駅では夜中なのに何とこの町の周辺をバスを使って見て歩くオプショナルツアーがあると云うのです。なんだか良く判らないままにバスに乗り込みました。
バスは町の中をぐるぐる回りここに何があるとか、この大きなスーパーマーケットが出来て他の店がどうなったとか、余り興味のない話ばかりしていてちょっとがっかりしていたのですが、最後に訪れた所がすごかったです。
それは野天堀の金鉱でした。資料によれば幅1.5キロメートル、長さ4キロメートル、深さ280メートルという途方もない大きな穴であって、それが全部金鉱石だと云うのですから……。
金鉱を見て列車に戻ると列車はまた暗い原野を駆け抜けて行くことになりました。 ディナーの間にベッドメークされていましたからゆっくり休むことが出来ます。
朝、モーニングティーで起こされました。紅茶をのみながら外を見ると昨日とは全く異なる風景でした。見渡す限り小さなブッシュはあるものの地平線迄見渡せる平原です。 ナラボー高原です。 「ナラボーNullarbor」とは「nullus
arborというラテン語から来た言葉で木がない」という意味だそうです。 そういえば私たちも「ゼロ」のことを「ナル」とか「ヌル」とかいいますね。
朝食の時間になりました。食堂車から南の草原を眺めていた時「あっ、カンガルーだっ」と誰かが云いました。1グループ10頭から20頭のグループがあとからあとから南の方角に逃げて行きます。その数、何百頭。実に壮観でした。
朝の10時ごろ、クックという駅につきました。
はじめの計画ではこのクックで列車を降りてバスで100km程南に下がり、国道1号ハイウエイを300km東に進んで観測地セデューナに行く予定でしたが、旱魃のため道が砂で埋まりバスが通れないと云うことでその先のポートオーガスタという駅迄行くことになっています。(その距離約750km)
ところでこのクックという駅はインディアンパシフィック鉄道にとっては水の補給等重要な駅で、かつては人口300人で2階建ての学校、プール、病院、スーパーマーケットからゴルフ場迄あったというのですが、現在ではゴーストタウン化してしまい、人口わずかに2人ということです。そのうち一人は土産物売り場のおばさんで、もう一人は多分鉄道の仕事をしているのだと思います。
11時過ぎ、この駅でいろいろと補給をして列車は再びナラボー高原を走り始めました。
何もない所を何時間も何時間も走り続けるということはあきてしまうのではないかと考えることもありました。暇つぶしに何の本を持って行こうかとも考えました。 しかし、実際には飽きることなんて全然ありませんでした。
これは実に不思議なことでした。外を見ても何の変化もない所を走っているのに窓の外を眺めているのが実に楽しいのです。
西から東へ進むものですから実際にかかる時間にプラスして時差が生じて来ます。列車の中の時差の調整は寝ている時に行なわれ、朝起きると時計を進ませるという作業をします。その結果、実際に乗っている時間より沢山列車に乗っていることになり時間の概念が判らなくなって来ます。
ただ、食事の時間は1日3回確実にやって来ます。「またごはん?」という感じですが、食堂車へいって座ると不思議に食べてしまうのです。
クックを昼前に出たのにポートオーガスタへは夜中につきました。列車から降りたのは私たちのグループ8人だけでした。車掌さんと握手をして迎えのバスにのりこみました。
ポートオーガスタからセデューナ迄は約420kmです。途中キンバという町で一服しましたが中形バスに荷物をのせるトレーラーを引張りながらも素晴らしいドライブテクニックの運転手によってようやく明るくなる頃セデューナのモーテルにつきました。モーテルで仮眠をとった後、町に出て行きました。
セデューナという町は人口3,500人というちいさな町です。今回の皆既日蝕はアフリカとオーストラリアで見ることができますが、オーストラリアでみることのできる町はここセデューナだけといっても良いのです。そこへ全世界から観光客が押し寄せるのですから町の中は大騒ぎです。モーテルに泊れたのはほんの一部の人たちで、観測に来たほとんどの人たちはフットボール場にはったテントで寝起きしていました。
歩行者天国になった通りではストリートミュージシャン達の演奏や露天の市場で大にぎわいです。しかし、午後からは望遠鏡を出してセットしなければならないのでのんびり見物もしていられません。
午前中に一度現地の下見をしました。この時はまだ良い天気でした。
15時いよいよ望遠鏡を持ち込んでセットアップです。 しかしこのとき空は曇つてきていました。「セでューナ方面は皆既蝕の頃は曇り、観測は難しい」という天気予報情報がシドニーの娘から届いていました。「ダメかも知れない」という気持ちがそこに集まった誰もが持っていたと思います。
観測地は海岸に面したところで南氷洋からの風がもろに吹き付けて来ます。私は他の人たちより少うしろの方でブッシュの影に隠れて赤道儀とデジカメ用の三脚をセットしました。
18:40第1接触。雲の合間に時々太陽が顔を出すのですが、次の瞬間また雲の中にかくれてしまいます。触分が70%程度進んだ頃、今迄大きかった雲が少しづつ細切れになって来ました。 でもやっぱり雲の占める面積の方が圧倒的に多いのです。
遠くの海面が輝きました。その光っている海面からは太陽が見えるはずです。その光る海面がだんだんと近付いてきました。2・300メートル南の方で歓声が上がりました。 見るとそこには日の光があたっているのです。 しかし私たちの所はまだ曇っています。「その雲、もう少し右へいってくれ」と思わず叫んでしまいました。
第2接触の3分ぐらい前でしょうか。私たちの所にも太陽が顔を見せ始めました。 しかも太陽の周りには雲が見当たらないのです。あと3分、このまま雲がでないようにと念じました。
その気持ちが天に伝わったのでしょうか、太陽の周りに雲もなく皆既を迎えることが出来ました。思っていたより明るい、黄色っぽいコロナでした。
望遠鏡に取り付けたキャノンEOS620 の自動シャッター装置も順調に働いてくれています。デジカメはトラぶってしまいましたが銀塩の方で何とか写真はとれたと思います。
このページの一番上に貼った写真がこの時の物です。
日本に帰ってフイルムを写真屋さんに出しました。その結果、自動露出機は完動しており、そのうち1/2秒で写したものが若干露出がオーバーですがまずまずという出来でした。 (セットを1/2秒として、1秒、1/2秒、1/4秒とすれば露出は完璧でした)
今回の日蝕の継続時間が32秒しか無かったので、今迄の経験から写真をとる余裕がほとんどないのでは無いと考えて、イランの時試作した「半影フィルタ」の実験はやらないことにしていましたが、自動露出機の成功で皆既中テを使わないで18枚の写真をとることが出来ました。
こうなって見ると「半影フィルタ」の実験をやらなかったことが悔やまれますが、次の機会(2004年は南極、2006年はトルコかアフリカ、2009年上海、奄美群島、硫黄島)に恵まれたらぜひやってみたい課題です。
イランで実験した「半影フィルタ」については暇を見て紹介しようと思います。
次の日(12/5)の朝、セデューナをバスで出発、夜にアデレード着。
その次の朝(12/6)、近郊のいくつかの山火事の煙りで空が煙っていたシドニー経由でエアーズロック飛行場につきました。ホテルに荷物を置き、カタジュタ(マウントオルガ)とウルル(エアーズロック)をバスで観光しました。
12/7の朝、ウルルに登りました。 風の強い日で、水のボトルを飛ばされた人、サングラスを飛ばされた人もおりましたが何とか若い人たちと一緒に頂上に辿り着くことが出来ました。
午後、前回、「サンセットツアー」というツアーで、ディジュリドゥの演奏をしてくださった方達のスケッチを届けようと思って訪ね歩いたのですが残念なことに「ここにはいない」ということで残念でした。
そのあと、時間があいていたので洗濯機を使いに出かけたのですが、乾燥機が不調で、前に使っていたスイスからの人が1時間近く回していても乾かないというのです。 仕方なく水切りしたものをホテルに持ち込み、裏のベランダに外から見えないように並べた所、1時間ばかりでほとんど乾いてしまいました。
「デジュリドゥ」はオーストラリアの原住民、アボリジニーの楽器です。
前回ウルルを訪ねた時、アリススプリングスの空港でこの世の物と思えない不思議な音を耳にしてから魅せられたものです。 空港の売店でそれを見つけ、見よう見まねでおそるおそる吹いてみたのですが、ただ「フー」と息が抜けるだけで音にならずその時は諦めました。
ユーカリの木にシロアリが住み着いて芯の部分をパイプ状に穴を明けたものを1m位の長さに切り取ったもので、何のことは無い「木のパイプ」なのです。
その後日本に帰って紙の筒で特訓して何とか音が出るようになっていました。
この前、シドニー空港の売店で見た時は1本400ドル位していました。結構高いものだなあというのが感想でした。
セデューナの道先でアボリジニーのおじいさんが作りながら売っていたのですが、道中が長いので諦めました。値段は250ドルでした。
ケアンズの土産物やで160ドルというのを見つけました。これは安い。 何本か吹いてみて一番私にあっているものを買いました。
結構重いものでしたが、飛行機では別扱いで運んでいただき無事日本へもって帰ることが出来ました。 時々思い出したように吹いていますが、残念ながら「循環呼吸」ということが出来ないので一息一息途切れますのでこの習得がこれからの課題です。
ケアンズに1泊して、12/9、無事成田に帰って来ました。 暑いケアンズから一転して雪の成田には驚きました。