テニアン記

 1945年6月20日、静岡市はB29の爆撃を受けました。 その夜、私達家族は安倍川の土手に逃げたのですが、私たちが避難したすぐ頭の上の土手に落ちた焼夷弾は距離にして数メートルしか離れてはいませんでした。
 次の朝、明るくなって見ると静岡市全体が灰になってしまっていました。
 その夜私たちを爆撃したB29が飛び立った所がサイパン島の南にあるテニアン島だったのです。 テニアン島は第1次世界大戦以後日本が信託統治していましたが第2次世界大戦でアメリカの攻撃を受け玉砕してしまいました。(1944年)
 その空襲から57年目に、奇しくもそのテニアン島に金環日蝕を見に行くことになりました。

 2002年6月8日、朝一番の電車でさがみ野駅を出発。 横浜からリムジンバスで成田に向かいました。飛行機の出発が30分ほど遅れましたが約3時間のフライトでサイパン島につきました。
 サイパン島では「バンザイクリフ」を見に行きました。 そこは大戦で米軍に追われた日本人が「天皇陛下万歳」を唱えて飛び込み自殺をした所です。その地はサイパン島の中でも一番日本に近い場所ですから、多分自殺した人たちは望郷の念を抱いて飛び込んだものと思います。
 こんなに美しい場所で日本の事を思いながら、それでも飛び込まなければならなかったという戦争の悲劇をつくづく感じました。

 夕方、サイパン港を高速船でテニアン島に向かいました。約55分の船旅です。ホテルについたのは日が沈む少し前でした。 その日は旅の疲れでホテルの中で中華料理を食べて寝ることにしました。(値段が高いだけで味は大したことはなかった)

 次の朝、一つしかない村「サンホセ」に朝食を食べに行きました。 この村には交通信号がありません。公共バスもタクシーも走っていません。走っている車は住人の持つ車と、ホテル関係の車とバス、レンタカーだけだそうです。 従って私たちは歩いて朝食を食べに行くことになります。 
 テニアン島の緯度は約15度ですからまさに「南の島」です。日の光の強いこと、それに加えて湿気もかなりあります。 汗がだらだら出て来ます。 しかし、この暑さは爽快でもありました。 久しぶりにお目にかかる「純粋な夏」だったのです。

 村には何軒かのレストランがあります。レストランといっても日本でいう大衆食堂だと思えば間違いありません。メニューや値段もほぼ横並びです。 御飯、目玉焼き(2)、スパム(ポリネシア風ソーセージ)アイスティ−で6ドル程度でホテルで食べる約半額です。
 御飯は意外に美味しかったですが、アイスティーはめちゃくちゃに甘いものでした。

 ぶらぶらとホテルに帰ってくるとちょうど島内観光に出る時間でバスが待っていました。朝食を食べに出かけたので写真機もビデオも持っていなかったのですがそれらを部屋迄取りに行く時間もないのでそのままバスに乗り込んでしまいました。

 まず最初に出かけたのが「スイサイドクリフ」でした。この場所が観測に適しているということで下見を兼ねていました。
「スイサイドクリフ」とは「自殺崖」という意味で、サイパン島のバンザイクリフと同じ意味を持っています。 米軍は北の方から上陸したので日本人は南へ追いやられ、最後にこのスイサイドクリフ迄逃げて来て断崖を飛び下りたのでした。
 崖の上から見る海の青さはかつて見たことのない色をしていました。油絵の具でいえば「プルシャンブルー」、「ウルトラマリン」、「ビリジァン」の3色に「コバルトバイオレット」をほんのちょっとまぜたかな。といった所です。 とにかく口では言い表せないとてつもなく美しい海の色です。 こんな所で身を投げなければいけなかった人たちの気持ちを考えると「平和の大切さ」、「戦争はどんなことがあってもやってはいけない」ということを改めて感じました。

 潮吹き海岸という波が押し寄せる度に潮を吹き上げる海岸を見てから、旧日本軍指令部跡とか原子爆弾積荷場跡とかB29が飛び立ったエーブル滑走路といった第2次世界大戦の史跡を見学しました。
 B29の飛び立った滑走路は地図の上では4本あり、1945年のこれら滑走路は世界で一番忙しい滑走路といわれたそうです。 私たちがバスで走ったエ−ブル滑走路はそのうちの一番北側にあって、あとの3本はジャングルの中でした。 アマチュア無線をやっているものの推測では他の滑走路の名前は「ベ−カ−」、「チャ−リ−」、「デ−ビット」ではなかったかと思いましたが確認は出来ませんでした。

 最後に「House of Taga 」という今から3,500年以前のタガ王朝の遺跡を見学して島内観光は終りました。 昼食はサンホセ村のスーパーで買って来たパンとくだものを食べました。

 午後は特に何をするということもなかったのでホテルのすぐ前にあるタチョンガビ−チに出かけました。
 椰子の木陰のベンチでスケッチをしていると、MHNが近くで椰子の実を拾って来ました。 御存知の通り椰子の実は堅い殻があって簡単には中の水を飲むことは出来ません。
 すると、テント張りの売店のような所から真っ黒に日焼けした地元の青年が手に蛮刀のようなものを持ってニコニコしながらやって来てMHNから椰子の実を受け取ると器用な手付きで殻に穴を開け中の水をコップに入れてくれました。 初めて味わった椰子の実の水でした。それはちょっと青臭い感じがしました。
 お礼をどうしようかと考えてそこのオーナーらしき人(後出)に聞くと「そんなものでお金はもらいません」というおよそ商売ッ気のない返事と共に「良かったらバナナもどうぞ」ともいわれました。 このバナナの美味しかったこと。

 南の島に来たのですから土地の果物をぜひ食べたいと思うでしょう? しかし不思議なことに村のスーパーではりんご、トマト、オレンジ、レモンは売っていてもバナナやマンゴーといった「トロピカルフルーツ」にお目にかかれないのです
 いろいろ考えた結果次のようなことが判りました。
 バナナもマンゴーも庭に木を植えておけば何もしなくても時期がくれば成ってくれるのです。椰子の実にいたってはいくらでも転がっています。これではスーパーで売っているはずはありませんね。

 夜はMinako's Restrant に行きテリヤキライスを食べました。Minako'sといっても日本人の経営ではありませんがテニアン風の食事というのは味付けの醤油の使い方も板についていて何か日本人の口にあっていました。昔、統治していた頃の名残りがあるのでしょうか。
 食事が終って、島のメインストリートであるブロードウエイを歩いていたら、真正面に南十字星が輝いていました。

 その夜はサッカーのワールドカップ「日本対チュニジア」戦がありました。それとは別に星空探訪の催しもありました。私は星空、MHNはサッカーを見ることにしました。
 星空探訪のためにホテルではカジノ用の派手なネオンを1/3にQRPしてくれていました。場所は昼間行ったタチョンガビーチです。南十字星が良く見えます。さそり座はまっすぐ上を向いて登ってきました。北の空に北斗七星が見え、雲の間に北極星が現れました。高度約15度ですが、意外に高く見えたのには驚きました。 しかしこの夜は湿気が多く銀河もはっきりしなかったので途中でホテルに帰りました。

 部屋のテレビにはNHKの衛星チャンネルが入ります。このチャンネルでサッカーを見ることができると考えていたのですがこれは大きな誤算でした。NHKの衛星チャンネルではやっていないのです。あっちこっちチャンネルをサーチした結果、英語のチャンネルでやっていることを発見。前半をワッチしました。
 この時、MHNはテレビでサッカーをやっていないと諦めて下のロビーでピアノ演奏でくつろいでいました。
 後半は2人で部屋で見て勝利を楽しみました。

 次の10日、朝は残っていたパンと昨日、ミナコで買って来たツナジャ−キーを食べました。ツナジャ−キーはマグロを細長く切り、それをとうがらしと醤油で味付けして乾燥させたもののようです。非常に辛い食べ物ですがなぜか次の手が伸びてしまいます。 「お土産はこれにしょう」とこの時は考えました。

 この日も特にやることもないのでまたビーチに出ることにしました。ビーチといっても狭い所なので行く所は昨日と同じ所です。 このビーチの水のきれいなことは特筆物です。まさに混じりッ気なしの純海水です。 この日もスケッチをしていました。
 そのわきではマリンスポーツの青年が昨日の夕方トローリングで捕って来たカツオの解体を始めました。そしてその切り身がその辺にいた人たちにふるまわれたのです。切り身は醤油と「テニアンペッパ−」と呼ぶ世界一辛いといわれている唐辛子で「づけ」にしてあります。 その味は辛いのですが身がぷりぷりしていて実にうまかったです。
 これがテニアン流のカツオの食べ方だそうです。

 このマリンスポーツでランチのサービスをやっていることが判りました。(どこにもそんな宣伝はでいない) そこでスペッシャルランチを注文しました。スペッシャルランチといってもどこかで作った弁当を運んでくるという方式です。そして何がスペッシュルかというとビールかウーロン茶が1本つくのです。 何故ビールとウーロン茶が同列か?という疑問を抱いたのですが、聞いてみるとビールよりウーロン茶の方が高いのだそうです。
 ここテニアンはアメリカの「北マリアナ諸島連邦」にあります。従ってバドワイザはいわば国産品ですがウーロン茶は日本からの輸入品だったのです。
 ランチが終るとデザートはバナナ、マンゴーの食べ放題です。これらは木で熟れたものですからすごく美味しかったです。

 午後、MHNは短パンにシャツ姿で海に入って「きれいだ、きれいだ」と感激していました。
FCZは海パンも短パンも持って行かなかったので仕方なし写真とスケッチをしていました。

 マリンスポーツとの話で、夜、ここでバーベキューができることを知りました。 1人前35ドルでビール、ウーロン茶飲み放題。人数が増えればさらに安くなる、というので早速同じツアーで来ていた人と申し込みました。結局、参加者が10人となり、一人あたり30ドルになりました。
 海岸にはバーベキュー用の火を使う場所があり、テーブル、ベンチも整っています。
 テニアンの産物として肉類があります。牛、豚、鶏、共放し飼いに近くとても美味しかったです。もちろん果物も食べ 放題です。
 こんなディナーはホテルでは味わえられません。

 バーベキューが終ってホテルに戻り、ピアノの演奏を聞きました。4,5曲リクエストをしたりして奏者のエデイさんとも仲良くなり楽しかったです。
 ピアノが終ってからカジノに行きましたがこちらは全然駄目でした。生まれつき博才はないようです。

 さていよいよ11日金環日蝕の当日です。
 朝の3時50分玄関集合、バスでスイサイドクリフへ向いました。現地には地元警察も出て交通整理をしていました。
 
 今回の日蝕は太陽の動きが方位的にほとんど変化がなく、高度だけが変化するというので赤道儀を使うのはやめにして経緯台としたので極軸合わせのための北極星は必要ありませんでしたが、暗い空にはカシオペアが出ていて、そのうち雲間から北極星も見えてきました。 天の川も見えてなかなかのシーイングです。

 東の空が明るんで、やがて雲の間から日がのぼり初めました。感激の一瞬です。天気の方はなんとかなりそうな感じです。
 三脚に望遠鏡を据え付け太陽をファインダーに取り入れます。ここ迄はトラブルなしです。
 07時02分46秒、予報と寸分違わず部分蝕が始まりました。今回の写真撮影は金環日蝕の42秒間を2秒おきに撮ろうと考えましたから、まだ1時間ばかり余裕があります。

 使用した望遠鏡はBORGのED760、f=500mmに1.4倍のコンバータを付けてf=700mmとしました。フィルタとして52mmのD4のNDを使用しましたのでF=13.5になります。使用したカメラは、キャノンIOS 630で、フィルムはISO=100のカラーネガを使い、露出は雲が出ない限り1/2000としました。

 日蝕の写真を撮ろうと思うとそのことに集中してしまって日蝕そのものをあまり良く見ない傾向があります。 そう言うことをなるべくなくすために撮影の自動化を考えました。
 正確に2秒毎にシャッターを切る装置の製作です。この装置は出発の前の晩に一応完成しましたが、この回路についての詳細は 別稿で紹介したいと思います。

 さて太陽の方もだんだん細くなり、第2接触の15分前になりました。この時です。今迄ピ−カンだった空に雲が現れるとにわかにそれが広がり初め、ついにはファインダを通した太陽が雲の中にみえなくなってしまいました。 あちこちからため息が聞こえます。

 時計は確実に進んで行きます。あと10分ほどで第2接触という時になって今迄太陽を隠していた雲が急にどこかへ消えてしまいました。 
 そして第2接触の08時11分29秒になりました。カメラの自動撮影装置のスイッチが入りカメラは正確に2秒毎に撮影しています。太陽面に月のでこぼこが移動して行くのがはっきり判ります。素晴らしい金環日蝕です。
 ただ、撮影の度にミラーが上がったり下がったりするのがカメラ振れの原因にならないかちょっと心配でしたがアッという間に金環日蝕は終わりました。
 写真撮影はバッチリ成功しました。(と、この時は思いました)

金環日蝕が終ってみんながひと休みした頃、一人の僧侶が「南無妙法蓮華経」と彫られた戦死者の供養塔の前でお経を読み初めました。近くにいた私たちもそれに合わせて手を合わせました。 その僧侶はお経が終るとどこへともなくいなくなりました。

 望遠鏡その他をしまってバスに乗りホテルに帰り、帰りのパッキングをするともう出発の時間です。昼御飯を食べる時間もなく、土産に買うつもりになっていたツナジャ−キーも買えないままバスに揺られて港に直行し、サイパン行きの船に乗りました。
 この日は考えてみると、前の日にもらっておいたバナナを2本食べただけで飛行機の機内食が出る迄ハングリーでした。

 日本に帰って来て、近くの写真屋さんにフィルムを出したのですが、3本のフィルムが全然写っていなかったのです。これにはさすがに目の前が真っ白になってしまいました。
 カメラの蓋を開けて動作試験をしてみた所、シャッター膜にオイルが漏れ出ておりそれが粘ってシャッターの動作を止めていたことが判りました。
 出発の前の晩に自動撮影装置の試験をやった時は順調に動作していたのですが、熱帯の暑さに当てられたのでしょう。
 アルコールを使い油を拭き取ってシャッターは復帰しました。

 と、いった具合で今回のテニアン島、金環日蝕の観測は終わりました。
 サイパン島は観光地化してしまっていましたが、テニアン島は何かむかしむかしの日本に出会った感じで大いに気に入りました。ぜひ再びこの島を訪れてみたいと思います。
 最後に、この美しい島で半世紀前に凄まじい戦争があったことは信じられません。しかし、史跡めぐりをすればそれが現実にあったことを物語っていました。そして「どんなことがあっても2度と戦争はしてはいけない」ということを再確認しました。
 昔あった戦争を忘れてしまったきらいのある今日、有事法制が叫ばれていますが私はこの法案に「絶対反対」を改めて叫びたいと思いました。

            

テニアン島いろいろ情報

 テニアンマリンスポーツ  今回のツアーで現地でいろいろとお世話になりましたテニアンマリンスポーツのオーナー、原田賢二さんにあつくお礼申し上げます。
 島の人になりきっている原田さんは初めのうちは日本人とは思いませんでしたが彼はテニアンに住みついて海に関するオプションサービスのお仕事をなさっております。島の若者達による現地スタッフはサービス精神旺盛で先に述べました、椰子の実、バナナ、マンゴー、カツオ等特に頼まないのに「どうぞ」と持って来てくれました。
 もしみなさんの中でテニアン島に行ってみたくなった方がありましたら、ぜひカチョンガビ−チに出かけ彼等に話しかけてみてください。 テニアンに関するいろいろな情報を手に入れることができると思います。 テニアンマリンスポ−ツの電話番号は 1-670-286-3854 です。

 みやげもの  ホテルの中に土産物屋さんはあります。しかしここで買えるものはハワイ等で買えるものとあまり変わりありません。テニアン独特の土産物は ミナコレストランで売っている「ツナジャ−キ−」と「ココナツキャンデー」でしょう。これらは他の土地ではお目にかかったことのないものでした。

 食事と飲み物  ホテルでの食事は別として、サンホセ村での食事は、牛、豚、鶏、海老の4種から成り立っているようです。これらを組み合わせて、カレーならビ−フカレ−、ポ−クカレ−、チキンカレ−、という風に変化します。これらは店が変わってもほとんど同じです。
 味は「辛くてと甘い」が特長です。特に辛いは「テニアンペッパー」と呼ばれる世界一辛いといわれる唐辛子が使われていますから島の標準的な味付けですととても食べられないとのことです。
 この辛さを除けば日本人には食べやすい味です。
アイスティーはとてもじゃないけど飲めない甘さでした。
 スーパーでの飲み物の値段は
 ビールはバドワイザーライト、ミラ−ライトが安く、スーパーでは77¢から87¢程度。(ホテルの売店で2$、レストランで5$)
 コカ・コーラが350mlで60¢
 ミネラルウォ−ターは意外に高くビールの缶と同じ大きさの350mlで50¢、1.5リットルで2$程度です。(ホテルの売店では3$)

 カジノ  そうそう、かけ事の好きな人にはホテルの中に本格的なカジノがあります。このホテルではカジノで人を集めているのです。
 しかし、博才のない私たちにとってはカジノより手のついていない大自然の方がよっぽど魅力でした。

 乾季と雨期  この島では1-5月が乾季、後半が雨期だそうです。 しかし、雨期と行っても日本の梅雨のようなことはなくほとんど晴れていますが時々ザア−ッと細かい雨が降ると云うパターンのようです。現に私たちが行った6月はもう雨期だそうで3度ばかりスコールに見舞われましたが、すぐに太陽が顔を出してくれました。
 星空を見るのなら3月頃が一番よいとのことです。

 また行きたいね  本当に良い所でした。是非また行きたいと思います。インターネットで調べてみると安いシーズンでは3泊4日で5-6万円で行くことが出来るようです。特に火曜日出発が安いようです