「大前門」香煙の思い ba3tt 20021214
2002年10月14日、北京を離れる際。
北京の仲間の前門大街の周りに、沢山の煙酒の商店が並んであります。
帰り持ちのお土産として、天津巻煙場の作った「大前門」のメーカの煙草を、何本買いました。
この大前門の煙草は、20年前に中国で一番有名な煙草の一つだと言えます。1979年冬、江蘇に住んだ友達が「旧正月の前に結婚することにしますから、ぜひ鄭州あるいは開封の作った「大前門」を買ってくれ」と、手紙に書きました。この友達が、一番仲間の良い友達でした。いつも上海で電子の部品を買ってくれたのです。
返事として、今度、どうしても友達に大前門を買ってあげますと決心しました。
すると、何人の友達にこの大前門を買ってくれと頼みました。
何週間過ぎましたが、まだこの大前門が手に入れません。
友達の結婚の日まで近くなって来て、じりじりして落ち着かない私は、鄭州への汽車を上りました。
鄭州駅まえの闇市で、煙販子(ブローカー)と面談しました。値段が国家の定価より1倍に高いですが、黙認しかありませんでした。
約束のとおり、夜、ある横町の口で、鞄を提げる煙販子が来ました。
「ちょっと見てくれましょう」
「あのー、あのー、実はね、この煙草は巻煙場のある労働者に盗まれてきて、ばらばらしている煙草で、本当な大前門です。でも元の大前門の煙草の箱が手にいれないので、我慢して、「豫烟」との箱で包んでいます。
説明するうちに、煙販子は鞄から1箱の「豫烟」を取って、引き裂いて、
「はら、みてください。」
「確か大前門です、でもね、結婚式に、この張冠李戴(お門違いもの)を使えば、宜しくないと思いますね。ですから、どうしても、裏と外同じな大前門をお願いします。」
最後、煙販子が私の要求に満足出来なくて、取引きが失敗しました。
鄭州に2日間滞在した後、収穫しないまま故郷の高平に帰りました。
もうすぐ友達の結婚式の日です、ちっとも仕方がありません。我慢として、米山の商店で、10本の「石花」という品質の良い煙草を買って、郵便局で江蘇へ出しました。
そのことはもう23年間過ぎましたが、どうしても忘れません。
「宋さんの友達が、どうして大前門の煙草を要りますか、外の紅塔山や阿詩馬など良くじゃないでしょうか?また、どうして江蘇で鄭州の大前門を買わなくて、遠くの人に頼んだのですか?」とか、
「鄭州のあの煙販子はとても馬鹿でした、どうしてイミテーションの大前門を作れないですか?少なくてもイミテーションの大前門の箱を作れるでしょう。」とか、
「3TTさんは肝っ魂が大きい者だ、一人で鄭州の闇市に行って、本当に危なかったね。」とか、
「巻煙場は鈍いですね、どうして大前門の煙草を多く作るでしょうか?」とかなど、
今の若者はきっと以上の多くの疑問を持っていると思います。
その年代が経った者しか答えられないと思います。
今日の幸せな生活を暮らせて、すべて改革開放の陰です。
今所々とても商品が豊富で、流通も通じて、裏口で煙草を買う必要はなくなりました。
もちろん、イミテーションも氾濫していますが、「窓が開いて、新鮮な空気も入る当時に、蝿も入れるのは避けられないことだ」とのある偉い人の話を信じています。
窓に金網を張って、それに金網の質を高めるのは、我々の頑張ることです。
単語:
闇市−−やみいち−−黒市
横町−−よこちょう−−胡同
提げる−−さげる−−提
盗む−−ぬすむ−−偸盗
引き裂く−−ひきさく−−開封する−−かいふう
取引き−−とりひき−−交易
お門違い−−おかどちがい−−張冠李戴
肝っ魂−−きもったま
危ない−−あぶない
蝿−−はえ
金網−−かなあみ