山梨市の紹介

出典:「山梨地名大辞典」
市の成立 昭和29年(1954)7月1日、加納岩町、日下部町、八幡村、山梨村、日川村、後屋敷村、岩手村の2町5村が合併。
面積
53.11(ku)
市の花
ツツジ
市の木
マツ
市の鳥
チドリ
市名の由来
古代以来の群名による。
立地
県の中央部、甲府盆地の北東部に形成された副盆地の西側。市域のほぼ中央部を笛吹川が南北に貫流し、
南部の重川や日川と共に氾濫原や扇状地を形成する。
JR中央線、国道140、411号が市域を横断する。産業はブドウ、モモの果樹栽培が盛ん。
沿革
■原始、古代:
笛吹川は太古以来幾度も流路を変え、広大な扇状地を形成しながら次第に西へ移動して、
現在のように山裾沿いに流下するようになった。
当市にいつ頃から人類が住み始めたか明らかではないが、縄文前期の土器が各地で見られることから、
今から6000年前頃には集落が原生林の中に散在していたと思われる。
■中世:
市域内の荘名で信頼しうる物は、牧荘のほか小原付近の小原荘と八幡から当市南部一帯の地域にあったとされる大八幡荘である。
鎌倉幕府の成立後、武田氏が甲斐守護を世襲したというのが通説であり、その本拠地がおかれた石和に近い当地域もその支配下にあったと思われるが、牧荘は鎌倉後期には二階堂氏の所領となっている。
■近世:
江戸初期には、幕府領と、徳川五太郎・忠長など一門領、甲府藩領(徳川綱重・綱豊)と交代がしばしばあり、これに多数の旗本知行地が介在していた。
国宝
清白寺仏殿
国重文
窪八幡神社本殿、拝殿
県史跡
連方屋敷
清白寺
山梨市三カ所にある臨済宗妙心寺派の寺。山号は海涌山。本尊は釈迦如来。
方丈の西に諏訪水と称する泉水の湧き出しいるのが山号の起こり。
1333年に足利尊氏が夢窓疎石を開山として創建。
国宝の仏殿は、千手観音を祀るところから観音堂とも呼ばれ、鎌倉末期〜室町初期に造られた唐様建築の典型。
差出(さしで)の磯
笛吹川の右岸の丘陵地、山梨市の南にある古来の名勝。
当磯から南方に、長さ約1km、広さ約15haに及ぶ万力林がある。
塩の山と共に歌枕として有名で、古くは「古今集」に「しほのやまさしでの磯にすむ千鳥きみがみよをばやちよとぞなく」
その他「按納言集」「三百六十番歌合」「後鳥羽院御集」その他多数に読まれている。
切差(きっさつ)
切指とも書く。笛吹川支流の兄川の発源する山間地に位置する。地名の由来については、「さす」は焼き畑を意味するとか、
地形上霧が深くさすため古くは霧指と称し、後に転じて切差になったとも伝えられる。