山梨市に残る文化

山梨市の主産業が農業中心であったため、年中行事も農業に関係する民俗的色彩のこい伝統的なものが伝承されている。最近の年中行事を見ると、昔にくらべ簡略化され、昔の姿を失いつつあるものが至るところに見られる。

行事 日下部 八幡 堀の内 岩手 後屋敷 内 容
元旦 松飾り新年を祝う 松を立て、氏神へ日の出を期して、神様に新年の豊作、幸福をお願いし、互いに新年のあいさつをする。
七草粥 粥に七草(せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ、すずな、すずじやきしろ)に大根、人参、里いも、豆、こんぶ、餅などをいれ邪気を払い、豊作を祈って家族全員で食べる。
13 繭玉作り 米の粉で繭玉を作り、枝にさし天井から下げる。繭工は、養蚕のあたるのを願い、その他の作物の豊作も共に祈る。
14 小正月 道祖神祭 どんどやき 門松、しめ飾り、書き初めを集め、太鼓や鐘をならし火をつけて燃やす。繭玉を火で焼き家に持ち帰り会べる。団子を会べると一年中虫歯にならないという。又、書き初めを火中に投げて焼き、高く燃え上がれば習字が上達すると喜ぶ。昔は小屋をつくり、燃やしたものだ。
きっかんじょ 十四日夜、青年や子供が道祖神に集まり、獅子、花嫁、馬などに仮装し、太鼓や鐘をならし、「きっかんじょ、きっかんじょ」と叫びながら各家をまわり、家の中に入り、「悪魔ぱらいの道祖神、お蚕どっさり大当り、家内安全、五穀豊饒」言いながら家中を荒れまわる。家では、菓子、果物を祝儀として出した。
15 小豆粥 成人式 アズキ粥に餅を入れて煮込み、かつの木のはしで家中で食べる。その前になべの中に「かつの木」を二本入れ、かきまわした後、もみがらの中に入れる。沢山つくると稲は豊作になるという。
25 天神講 小学生が習字を書いて、天神様(氏神)に上げ、お米やお金を持ちよって一軒の家に集まり、(各家が待ち回り)菓子を買い、神に供え、米はご飯にし、一緒に食べる。学問や習字の上達を祈るためであり、子供たちだけで大人の手をかりずにやった。
節分(豆まき) 昔は大豆を桧(ひのき)の生葉でいっていり豆をつくり、いわしの頭を焼き、柊(ひいらぎ)につけて戸外へさす。目カゴを竿の先につけて、屋根や物干しに立てる。鬼がおそれて来ないようにするためだという。年男は「福は内、鬼は外、鬼の目をぶっつぶせ」と大声で家中にまく。この豆を自分の年より一つ余分に会べると一年中病気にかからず、厄病から逃れることができると言われる。
23 彼岸の中日 萩の餅(ぼた餅)をつくり、仏壇に供ヘ、墓まいりをし、先祖の供養をする。
ひな祭り(節句) ひな壇をつくり、菱餅、赤飯、煮〆、白酒などの供物をする。
下旬 蚕神祭 春蚕の掃き立ての時、農家で掃き立ての室に蚕影山(こかげさん)神を祀り、豊蚕を願い、大豆やあられをいって供える。今では、公民館に人々が集まり親睦を深める。
端午の節句 軒先に菖蒲をさし、柏餅をつくって祝う。男の子のいる家では、幟や鯉の吹き流しを立て家の中で五月びなを飾る。男児の無事に成人するを祝う意味で行う。菖蒲は魔除け、菖蒲湯は疫病をのがれるためだといわれる。
七夕祭り 昔は早朝、芋の葉にたまった露で墨をすり、短冊形の五色紙に古歌、七夕、天の川、願いごと等を書き、竹の枝につるし戸外に立てる。字が上達すると言われる。
13 お盆 先祖代々の霊を祀り、茄子、キュウリでお迎え馬をつくり、食べ物を飾る。夕方墓まいりをし、お迎え火をたく。盆が終わる日、三日間の供物をおくりながら川岸で送り火をたき、線香をたいて川へ流す。今では、川をよごさないように川に流さなくなったり、農家がこの時期は忙しいため一月おくれで盆を行うところもある。
土用の丑の日 鰻、どじょう、豚肉、馬肉、野菜の揚げ物などを食べ暑気を払う。疲労回復と栄養不足を補うためといわれる。
お月見(一五夜) もちの入った米の粉のだんごを十五個、三宝に乗せ、里いも、大根、粟、ぶどう、柿など秋の味覚を供え、すすき、女郎花(おみなえし)を花びんに飾り、お神酒をささげ家族そろって満月を愛(め)でる。(女郎花は秋の七草の一つで黄色の花)
10 十三夜 五夜と同じように団子を十三一個と、果物などを供え、月を愛でる。
15 秋祭り、市制祭 市内の各神社(水の宮、七日子、誉田別、大石、若宮、春日、天神社、諏訪、大井俣窪八幡神社等々)の秋祭りで、一年の豊作を神に感謝し、各神社では、子供みこしなども出て盛大にお祝いをする。
12 23 冬至 この日には、カボチャの煮付けなどをして食べる。中風の予防になるといわれている。又、抽子湯(ゆずゆ)に入る。これは、冬中の病除けであるという。
28 餅つき 新年の祝餅をつく。二十九日は苦餅、三十一日は一夜餅といって忌みきらう。
31 大晦日 一年中のほこりがたまった家の内外の整理、清掃をし、神棚には新年を迎える飾りつけをするため、一日中忙しい。寺でぱ除夜の鐘を百八つ打ち、家では年越しそぱを食べる。どこにいても必ず家に帰って夕食をとる風習があった。