泰阜村田本 |
田本神社
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私が通った保育園のあった神社です。 社は30年前と、まったく同じ姿でありました。鳥居が大きくなり、整地されていました。 運よく温田の花火が見えました。 静かで涼しかったので、ぐっすり眠れました。 |
田本の教員住宅
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私の記憶にある、一番最初の家です。 日進の自宅のLDKの床面積と同じ、大変小さい家です。 築50年以上経っているとおもいます。 小学校の廃校とともに、空き家になったものとおもわれます。 小学校2年まで、私はここで育ちました。 40年前に住んでいた頃にも、雨漏りがしました。 当時は、サッシではなく、台風が来ると窓に板を打ち付けて、しのぎました。 くみとりトイレなのは、今でもあたりまえですが、当時は薪で炊く五右衛門風呂でした。 入り方があって、親と一緒でなければ、入ることができませんでした。 この教員住宅から、まっすぐ南に下ると、「秘境の駅」で有名になった田本駅があります。 下ることは出来ても、子供には登ることすら困難だったと記憶しています。 その田本駅から、豊橋の行商のおじさんが、担ぎ上げで魚を運んでくるというものでした。 |
泰阜小学校は、閉校していました。
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ここで私が小学校2年生のときに書いた文章が、5年前に「平和の理」という本で出版されました。 その思い出の小学校も閉校になりました。私のときは、24人のクラスでしたが、最後は4人だったのですね。 小学校2年まで、私はここに通いました。 |
飯田線田本駅
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いわゆる単線のローカル線で、電化されています。 もちろん、無人駅です。 最近は、秘境の駅として有名です。 つまり、車どころか、バイク、自転車でもホームに近づくことはできない、一日一人利用者があるかないか、の条件を満たしています。 さらに、田本から田本駅まで最短距離で歩く道を知っているのは、もはや私を含めて数名だとおもいます。 一般に知られているこの駅へのアクセスは、対岸から渡る立田橋(自転車、バイクなら止められる)からトレッキングのような道を15分ほど歩くところにあります。 そして、最後急峻な階段を下りてホームに出るので、流行のキャリーバッグでは近寄ることもできません。 私が最初に見た駅というのが、これ(秘境駅)だったので、当時は電車の来る素晴らしいところだと思っていました。 なにせ、この駅から電車を乗り継いで、大阪万博を見に行ったのですから! その後、スシ詰めの小田急線に90分乗って会社に通う時代もありましたから、それよりは、素晴らしい交通環境だったとも言えます。 駅のホーム、駅までの道では、眼下に天竜川が見えるという嵯峨野を越えた景勝地です。 |