AC4NCとのQSO
私が免許を取ったばかりの1953年7月の夏の夜でした。いつものように20mバンドをワッチしていたので
すがバンドは開けていないようで、当時非常にアクティブだったJA1CRがHW
DX?と聞いてきただけでした。
当時はまだまだJAの局数が少なく20mにでてくるのは常連の数局だけでした。その後は、またDX局を探
すため受信機のダイアルを廻していました。
ワッチしていたら14.11MHz付近のCWで聞き慣れないコールの局がKA局とQSOしているのを見つけました。
このKA局とQSOしていたのが何とチベットのAC4NCだったのです。!
当時はゆっくりQSOしていましたから終わるまで待たされました。そのあとQSOできたのがJA3BBで、
彼はこの時既に20mの2エレ八木アンテナを使っていたようです。その間にJA1同士が共倒れにならない
ようAC4NCをコールする順番を決めてJA1とのQSOが始まりました。JA1DM、JA1CR、JA1FAと20m
のラグチュー仲間がQSO更にJA1AH、JA1AL局が交信、この6局がAC4NC局と交信できました。
AC4はこの10年後、1963年にW4BPD/GusがAC4から運用した時までブランクでした。
その後1年近くたってインドのビューロー経由JARLのビューローからこのカードが届き嬉しかったことを
覚えています。JA1CRがこのカードで戦後のJA局の1stWAZ受賞の栄誉を獲得しました。
チベット
チベットは1974年5月にDXCC消滅エンティティーになり中国の一部となりました。今ではDXCC上での
珍局ではありませんが、当時はもっとも高いエンティティーの一つでした。チベットに関する本は映画に
なったハインリッヒ・ハラー著「セブンヤーズ・イン・チベット」がよく知られています。彼はオーストリア
登山家で第2次世界大戦直前にヒマラヤのナンガパルパット登山調査隊に加わっていたため大戦中
捕虜になり収容所を脱出して7年間チベットに滞在した記録です。
この本には当時AC4からアマチュア無線を運用していた
Reg Fox、AC4YNの様子やBob Ford、AC4RF
について書かれています。AC4RFはチベットが中国に合併された際、スパイ容疑で中国軍の捕虜となり
5年間の捕虜生活のあと釈放されたという数奇な運命をたどったのです。ハラーのこの本は角川文庫
から発刊されています。
Seven Years in Tibet By Heinrich Harrer |
Three Years inTibet By Japanese Buddhist Ekai Kawaguchi. Published in 1904 |
ハラーより50年も前の明治31年に日本人として初めてチベットに潜入「スリーヤーズ・イン・チベット」を
書いた日本人河口慧海の本です。この「チベット旅行記」は講談社学術文庫から刊行されています。
(詳細はCQ誌2003年2月号小生記事P41
をご覧下さい)